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8.世界の秘密と最終決戦

  何日か経って、宮中に大変動が起きる時が来た。

 すでに細部まで許音と智姫が流した噂が浸透していて、覇口に付いていた者達の立場が悪い方へと追いやられていた。そしてその日、宮中へ全ての貴族や公家などが呼ばれた。もちろんそこには覇口もいた。

 覇口は不機嫌な様子で皆が並び座る一番上座に座っていた。顔には正炎に殴られた痣がまだ少し残っている。

 まだ全ての人が来たわけでは無く、後から入ってくる者はその自分の足音に驚き慌てるほど、水を打ったように部屋は静まり返っていた。皆がこれから起こる事態に緊張しているのだ。

  その時覇口は怒りの形相で怒鳴った。

「わしを呼び出すとは一体何事だ!」

  皆が一瞬ビクッと体を震わせる。しかし、皆下を向いたまま動こうとはしない。

「くだらない事で呼び出したのだったら皆即刻解任してやるからそう思え!」

  覇口の形相はますます怒りを増す。その時最後の者が入ってきた。穏かな表情、優雅な動き、静かな物腰。許音である。許音は皆が怯えているのを見てまわし、覇口に向かった。

「叔父上、何を憤っているのです。皆が怯えていましょう。」

「許音め。最近裏で何やら動いているようだが、お前には何も出来んぞ。」

  許音も覇口もこの間の事、覇口の屋敷での件などおくびにも出さずに会話を続ける。

「叔父上、この面々を見て何か感じませんかな?」

「何?」

  覇口は座っている貴族達の顔を見渡した。

「……大臣どもが来ておらんな。摂政の呈太も来ておらんが…。」

  許音はゆっくりと覇口に近付いていっていつもの冷たい微笑みを顔に浮かべた。そして懐から十枚程の手紙の束を覇口に放る。その束は覇口の座っている膝元に落ちて覇口はそれを取り上げた。

「何だこれは。許音よ、少し位顔が利くからと言って、あまりなめた真似をするなよ。」

  覇口は許音の態度が気に入らなく脅し文句を入れた後、許音の放った手紙を取り上げた。そしてそれを一通一通開いて読み出す。

「こ、これは…。な…何と……。」

  覇口がワナワナと震えだし顔色が青くなっていった。

「そういう事です。あなたに付いていた公家や貴族がこぞってその地位を息子に譲り引退しました。」

  手紙を一通ずつ読んでいる覇口は汗を流している。彼自身が王の位に就いていなくてもその最高権力を握っていられた理由に宮中の要所に彼の息のかかった貴族達が就いていたからだ。実際摂政、十二大臣は全て彼の手下と言って良い者達で、彼に批判的な者は身分の高い血筋であっても余り重要な位には就けなかったのである。が、その全ての貴族や公家が辞め、彼の手下と言える人間が全て宮中からいなくなった。

「しかもその息子達というのは皆私と交流のある者達でしてね、あなたの傀儡になる者はもういませんよ。ま、王が決まるまでの間は当分大臣職は空席ですがね。もっとも政治的には安定しているから大丈夫でありましょう。」

 許音は仁王立ちで覇口を見下ろし、その前で汗をかき青ざめてワナワナと震え手紙を握り締めて許音の顔を睨む覇口に益々冷たい表情で言い放った。

「私の好きな人達を殺そうとした罪は重いよ、叔父上。私は高い地位などこれっぽっちも欲しいとは思いませんがね、あなたみたいな人を落す為なら喜んで人々を統括するのですよ。」

「全部…全部貴様の企みか!!」

 覇口が立ち上がり許音につかみ掛かった。が、その近くに座っていた者達がすぐに取り押さえる。

「叔父上、これだけじゃ無いのですよ。」

 数人に押さえられたままの格好で覇口が許音を睨む。許音はそれを全く無視して軽く指を鳴らした。するとバタバタと武装した兵達が覇口を囲む。彼らは都の法と秩序を守る憲兵で、その最上指揮はここに座っている一人、堅物の炭打だった。炭打は立ち上がり、丸めてあった書状を広げて覇口の前で読みあげる。

「覇口殿、あなたには先王弦炎様殺害、及び剣口王子夫妻とその姫君沙詩様殺害、さらにそれより前になりますが朱拳様の殺害の容疑もかかっています。」

  許音は自分の父の名が響いた時ピクンと顔を震わせたが、表情は変えなかった。これは全て香奈枝からの情報で信憑性があり、そしてその情報源である彼女宛てで朱拳や剣口、そして剣口の妻冬姫からの相談の手紙がすでに提出されていた。

  覇口は何も言わずにただ許音を睨んでいる。許音もまた彼を冷たい目で睨む。

「連れて行け!!」

 炭打の一声で覇口は憲兵に両手を後ろで縛られて、その部屋から連れていかれた。全ての怨みと悔しさを許音にぶつけるような目で睨んだまま…。

「正炎よ、此方は終ったぞ。後はお前の方だな…。」

許音はそう呟き、覇口が連れて行かれて開いたままの襖から広がる空を見詰めた。


 丁度その頃、正炎と桜恋は最北の村にたどり着く所であった。最北といっても気候はこの国全てが余り変わらず、これもまた謎の一つではあった。

 春先でまだ風は冷たいが、陽気は良く鳥達が囀り赤や黄の花が咲き乱れ蝶が飛ぶ。空は青く薄い雲が広がる。

「お前の目が見えぬのが悔やまれるな。ここは何て美しい場所なのだろうか。」

 正炎がゆっくりと馬を走らせ、正炎の前に座らせている桜恋に話し掛けた。

「兄様、花の良い匂いです。それに鳥達の囀りはとても心地良い。目が見えなくても美しさを感じる事は出来ますのよ。」

「そうだな。」

  正炎がクスッと笑った。

「それより兄様、余り下を向かないで下さい。お風呂に入っていないので私匂うから…。」

「そんなのは同じだよ。あまりに急いで来たので水浴びさえもたまにしかしてないからな。とりあえず村に着いたら風呂を借りよう。」

「はい。」

 二人は良い景色を楽しむのも程々に先を急いだ。そしてそれから何時間かのちにたどり着いた村に二人は入っていった。

  村は活気があり、また都ほどでは無いが程々に裕福であるようだった。村を歩く人々の顔色は良く、男は精力的で女も笑顔の者が多い。

「あれ?村と聞いていたが、町の様だね。こんなに広くて遠雷殿に会えるのだろうか。」

 汚れている顔、髪、そして服装。皆が正炎と桜恋を見てひそひそと話を始める。笑顔のものまで急に怪訝そうな表情になってしまう。

「兄様、何か変です。」

「そうだね。こんな格好だから怪しく見えるのかも知れないね。」

正炎は怪訝そうに話している村人達を無視して馬を歩ませて行った。するとその前方で立ちはだかる数人の男達に馬を停められた。普通の村人の様だが、皆険しい顔をして睨んできている。

