戻れない家の鍵
避難民の一団が後方の町に到着したとき、宿舎の鍵が足りなくなった。使える空き家はあるのに、所有者が遠方にいて開けられない。軍の担当官は扉を破る許可を求めた。セイルは家屋台帳を確認し、町の錠前師に相談することを提案した。
錠前師の老人は鍵穴を見ただけで「古い型だ」と言い、壊さず開けられると請け合った。ただし中に残った財産を誰が守るかが問題だった。セイルは町長と避難民の代表に立ち会いを頼み、室内の品を紙に書き留めることにした。扉を開けるより、その確認に時間がかかった。
最初に入った家は、壁に子供の背丈を刻んだ跡があった。避難してきた母親は、床へ荷物を置く前にそれを眺めた。「この子の分は、もう書く場所がないのですね」と幼い娘に言った。娘は黙って頷き、濡れた靴を脱いだ。
セイルは井戸の位置、薪の置き場、火事の際に使う裏口を確認した。町の衛兵はそこまで考えていなかったが、避難民は夜を過ごす以上、明日の水と火が必要だ。共同の炊事場を一つ設けると、空き家ごとに火を起こす手間が減った。
夕方、錠前師は家の主人宛ての記録を封筒に納めた。誰が入り、どの品に触れず、どの窓を開けたか。セイルも署名した。戦を避ける人々を受け入れることは、元から住む人の暮らしを消すことではない。
空き家の台所に小さな傷があると、娘は指でなぞった。以前の住人が鍋を置いた跡らしい。母親はそこへ自分たちの鍋を置くのをためらったが、やがて火をつけた。誰かの家を借りるということは、何も残っていない場所へ入ることではない。
家々の窓に灯りがともった。町を離れていた人がいつか戻ったとき、鍵と記録が一緒に返せるよう、封筒は役所の棚に並べられた。




