七十日の署名
皇帝レオンハルトの机に、王国軍の臨時参与を記した人事通達の写しが届いた。七十日という期限が目を引いた。戦争の相談役に、あえて期間を設ける。国王が信用していないのか、本人が長く軍にいることを嫌っているのか。皇帝は文書の端に記された名前をもう一度確かめた。
セイル・ラウゼン。王国でSSS級の札を持つ冒険者。若いころ十年間、帰還者のいない灰環島にいたと伝わる。賞金首を討った記録より、遭難者を連れ帰った記録が多い。戦いの勝ち方を語る者はいても、彼が敵にとどめを刺した場面を正確に語れる者は少ない。
「軍師というより、現場の整理役ですな」とクラウスが笑った。皇帝は笑わない。「その整理によって兵が死なぬなら、我々には厄介だ」
もっとも、他国の冒険者の噂だけで戦を止めるわけにはいかない。皇帝は兵の配置を変更せず、地形測量を続けさせた。一方で王国の避難路について、商人から話を集めるよう命じた。軍の動きより、民の行く先にその男の考えが残るのではないかと思ったからだ。
夜、リディアは軍費の追加予算を差し出した。河川工事が遅れ、予備の橋材を買う必要がある。皇帝は金額を削らず、調達先を三か所に分けさせた。一つの町に軍需を押しつければ、そこだけ木材が消える。
人事通達の末尾には、セイルへの給与の記載もあった。皇帝は金額を読んで眉を上げた。王国は彼を買い取ろうとしていない。期限を守るための報酬に見えた。だからこそ、金で引き抜けるという安易な期待は捨てた。
署名を済ませた皇帝は、父の残した革表紙の地図帳を開いた。そこには古い街道も、交易路も描かれている。国境を動かすことは、紙に線を引き直すことではない。線を越えて暮らす人の明日を、同時に動かすことだった。