「あの、通して欲しいんですけど…。」

「あんたら、この村には何の用で来た。」

 男達の中で一番がっちりした体格の男が言う。

「あの、遠雷殿という方に会いに来たのですが、この村においでですよね?」

  男達が遠雷の名を聞いて相談し始めた。そしてまた男が言う。

「遠雷様に何の用だ。あの方はおいそれとお会いできるお人では無いぞ。」

「私、正炎と申すものです。この子は妹の桜恋。私の恩人がこの村の遠雷殿にお会いしろとおっしゃいまして、ここまで来たのですが。」

「な、何か持っているか。遠雷様に会う為の証拠があるはずだ。」

  正炎は分かったように頷いた。そして懐から伽奈に貰った小さな銀色に輝く鍵を見せた。

男達がまた相談する。そして少しするとまとまった様子で此方を向くと皆にこやかな表情に変わっていた。

「これは失礼しました。確かに遠雷様の許可のある人ですね。遠雷様はこの村の外れに一人でお住まいになっておられます。この道を真っ直ぐ行って…。」

 男は正炎に丁寧に道順を教え、数人いた男達は解散した。正炎は馬を歩ませて呟いた。

「やはりこの姿を見て怪しいものと思ったらしいな。しかし、伽奈から貰ったこの鍵が通行証とはな。」

 二人は教わったとおりの道を行き、やがて一軒の壊れかけた家に着く。木で出来た平屋で、所々穴が開いていてとても人が住んでいるとは思えない程のぼろ家だ。

  正炎は馬を降り、その家の回りを一周すると呟いた。

「どうやら人は住んでいないようだな。おかしいな村人の言う通りに来たのだが…。」

「兄様、魚の匂いと何か地響きの様な音がしますが…、何ですか?」

「ああ、この家の向こうが崖になっていてその向こうは海だからな。波の音が響いているのだよ。桜恋は海は初めてか?」

  桜恋は少し固い表情をして頷いた。

「海…。母様が教えてくれましたが、何か怖い。」

  桜恋が馬上で自分自身を抱きしめて震えている。正炎は慌てて馬まで駆け寄ると桜恋を馬から下ろし、手を繋いだ。

「大丈夫だよ桜恋。心配しなくても俺がついているから。」

  桜恋は少し震えながらも笑顔で頷いた。

「さて、何処で間違えたかな。この家は無人だし…。」

「兄様、中から人の気配がしますが…。」

  桜恋が首を傾げて言った。

「え?本当に?」

  正炎はそれを聞いてまた家まで近づきその板戸を叩いた。

「誰か何ぞ用かの?鍵はかかっておらんで勝手に入ってきなされ。」

  涸れたた老人の声が中から響いた。正炎はそれを聞いて遠慮無く戸を開けて中に入っていった。中には小柄な老人が一人あぐらをかいて座っていた。瞑想でもやっていたのか目はつむったままだ。服はぼろぼろで汚れた毛皮を一枚。頭の側面に白髪が生えているが、てっぺんは禿げていた。顎に筆の毛先程の大きさと形の白ひげを生やしていて、顔は大きくしわが多い。

「あの、此方は遠雷殿の家と聞いたのですが…。」

  正炎が恐る恐る聞いてみる。その老人は片目だけ開け正炎を見るとまた目をつむった。

「お主は何者ぞ。わしを尋ねて来るとは一体誰の差し金じゃ。」

「差し金って…。あの鋼煉先生に遠雷殿に会えと言われて来たのですが…。遠雷殿ですか?」

「確かに遠雷はわしだが、わしは鋼煉という者を知らぬ。お主、誰やの手先か?にしては少々間の抜けた顔をしておるが。」

  正炎は少しムッとしたが、ふと思い出した。あの舎利視が鋼煉の事を呼んだ名を。

「あの、え…と、昔は峰薫という名だったと思いましたが…。」

 遠雷は両目をパチリと開けた。そして正炎と桜恋の顔を見詰めて言った。

「峰薫…、何か預かっておるか?」

「これを…。」

 銀色に光る鍵を差し出した。遠雷はそれを手に取りしばらく眺めてからまた二人を見た。

「お主ら、正炎と桜恋か?」

 ピタリと自分達の名を当てられて二人が驚いた。

「何故…私達の事をご存知で?」

「そうか…。それでは峰薫は死んだのだな。わしより若いくせに先に逝きおって…。」

  遠雷が天を仰ぎ目をつむり悲しそうに言った。

「どうしてそこまで…。まだ何も話していないのに…。」

「お主達の事は峰薫の手紙で知っていた、王族の血を引く者よ。お前達は何故ここに来たか何も知らされておるまい。」

「はい。都でやらなければならない事が有るのに此方に行けと…、我母が鋼煉先生の遺言だからと…。」

「お前達がここに来たのは王族の乱れから国が滅ぶのではと峰薫が心配しての事だ。戦が無くなって数百年余り、完全な安定は時によって綻び不安定を呼ぶ。峰薫はそれが今だといつも言っておった。」

「しかし、今は王族の乱れであって、民は皆安定し平和に暮らしていますが…。」

「今はそうかも知れぬが、王族の乱れはいずれ滅びの道を行く。峰薫はその傾向が出た今、まだ民衆に乱れの影響が出る前にその綻びを直そうと思っていたのだ。」

「はあ…。」

 正炎は良く分からず戸惑った返事をした。

「お前達にこの世の全てを教えよう。この地のカラクリを…。」

「からくり…ですか?」

  正炎が哲学的な話になると思い身を引き締めた。桜恋はやはり正炎の袖を掴んだままで聞いている。

「こんな所で哲学や神学を語ろうとは思わんよ。ところでお前達はこの村を通って来て何か気付いた事は無いか?」

 正炎が考える。豊かで笑顔の多い良い村の様に感じたが、不思議な事は別に思い浮かばなかった。

「別に…。」

  正炎が言いかけた時桜恋が言う。

「あの…、匂いが…。」

「うむ。気付いたか。」

  ニヤリと遠雷は笑った。

「なんだい桜恋、匂って。」

「あの、母様が教えてくれたの。人の住む場所は必ずその村特有の匂いがするって、村人の生業からの匂い、暮らす場所からの匂い。他にも沢山の匂いがするって。この村に来る前の村や町ではそんな匂いがしていました。でもこの村はそういう匂いが全然しなくて…。潮の匂いですらこの家の近くまでしなかったの。」

 正炎はこの家の前に来てから桜恋が魚の匂いと言ったのを思い出した。

「そうだ。これから言う事は多分お前達は信じないだろう。あそこの人間は正確には人間では無い。わしが作った人形みたいな物だ。」

 正炎は遠雷を狂った人物の様に思い顔を顰めた。

「嘘だと思うか?しかし、あれは人間では無いのだ。喋って歌って食べて寝て、しかし、彼らに心の臓は無く、年も取らない。わしは自分で作り出したにも関わらず一緒に暮らす事も出来ず一人でこの外れで暮らしておるのだ。」

