引き返した騎兵
王国の騎兵隊が、帝国軍の測量隊を追って川の北へ出ようとしていた。若い隊長は、敵が少人数でいる今こそ好機だと息巻いていた。セイルは隊長の馬を眺め、蹄に詰まった黒い泥を指した。雨上がりの北岸には、見た目より深い湿地がある。
「敵が誘っているとでも?」
「分かりません。ただ、この馬では戻るときに疲れます」
隊長は笑った。馬は精鋭で、長い距離を駆けられる。しかしセイルは馬の能力を疑っていない。帰り道だけが問題だった。測量隊を追うほど深い低地へ入り、敵に退路を遮られたら、速さは役に立たない。
将軍ダリオが判断を求めると、セイルは追撃の代わりに北岸の土を採ってほしいと頼んだ。騎兵は短い距離だけ進み、土を革袋に詰めて戻る。土は水を含むと粘り、乾くと鋭い亀裂を作る。工兵たちはその性質を見て、河岸の柵の設置場所を変えた。
騎兵隊長は不満そうだった。敵の測量隊は無傷で帰っていく。「俺たちは見逃しただけじゃないか」
「そう見えると思います」とセイルは答えた。「ですが馬が戻ってきました。明日も動けます」
夜、馬丁が一頭ずつ脚を洗うと、泥の下に小さな傷が見つかった。騎兵隊長は初めてセイルの話を思い出し、蹄鉄師へ早めの手当てを頼んだ。
騎兵隊長は土を採る仕事の報告に、自分の名前だけではなく馬丁の名前も加えた。蹄の傷に最初に気づいたのは馬丁だったからだ。戦果がない日の書類は短い。それでも何も起こらなかった理由を残すことには、意味があった。
一度も剣を抜かずに終わった日の報告書には、土の種類と馬の傷だけが残った。隊長は戦果の欄を空白にしたまま署名したが、その筆圧は朝より少し弱かった。




