傷のある測量図
関所から帰った測量兵が、セイルへ破れた地図を差し出した。逃げる途中で雨に濡れ、峠の南斜面が読めなくなっている。彼は記憶で線を引こうとしたが、セイルは待たせた。急いで補えば、知らない地形を知っていると誤認する危険がある。
測量兵は怒った。「あの場所を歩いたのは私です。私の記憶を信じないのですか」セイルは首を振った。「だからこそ、覚えているところと分からないところを分けてください」と頼んだ。兵は筆を握り、確かな岩場だけ描いた。
地図の空白は広かった。帝国軍が関所を得た以上、王国の斥候が直接確かめに行くのは難しい。ダリオは旧い道を利用した迂回案を出したが、セイルは春の沢を通る危険を指摘した。前に戻れた道が、次も戻れるとは限らない。
炭焼きは帰り道、関所の向こうに残した犬を心配していた。セイルは敵の領地へ犬を探しに行くわけにはいかないと答えた。男は頷き、昔から犬は自分で道を覚えると言った。それでも顔は晴れない。地図の余白は、人間の知らない場所だけでなく、帰るのを待つ小さな命の場所でもあった。
その夜、避難してきた炭焼きが地図を見て、南斜面に古い薪運びの坂があると話した。兵は喜んで線を描き足そうとしたが、炭焼きは「今は橋がない」と続けた。道の知識にも年代がある。セイルは坂の位置だけを記し、通行可否は未確認と残した。
測量兵は破れた原図を捨てず、乾かして新しい図の裏へ貼った。どこまで知っていて、どこから知らないかを確かめる証拠になる。セイルはその紙を持つ手がまだ震えていることに気づき、温かい茶を差し出した。