「自分が神とでも言うつもりですか。それとも魔の者と…。」

「兄様、私分かります。あの人達凄く不自然だったの。気配が無いっていうか人の匂いも無かったし…。」

「お前まで何を言っているんだ?気は確かか?」

 正炎は桜恋の両肩を掴んで軽く揺らした。

「わしは自分を神とも魔の者とも思わんよ。百聞は一見にしかずじゃな。わしに付いて来なさい。」

  遠雷は立ちあがりその後ろの扉を開き、中に入っていった。正炎は仕方なく桜恋の手を取りその後に続いた。

  扉を入るとすぐに階段になっていてた。人が二人横になれば一杯のこの階段は両脇の壁が岩の様で触るとしっとり濡れていた。所々に置いてある蝋燭の明かりが階段を照らすが、これもカラクリになっていて、人が来ると点き人が通りすぎると消えた。

「兄様…。」

 桜恋が冷たい風と少しかび臭い匂いに怯え、正炎に体を寄せて繋いでいた手をギュッと握る。

「大丈夫だよ桜恋。」

  正炎はそう言って桜恋を慰めたが内心は自分も不思議な恐怖に襲われていた。自分の考えられる範囲を超えている異常な物を感じた時の恐怖だ。

  三人は地獄へ通じているかと思われる程の長い長い階段を降り続けていった。どの位降りたろうか。実際は二・三十分位なのだろうが、正炎と桜恋には何時間も降り続けた感じがあった。やがて階段が終り、大きな扉が鈍い光を放ちその先を閉ざしていた。

 遠雷はその扉の横に設置してある、磨かれて鈍い光を放つ立方体の石の様な物体に手のひらを置いた。するとチキチキと小さな金属音が響き、カチリッと扉から音がした。

「開いたな。中に入ろう。」

遠雷はその大きな扉を押して開くと中に入る。二人もそれに続いたが、一歩そこに踏み込んだ時正炎が叫んだ。

「なっ、何だこりゃ!!!」


  「神官長、この村に二人が入ったのを確認しました。行きましょう。」

雅童が頭を下げて言った。神官長、舎利視は馬上で頷き馬を歩ませる。その後ろに雅童が歩いて続き、さらにその後ろに十数名の陰の者達が続いていた。そしてその最後尾の馬上には器用に横になっている虎口がいた。

 彼ら一向は無言で村に入っていく。笑顔でいた村人達がまた顔を引き攣らせひそひそと噂話をし始めた。そしてその一本道の中ほどで前に正炎達の前に立ちはだかった男達が今度もまた立ちはだかった。

「この村に何の用だ。」

  やはりその中のがっちりとした体格の男が言う。

「遠雷という男を捜しているのです。それと先程ここを通った男女の一組を。何処にいます?」

 舎利視が冷ややかな面持ちで言った。

「遠雷様に何の用だ。あの方はおいそれと会える人物では無いぞ!!」

「私はあの方の弟子だった男です。師に会う為にはるばる来ました。」

「それではその証拠を見せて貰おうか。」

「証拠?」

 舎利視が怪訝そうな表情をして黙ってしまった。

「それが無ければここを通す事は出来んな。お前は遠雷様に会う事を許された者では無い様だ。この地から立ち去れ。」

 舎利視は馬上からその男を冷たく見下ろすと右手を上げた。すると後ろで待機していた陰の者達が一斉に動く。そしてその男達を一瞬で囲んだ。

「何をするか!」

  囲まれた男達が叫ぶ。

「私は無駄な時間を使うのが嫌いでね。死ぬのが嫌ならこのまま大人しく通してもらいましょう。」

 舎利視は冷たくそう言い放つと馬を歩ませ男達の横を通ろうとした。

「そうはさせない!」

  男の一人が陰の者達の隙間から飛び出そうとした。しかし、その瞬間その男は胴を真っ二つに切られ上半身と下半身に別れた。後ろから陰の者が切ったのだ。そして、その血しぶきがそこら一面に飛び散る。それは舎利視の体にも少しかかり、舎利視は口を押さえ目を見開いた。血がかかった事で怒ったからではない。

「うわあ!!」

  切った陰の者が狂気に包まれて一瞬にして発狂した。何故なら真っ二つに切った男の体から吹きだしていたのは黄色に輝く液体だったから…。

「人間…では無いのか…。」

 舎利視はそのおぞましさに初めて冷静さを失った。そしてうろたえている陰の者達に甲高い悲鳴に近い声で命令した。

「こ、殺しなさい!燃やしなさい!この村の者達を全て!!」

  その声で陰の者達が自分を取り戻し動き始め、逃げ惑う人々を切り付け始めた。皆黄色の液体を吹きだして倒れていく。

  舎利視はおぞましさにフルフルと震えて吐きそうになってしまっている。そこへ虎口の馬が彼の馬の横に付けた。

「何だ何だ、情けないな御老人。たかが人の血の色が黄色なだけじゃないか。これだからくだらぬ学問をやっている者達は困るぜ。軟弱でよ。」

  虎口はニタニタと笑って、近くに震えて伏せている子供に槍を投げつけた。それは鈍い音と共に子供の背に刺さり、やはり黄色の液体を傷口から吹きだして絶命した。

「クククッ、人間じゃ無いな、こいつら。魔の者かそれとも新しい動物か。どっちにしろ良い暇つぶしになったぜ。」

  虎口が楽しそうに言う。しかし、この異常な状況で陰の者達が次々と狂いだした。人を殺す事さえ何とも思わないこの連中が余りにも常識から外れた物に頭がついていかず気がおかしくなっていったのだ。  

 陰の者と言っても元は学問を志していた神官達である。常識から外れた物を頭の中から除外しようとする無意識の作用が有って当然だった。

  回りにいた大方の村人を殺した時には陰の者達はほとんど発狂していて自殺する者や味方同士の殺し合いをする者達が相次いだ。

「あぁあ、何とも情けない姿だな。あんたの自慢の者達もああなっては無様なだけだぜ。」

  舎利視は吐き気を押さえ青白い顔をしながらも正常を取り戻し言った。

「行きましょう虎口殿。」

「おいおい、ほっておくのか?あんたの部下達だろ?」

「ああなっては使い物になりませんでしょう。私達は目的にそって遠雷を、あなたは正炎を捜しましょう。」

舎利視はそう言うと馬を走らせた。早くこの異常な光景から逃げたかったのだ。

「ふん、いくら偉そうにしていても所詮はこの程度か。」

 虎口は呟きそれに続いた。


  「ここが禁断の扉の向こう側じゃ。」

  遠雷が驚いている正炎を見てニヤリとした。

「兄様、何を驚かれているのです?ここはどういう所なのですか?」

 桜恋は驚愕している正炎の袖を引張って言った。

「こ、これは…、神の…神の国ですか?遠雷殿。」

「兄様、教えて下さい。この小さくチキチキと鳴っているのは何?この匂いは一体何?」

 桜恋がまた正炎の袖を引っ張り聞いた。正炎はハッと桜恋に気付き説明する。

「桜恋、…何と説明して良いか…部屋の中ほどから向こう側が夜空だ。星々が輝いている。そして部屋自体は何やら得体の知れない火がチカチカと光っていて何か動いている。」

「?」

  桜恋が分らないという表情をした。分かるわけが無い。その部屋は常識では考えられない状態である。

 簡単に説明すると部屋の大きさは大きな家ほどありその真ん中までは床と壁と天井がある。しかし、その向こう側は壁や天井そして床がちぎれた様に無くなっていて、そこからは宇宙空間が広がっていたのだ。部屋のこちら側には黒い機械が壁に埋め込まれ並び、それがチキチキと音を立てている。

「神の国…そうでは無い。これはこの国、いや世界の秘密だ。そして我らが先祖が使っていたカラクリ達じゃ。」

「我らが先祖?神の持ち物では無いのですか?こんな訳の分らない物…。」

「ここに書物が沢山有ってな、それは全て古代文字で書かれたこのカラクリの説明であった。わしはそれを読む為に長い間費やしてそれを全て解読した。」

「そ、それではここの者を遠雷殿は使う事が出来るのですか?」

「うむ。それで試しに作ったのが村にいた人々じゃ。元々ここには村は無かったのじゃが、作った人を住まさせて人として生活させたのじゃ。魂を持っているが如く動き喋り歌い笑う。しかし、それはそうわしが教えた事を忠実に行なっているだけで決して自分達の意思で動いているのでは無い。村が出来るまでわしが、あれをやれこれをやれと一々命令して、村が出来たら人の様に暮らせと命令した。が、やはり本物の人では無い。わしはその中で生活する事に辛さを感じて、この外れの禁断の扉のある階段の上に建物を建て、一人で暮らす事にしたのじゃ。」

 正炎は青い顔で遠雷を見た。この男は神の如く人を作り出したのか。それらが自らの意思を持たぬとしても神を畏れぬ所業。桜恋も正炎に抱き付きブルブルと震えていた。

「そんなに怖がるな。わしとてそれが間違えと気付いておるのだから。それより、その子をその机の上に寝かせなさい。」

  部屋の端に置いてある机を遠雷が指差した。しかし、桜恋は正炎の陰に隠れブルブルと震えて出てこないし、正炎も一歩二歩後ろに下がった。

「何をしている。その目が見える様になりたくは無いのか?」

 その言葉に桜恋がピクッとする。

「そのカラクリでこの桜恋の目が見える様になると言うのですか?」

「峰薫からの手紙ではその目はショックによる神経系の伝達拒否により起こっていると書いてあった。恐らく何かのショックで見る事を拒否して神経系に異常が起こったのであろう。このカラクリにかかれば一発で直る。」

  正炎は後ろに隠れている桜恋の顔を見た。それを感じたのか桜恋が正炎に言う。

「兄様、私は目が見えなくても一向にかまいません。けれど、兄様のお顔を…大好きな兄様の顔を見る事が出来るようになるなら、微かな望みでも受けてみたいと…。」

  正炎は桜恋の決意を見て、頷いた。

「確実だと言っておるのだがな…。」

  遠雷が不愉快そうに呟いた。

「一つだけよろしいか。そのカラクリで桜恋が変わってしまうと言う事は無いでしょうね。」

「そんな事があるか。目をちょいと治すだけだ。早くそこに寝かせなさい。」

 苛ついて言う遠雷に頷き桜恋の手を取ってその机に寝かした。桜恋が心配そうな表情で正炎の手を離そうとしない。

「大丈夫だよ。ずっと近くにいるから。」

  正炎の優しい言葉に頷き桜恋は恐る恐る手を離した。

「ちょっとの間だけじゃ。心配せずに後ろに下がっておれ。」

 正炎が頷き後ろに下がると遠雷は近くのカラクリの鍵穴に正炎が持ってきた鍵を突っ込み回して、その後その横についている沢山の突起を操作し始める。すると天井が開き大きな鏡が降りてきた。鍵はこのカラクリを使う為の物らしかった。しかし、そんな事を気に止める余裕は正炎には無い。心配そうに桜恋を見つめる正炎をよそに遠雷が更に操作すると鏡が光だし、桜恋は意識を失った。そして光は細い線となって桜恋の目を直撃した。

「遠雷殿。」

「大丈夫じゃ。後ろに下がっておれ。」

 正炎がまた頷き後退さった。遠雷はそれを見て注意する。

「お主、その線より向こうには行かぬ事じゃ。そちらはまさに神の世界。生きては帰ってこれぬぞ。」

遠雷の言葉に地面を見た。両脇の壁から赤い線が引かれていている。その向こうにもかなりのカラクリが置いてありその更に向こうに宇宙が広がっていた。

「人が居れる場所は案外少ないのじゃ。恐らくこれと一緒の物が神の家の禁断の扉に有るのだろうが、あそこはここと違いさらに強固な鍵がかかっておる。」

 その話で正炎が思い出した。

「そうだ遠雷殿。その扉を開けようと神の啓示を受けた者を舎利視が追っているのです。王の決まっていない今、舎利視は王族を狙って私も危ない目に合いました。そして、今度は王族の智姫様にただ顔が似ていると言うだけでこの桜恋が狙われているのです。本当の王を見つけ出し舎利視の企みを阻止したいのですが何か知りませんか?」

「舎利視…。あやつ都に戻っておるのか。そして禁断の扉を開けようと…。あやつは前に王族を殺そうとして、それで追放したのだ。あやつの欲はとどまる事を知らぬ。もし禁断の扉を開け全ての事を知ればそれを使い神の如くこの世界を混乱に導くであろう。決して奴にこの秘密を明かしてはならぬ。」

「ですから、本当の王になられるお方を保護して匿わなくてはならぬのです。何か知りませんか?」

 遠雷は腕を組んだ。桜恋の目を治しているカラクリは自動で動いている。

「お主は神の啓示という物がどういう物か知っておるか?」

  正炎は首を横に振った。

「そうであろう。神の啓示の事を知っているのは神官でも限られた者だけ、王族にいたっては啓示を受けた本人以外は知らないであろう。そして、それを正確に知っているのはこのわしだけじゃ。」

  正炎は自信満々で笑う遠雷の顔をじっと見てしまう。

「まず、神の啓示という物は遥か昔、このカラクリを作った人間達がこの地で暮らしていく為に一人の統率者を選ぶ為に作った仕掛けじゃ。ここからは専門的な話になるが、わしも理解していない部分もあるで、聞き流して聞けよ。」

 正炎が頷いた。

「統率者が選ばれこの地で生きようとしたその人達は自分達の子供にこのカラクリの存在を知らす事を止めた。この地に必要でないと判断したか、全てを捨てて生きると決心したかは分からぬが。しかし、何かの拍子にそのカラクリを必要とする事が或るかも知れない。それで統率者の子供に遺伝子操作を行い…。」

「遺伝子操作?それは何です?」

  正炎は聞いた事の無い単語が出てきたので思わず話の腰を折って聞いてしまった。

「そんなのは知らぬ。そう古文書に書かれていたのじゃ。言っておくがわしも書かれていた通りに喋っておるだけじゃから分からぬ事ばかりじゃぞ。余計な事は聞くでない。」

「はあ、すみません。」

  正炎は質問をするのを止める事にしてそのまま最後まで聞く事にした。

「えっと、どこまで話したか…、そうそう、遺伝子操作をしてそのカラクリの置いてある扉を開ける鍵をその血に残した。しかもそれはある一定の条件が揃わなければ鍵としての役目を果たさないようにされており、その条件というのが統率者になるという事じゃ。しかも統率者として選んでおるのは、おそらく神の家の地下に眠る禁断の扉の向こう側にあると思われるこれと似たようなカラクリであるとわしは思っておる。フー。」

  遠雷は一気に話すと大きく深呼吸をして、「質問は?」と正炎に聞いた。

「あ…、えっとそのカラクリが神の啓示をしているという事ですよね。」

「そういう事じゃ。ここの様に簡単に開くような物ではなかったからな、とんでもない物も置いてあるかもしれない。ここは医療のカラクリしか置いておらぬのじゃが、それでもあんな人に似た物を作りだす力が有る。あそこだけは開けてはならぬとわしは思うな。それこそこの世の終りが来る時以外はな。」

  正炎は真剣に頷いてから、ハッと気付いた。

「それでその神の啓示を受けている人をご存知なのですか?」

「知っておるとも。お前さんと一緒に来た可愛らしい御婦人がそれである。」

「御婦人?って、まさか…。」

 正炎の顔が険しくなっていく。それと反対に遠雷はにやけていった。

「そうじゃ。そこに眠る子こそ次の王、そして初めての女帝となるであろう子だの。」

「う…嘘…。」

「嘘では無い。わしが確かめた訳では無いが峰薫はそう言っておったぞ。湯に入ると桜の痣が浮かび出るってな。それこそまさに神の啓示。」

「そ…そんな。し、しかし、桜恋は王族では無いはず。」

「王族じゃよ。おそらく惨殺された剣口殿の娘じゃな。峰薫の話では、剣口夫妻の死体は挙がったが一人娘の沙詩の死体は挙がらなかったと。ただ、その何日か後に子供の死体が川から見付かったらしいのでそれが恐らく姫君ではなかったかとの噂は流れたらしい。が、本当の姫君はお主が拾ってきたというわけじゃな。」

「嘘…。」

  正炎は呟き机に寝ている桜恋を複雑な表情で見つめた。今まで一番近くにいた桜恋がいきなり遠くに行ってしまった気分がしていた。しかし、それは正炎が王族と知った時の桜恋の気持ちと同じである。

「クククッ、何じゃ寂しいのか?今まで一番近い存在だったのにな。」

 遠雷がニヤニヤと笑った。

「そ、そんな事では有りません。それに、私と従兄弟っていう事じゃないですか。寂しいなんて…。血の繋がりがあって余計に近くなった気分ですよ。」

  口を尖らせて言った。

「それより、治療は終ったのでは無いですか?桜恋に当たっていた光はとうに無くなりましたが?」

「うむ、とっくに終っておる。後は目が覚めるのを待つだけじゃ。どうかの?この子は初めてお主の顔を見るのじゃぞ、不安じゃないか?」

 遠雷がニヤケてそう言うと、正炎は急に不安になった。「きゃー!!あなたは兄様じゃない!!」とか「怖い顔!!」とか「汚い顔を近づけないで!!」とか、言われたらどうしよう。正炎はまるで片思いの女に告白するような気分に包まれた。いや、こんな不安は今までなかったかもしれない。

「遠雷殿、私の顔は汚れておりませんか?何せ数日前から風呂にも入っておらぬのです。」

「汚いぞ。」

  遠雷は一言でかたずけた。それを聞いてますます不安になる正炎。その時、桜恋の手がピクリと動いた。

「ウ…ン…。」

 小さく声を出し、そして目をつむったまま上半身を持ちあげた。

「大丈夫か?桜恋。」

  心配そうに正炎が声をかける。

「大丈夫です。でも、目を開けるのが怖いです。」

「大丈夫じゃ、いいからさっさと目を開けんかい。」

  遠雷の声に頷き桜恋は恐る恐るまぶたを開いた。そして大きな瞳が二人を見つめると表情を変えて叫ぶ。

「兄様後ろ!!」

 ハッと後ろを向く正炎。扉の陰で矢を放つ瞬間の舎利視の姿があった。とっさに桜恋の方へ飛び、桜恋を抱きしめ盾になった。ドゥンと鈍い音が響く。

「ウグッ!!」

 苦しそうにうめく声。そして遠雷が倒れた。

「しまった。」

  舎利視が渋い表情で慌てて次の矢を装填しようとする。しかし、それを待つほど正炎は鈍くない。一瞬で駆け出し舎利視に近づき拳を打ち込もうとした。が、その拳は舎利視に届かなかった。その後ろから大きな腕が伸び正炎の手首を掴んだからだ。

「正炎、久しぶりだな。今日こそ決着を付けるぞ。」

  ヌッと出てきたのは虎口であった。

「虎口…様。何故ここに。」

「簡単よ。お前に智姫を取られた怨みとこの間の借りを返す為にだ。」

「そ、そんな事の為にこの舎利視と組んだのですか!虎口様!!」

  虎口は舎利視の襟首をヒョイと掴むと後ろに下がらせた。そして正炎の腕を掴んだまま部屋の中に入ってくる。

「そうとも。お前にとってはそんな事だろうが、俺にとっては人生をかけるに値する物さ。俺はその為にくだらん修練を一からやり直したのだからな。お前を殺し智姫を再び俺に手にいれる為……。」

 その時、虎口が表情を変え、そして正炎の腕を掴んでいた手が緩んだ。瞬間正炎が腕を引き抜き大きく後ろに飛び間合いをあけた。

「智姫殿…。」

 どうやら桜恋を見てそう思ったらしい。目を見開いて呆けている。

「智姫様じゃない。」

 正炎が虎口に言った。虎口がキッと正炎を睨む。

「嘘を言うな!あれが智姫殿で無くて誰なんだ!」

「俺の妹の桜恋だ!」

 正炎が虎口を突き飛ばし腰に帯びていた剣を構えた。虎口も慌てて槍を構える。そして次の瞬間、二人の激しい戦いが始まった。


 二人が戦っている横を摺り抜け舎利視が倒れている遠雷の横に立った。

「ウウウッ、貴様、舎利視。」

  遠雷は今だ意識はあって右肩と胸の間に突き刺さっている矢を引き抜こうとしていた。

「ククククッ、神官長遠雷様。お久しぶりでございます。矢は急所を外れたようですね。」

「お前はまだ分からぬか。禁断の扉を開けてはならぬのだ。」

  舎利視は遠雷に背を向け、部屋の向こう側に広がる宇宙を眺めて呟く。

「これが神の力、これが神の国…。」

「何を言っている。この力は使ってはならない。お前の様に歪んだ奴は特にな!」

  舎利視はその言葉に怒ったのか、急に振り向くと遠雷の横に座って遠雷に刺さっている矢を掴みグリグリとこねくった。

「ウギャー!!」

「何をするの!!」

  桜恋が舎利視に走って体ごとぶつかっていく。が、舎利視は立ち上がり桜恋の顔を平手で思いきり張り飛ばした。桜恋は後ろのカラクリに飛ばされ大きな音と共に気を失った。

 舎利視はその後冷たい表情で遠雷を睨んむ。

「遠雷様。この村の人に似た者を作ったのはあなたでしょう?あんなおぞましい物をここで作りながら、私にお説教ですか。」

 遠雷が痛みに意識を失いかけながらも舎利視を睨んだ。

「しかも、あの娘の目が見えるようになってますね。これで治療ですか?使うなという割に自分は楽しんでいらっしゃるようで。」

「村人達は確かにわしの過ちだった。だからこそわしは彼らを見守りそしてここに一人で暮らしておる。」

 舎利視がニタニタと卑らしく笑った。

「もうその必要は無いですよ。あなたの作ったあのおぞまし物は私の部下が全て排除しましたから。もっともそのおかげで私の部下達も皆狂ってしまいましたがね。」

「……殺したのか…。何てことを…。」

「殺したなんて言わないで下さいよ。ただ壊しただけですよ。あれは生き物では有りませんからね。」

「あれらは生き物だった。いや確かに意思を持たずに私の命令しかしない者だったが、生きる為に食べて飲む物だった。…貴様と言う奴は…。」

  遠雷が目に涙を溜めて睨む。

「もうそれは良いでしょう。それよりここの使い方を教えて貰いたいですね。今後の為にも。」

「誰が貴様などに…。」

  舎利視がまたしゃがんで遠雷の矢をグリグリとこねた。

「うぎゃー!!」

「どうせ教える事になるのだから痛い目に合わないうちに言ってしまった方が良いですよ。遠雷様。」

「ふん、教えても貴様には興味の無い物しかここには無いぞ。何といってもここは治療のカラクリしか無いからな。」

「まあ、確かに治療に興味はありませんが、あの娘を連れていって神の家にある禁断の扉が開けば、ここで分かった事が使えるかもしれませんし、あなたが作ったあのおぞましい物には多少興味が有るんですよ。大量に作って戦に使うと言うのも一興ですしね。」

「相変わらずの愚か者よ。お前がいくら野望に燃えてももう年よ。後何年生きられるつもりだ?もう全てを止めて隠居をしろ。」

「知らぬ訳でもあるまい?あの禁断の扉の向こうにあると言われている不死の薬。私はそれを飲んでこの世に君臨するつもりですよ。もっともそれは全ての謎を解いた後の暇つぶしにですがね。」

「馬鹿め。不死など手に入れても後悔するだけだ。」

「あなたの説は聞いてないのですよ。私は命令しているのです。この部屋に有るカラクリの扱いかたを…。」

そう言うとまた矢をこねくり回した。

「うぎゃー!!」

遠雷はそこで気を失った。舎利死は大きくため息を吐いて冷ややかな目で遠雷を見下ろした。


 正炎と虎口の戦いは佳境に入っていた。二人とも所々の服が切り裂かれ、その下の肌に出来た切り傷から血が滴っていた。疲れはピークに達していて二人とも目が霞む直前である。汗と血が地面を染めてそれでも二人は対峙したまま構えを崩さない。

「はあ、はあ、さすがにやるぜ。武術大会優勝は伊達じゃないようだな。俺もくだらん修練をしてきた甲斐があったというものだぜ。」

  息を切らして虎口が言う。表情は喜びに溢れている。

「はあ、はあ、あんたがいくら俺を倒そうとしても無駄だ。俺には守るべき者がいる。それを守る為にはここで死ぬわけにいかないのでな。」

  やはり息を切らして正炎が言った。

「あの女がお前の妹かどうかは知らぬが、ここは都では無いから邪魔は入らない。お前を殺してあやつを俺の手込めにするからお前は死ね。」

「ふざけるな!!」

  ほとんど受けに入っていた正炎が感情に任せて攻撃した。その鋭い攻撃も、虎口は槍の柄で軽く弾く。そして逆に隙を衝かれ虎口の矛先が正炎の体を突いた。間髪避けるが、脇腹の皮が裂けまた傷ができて血が流れる。

「ウグッ!」

 少し傷が深かったようで正炎は脇腹を押さえて二・三歩下がり間を開けた。

「クククククッ、お前の最後が近付いたようだな。安心しろあの娘は手込めにはするが、殺さずに俺の愛人として可愛がってやるから。」

  正炎がまた怒り剣を振り回す。しかし、それも簡単に弾かれ、また攻撃を受けた。

「アグァ!!」

  正炎の叫び声がまた響く。

「アハハハ!惨めな格好だな正炎。しかし、こんな事なら智姫も正攻法で行かずに手込めにしておくんだったよ。いや、今からでも遅くないな。お前の妹が愛人で智姫は正妻ってのもいいな。夜がさぞ楽しかろうて。」

「ウオーッ!!」

 正炎が一声を上げ剣を突きに行った。

「馬鹿め最後だ!」

正炎の突きを軽く避けると槍を振り回してその柄を正炎の脇腹に叩き入れた。正炎は口から血を吐きその場に崩れ落ちて動かなくなる。

「はははは、とうとう勝ったぞ。この虎口が勝ったぞ!!」

  虎口は歓呼して倒れて動かなくなった正炎の所に来るとそれを更に蹴り飛ばした。そして、それでも動かない事を確認すると、部屋の端で倒れている桜恋の方に歩いて行った。

「クククッ、なるほど、近くで見ると智姫よりまだ幼いな。手込めにするには後二・三年は必要だが、智姫を抱きながらそれを待つのも一興だな。」

 虎口は気絶している桜恋のあごをしゃくり上げてニタニタと笑い眺め続けた。

「虎口殿、その女子にはまだ手を出さないで下さいよ。神の啓示を受けている貴重な娘なのですからね。神の扉を開けるまであなたに預けるわけに行きません。」

「おい神官長よ、俺は命令されるのが大嫌いだ。命令するんじゃねぇ。大体俺の好きな女に似てるからといってもまだ子供だぞ。二・三年は待ってもう少し大人になったなら手込めにもするが、それまでは手をださねぇよ。」

「全く、神の啓示を受けた、と私が言った所で少しは驚いて下さいよ、つまらない。」

 舎利視は虎口に桜恋が王族だとは言っていなかったのだが、虎口は相変わらず興味が無いようだった。

「ああ、驚いた。これで良いか?誰が神の啓示を受けたって俺には関係ない話だ。しかしこの女も王族か?智姫と似ているのもそれで納得という訳だな。」

「言って置きますけど、そこであなたが倒した正炎もまた王族なのですよ。あなたの従兄弟という事になりますが…。」

「興味ねぇって。つまんねぇ事いつまでも言ってないで用事を早く終らしてくれないかね。俺の方は終ったからもう帰りたいんだが。」

「分かりました。それではこの方にとどめをさして帰りましょうか。どうせ気が付いても私が知りたい事を教えてくれるとも思いませんしね。早くあの娘で扉を開けて私自身が研究をした方が良策でしょう。」

 舎利視がそう言うと虎口はニヤリと笑って槍を振り上げた。その時、虎口は後ろから強烈な衝撃を受けて舎利視の上へ倒れた。

「何だ?」

  虎口が倒れたままそちらに目を向ける。するとそこには血だらけの正炎がボロボロの姿で立っていた。

「まだ生きていやがったか。」

 虎口が険しい表情で立ち上る。そして槍を構えようとしたその瞬間、立っているのがやっとと思っていた正炎が凄まじい速さで虎口の腕の内側に潜り、拳を繰り出した。

「おらーっ!!!」

  余りの速さと、その威力に虎口は飛ばされ、更に槍も手から飛ばされた。地面に何度か打付けられ壁に当たって止まった。虎口は怒りの形相ですぐに立ち上ったが、その時口から大量血を吐き出した。恐らく内臓のどこかが潰れてしまったようだった。

「貴様ぁ!この俺に…許さん!!」

 虎口はそう言って二歩三歩前に歩くと、突然また込み上げてきた吐き気に血を吐き出し、そのまま倒れてしまった。そして地面の上でゴボゴボと血を吐き続け、そのまま動かなくなった。

 正炎はすでにそちらを見ておらず、舎利視の方を向いていた。しかし、先程の攻撃が全ての力だったのか、舎利視を霞んだ目で睨むだけで動けないようだった。

「正炎殿、何を怖い顔をしていらっしゃるのですかな?あなたももう死ぬのですから、余り怖い顔をなさらず、にこやかに死んで下さい。」

  舎利視が立ち上がり虎口の落した槍を拾った。そしてそれを正炎の胸に合わせて構える。

「それではサヨナラ。」

「待て…、舎利視。」

「何です遠雷様。カラクリの動かしかたを教えてくれるのですか?」

「…教える。だ、だから、その男は殺すな。」

「今更命乞いですか?まあ、いいでしょう。あなたが嘘をつかずに教えてくれればこの男は殺しませんよ。」

 遠雷は傷が痛むのか辛そうな顔をして頷いた。

「…、まず、わしの後ろに並ぶカラクリの箱を動かさなければならない。そっちの壁に並んでいる突起の中の紅の物を押す。それが全てのカラクリの起動の物だ。」

 舎利視はその壁まで歩いていき遠雷の言う通りに恐る恐る紅の突起を押した。すると、小さな音を奏でていたカラクリの箱達が、一斉に目を覚ました様に大きな音と光を出し始めた。

「うあっ!!」

 舎利視は驚いた声を出すと、正炎の前まで走っていき、槍を構えて言った。

「遠雷様!う、嘘を言ったらこの男を殺すと言ったはず。」

「嘘では無い…あそこを見てみろ。古代文字が表示されているだろう?」

 遠雷は震える手で巨大なカラクリ箱の上部に設置されている、光っている硝子の面を指差した。確かに何やら文字を映している。

 舎利視はまたそこまで歩いていき、映し出されたその古代文字を読み出した。

「なるほど、確かに嘘ではなさそうだな。準備完了と出ている。それからどうするのだ?」

「次に何をやりたいか一文字づつ書いてある突起群を文になるように押していく。」

  舎利視が頷いてそれを押していく。

「そうですね、これはどうだ。“不老不死”」

 するとすぐに答えが帰ってきた。

「ここの設備では不可能と出ましたか。やはり駄目の様ですね。それでは“若返り”では?」

  また答えが出る。

「おお、若返りは可能ですか。それではその方法は。」

 舎利視が嬉しそうに突起を押し続けている。そして難しい顔をして遠雷の方を向いた。

「遠雷様、“雷光電子”が無いと出ましたが、それは何です?」

「……あそこの壁に掛かっている小さな透明の板の事だ。何をやるにもあれが必要で、一回何かに使うと割れてしまう。さっきその子の目を治した時に入れてあった物が割れたのじゃ。お前の右手にある扉を開けて壊れたのを取り外し新しいのを入れるのじゃ。」

 舎利視は右手近くに有る小さな扉を開けた。確かに半分に割れてしまっている透明の板が入っていた。

「なるほど、ここにあれを入れるのですね。」

 舎利視は壊れた板を取りだし地面に捨てた。そして新しい物を取る為にそこへ歩いていく。

 そこは遠雷が正炎に注意していた赤い線の向こう側であった。しかし、舎利視はそんな事も知ぬから平然と歩いていって、丁度その線の前で停まった。そして遠雷に向く。遠雷がビクッとして視線をそらした。

「言っておきますけど私をはめようとしてもその男を殺しますからね。」

 遠雷が視線を逸らしたのもあまり気にせずにそう言うと、舎利視はそのまま歩いてその線を越えた。

「愚かな奴じゃ。さらば舎利視よ。」

 遠雷が呟く。舎利視はその線を越えた途端、体が宙に浮いて自由が効かなくなり、顔は苦しそうな表情になった。そして手足をバタバタとさせ、悲惨な表情で何か言おうと口をパクパクとさせたが、次の瞬間体中が膨れて目は飛び出し穴という穴から血が吹き出し無残な姿で絶命した。そしてその遺体はゆっくりと星々の世界に浮遊して行ってしまった。

「罪深きかな。しかし、仕方ない事ではあるな。そう思うであろう?正炎。」

  遠雷が正炎に声をかけたが、正炎はもうその時意識を失う直前でそのまま体が前に崩れていった。


  音が急に無くなり、部屋の向こう側から正炎が倒れていく姿が見える。ヨロヨロと起上がり正炎に歩み寄る遠雷、そして意識を取り戻し何か叫びながら走りよる桜恋の姿も。

  ここが何処かは分らないがそれを映している硝子面に、ピピピピッとそこに文字が出た。

“ポイントAX575…宇宙船ドック…停泊船セレネレス…マスターコードを確認…警戒防御ライン確保…警戒態勢解除…・”

 その後映し出されている映像は正炎達がいる部屋から宇宙側へとズームアウト。徐々に離れていく。

 正炎達がいる部屋が小さな半壊した箱型の宇宙船だと分かる映像になり、さらにズームアウトする。映像はやがて地表を映し出し星の全景を映し出した。

 海が多い青く光るこの星の全景は異様な物でその表面は大気に包まれていて少しぼやけている。が、正炎達がいた場所を境に星の半分がかけていた。いや、かけているというか三分の一が陸地と海、三分の一が球を形取る網目の骨組み、そして最後の三分の一はそれさえも出来ていない。その出来ていない場所からこの星の内部が空洞だと分かる。

骨組みの場所は点々と無数の光を発していて何やら動き回っている。

“ポイントGGY357…開発地区…状況確認…。”

  画面に文字が映し出され、さっきまで正炎達を映していたカメラがそちらに移る。すると今度はその地区をズームインして骨組み個所の状況が写し出された。それは四つ足の平たい金属で出来た機械達が無数に蠢き、資材を作り、運び、組み立て作業を淡々と続けていた。目に当たるセンサーがチカチカと光っている他は、無機質な動きで暖かみなど全く無い物だった。カメラはまたズームアウトし、全景を写し出す。

“作業行程…401518日…人工植民惑星マリス進行状況52%…全行程終了予定…393828日後…引き続き作業続行…停止命令変更命令共に無し…”

  ジジジジッとカメラが色々な場所を映し出し、星の回りに沢山浮いている小さな丸い衛星も映し出した。やはり大型のカメラレンズがそこから突き出ている。恐らくこの機械と同じ作業をしているのだろう。

三分の一だけ素晴らしく美しいこの星が画面に映し出されいる。それは美しい宝石の様な物で、全てが完成したらきっと宇宙の宝石の様に輝くであろう。


「美しい…宝石の様に…。」

「兄様!!兄様!!!」

 正炎が桜恋の泣き叫ぶ声にうっすらと目を開けた。

「あれ?桜恋…ここは?」

  意識がはっきりしないのかボーッと桜恋を見ている。桜恋は目を開けた正炎を見てポロポロと涙を流し正炎の手を握った。

「兄様…兄様…。」

「何を泣いているんだい桜恋…。ここはどこだい?俺は何で寝ている…。」

  正炎の表情がだんだんしっかりとして来た。そして何もかも思い出した様に険しい顔をし、上半身をガバッと起こして怒鳴りだした。

「桜恋!遠雷殿は。遠雷殿は無事か!」

「兄様、興奮しないでください、お怪我に障ります。遠雷様は無事ですから。今は村人の弔いに行ってますがすぐに戻ると思います。」

「そ…、そうか。フーッ。」

 正炎はまた上半身を倒し天井を見上げた。そして頭だけ横に振りキョロキョロとした。

「ここはどこだ?あれから何日経った?」

 桜恋は泣き笑いしながら正炎の顔を見詰めて言った。

「ここは遠雷様のお家です。見覚えが有りますでしょ?あれから二日経ってます。兄様はずっと意識を取り戻さずにいましたのよ。」

「そうか…。」

 その時、正炎は握っている桜恋の手に気付き慌てて離した。桜恋が「あ…。」と声を出したが、その手を慌てて引っ込める。正炎はその後桜恋の顔を見詰め、気付いたように言った。

「桜恋…目が見えるのか?」

「はい、兄様。兄様の顔がはっきりと見えます。」

  嬉しそうに言った。正炎もまた嬉しそうに、自分の顔を手で撫でて言う。

「そうか…。顔には自信が無いから少し恥ずかしいな。」

「兄様…、兄様のお顔はとても良いです。私の思い描いていた通りのお顔です。」

「そうか?何か嬉しい事を言ってくれるな。まあ、俺はともかく桜恋の目を開けている顔も凄く奇麗だよ。」

  桜恋はこれ以上無いと言う位嬉しそうにすると、顔を真っ赤にさせ、両手で顔を隠した。

「兄様…。恥ずかしいです。」

「ははははは。そうか、恥ずかしいか。しかし、身内同士で誉め合うというのは他人が見たら変に思うだろうな。」

 正炎はそう言ってから遠雷の言葉を思い出した。桜恋は神の啓示を受けた者。正炎の表情が硬くなりまた上半身を起こした。

「桜恋…、いや、あなたの名は沙詩様だ。これから王として働く身。私の様な者と気軽く話をしてはなりませぬ。」

  桜恋はその事を遠雷から聞いていた。だからすぐに悲しそうな表情になり、正炎を見つめる。

「兄様…私は桜恋です。兄様の妹で母様の娘の桜恋です。いつまでもそうです。」

「しかし…。」

「嫌です。王になんかなりたくありません。嫌です。」

  桜恋はまた目から涙をポロポロと落した。正炎が少しオロオロとして困り果てる。

「正炎よ、王の話はともかく、お前の可愛い妹である事に代わりは有るまい。そんな事は都に帰ってからやれば良いであろう。」

「遠雷殿。」

  いつのまに帰っていたのか遠雷が後ろに立っていた。

「桜恋も泣くでない。笑っていないと正炎に愛想を尽かされるぞ。」

 桜恋が慌てて涙を拭き無理矢理笑顔を作った。が、眉がまだ泣き眉だ。それを見て正炎は苦笑いをした。

「それではやはり俺の可愛い妹として扱うか。それでいいのだな桜恋?」

 桜恋が嬉しそうに頷き、正炎もその表情にニコリと笑った。

「所で遠雷殿、村人はどうでしたか?」

  遠雷は正炎の布団の横に座ると表情を険しくした。

「駄目じゃな。一人残らず死んでおる。それと殺した者もな。舎利視め、むごい事をしよったわ。一応弔ってきはしたが…、神に作られたのでは無い者の魂は一体どこに行くのやら…。それで、お主は大丈夫か?いや、大丈夫なはずなんじゃが。」

「ええ、痛みはほとんど有りません。…やはりあのカラクリで直したのですか?」

「そうじゃ。傷口はそれですっかり閉じておるだろうが、死に掛けておったのでな。その生命力を取り戻す為に少し多めに眠っていたのじゃ。が、この桜恋が心配して心配して、ほとんど寝ずにお前の看病をしておったぞ。感謝しなさい。」

 正炎は驚き慌てて桜恋に頭を下げた。

「そうであったか。済まなかった桜恋。」

「そんな…、私何も出来なくて…。それに私は兄様の為なら何でもします。」

 正炎は思わず桜恋を抱き寄せた。

「うん可愛い奴。俺は良い妹を持ったな。」

 桜恋は赤い顔をして照れながら大人しく抱かれていた。正炎はその時気付いた。

「あれ?桜恋、良い匂いするな。風呂に入ったのか?」

「は、はい。あの兄様に嫌われたくないから…。」

  正炎が桜恋を慌てて放した。びっくりした表情で正炎を見つめる桜恋。かなり心配そうに聞く。

「あの、兄様何か?」

「俺は臭いぞ。俺も桜恋に嫌われない様に風呂に入ろう。」

  正炎は急に立ち上がったが、すぐにふらつく。慌てて桜恋が体を押さえた。

「無茶をなさいますな兄様。今お風呂を沸かしてきますから兄様は大人しく寝てらして下さい。」

 桜恋が肩を貸し、また布団の上に正炎を横にする。そしてパタパタと外に走っていった。風呂桶は家の外に有るのだ。

  正炎はそれを見送ってから、真面目な顔をして遠雷に向かう。

「遠雷殿、私は寝ている間におかしな夢を見ました。」

「夢とな?」

「はい。何やら空の国にプカプカと浮かぶカラクリの一部になって、倒れる自分を見ているのです。何やら透明でありながら光っている壁に古代文字が次々と映って、この地の全景を見たのです。不思議な光景でした。」

「それは奇怪な。が、古文書の中に記述がある。この地は全て神の作り給うたカラクリの上に立つ、とな。お主が見たのはその神の作り給うた物の意識かも知れぬ。」

「そうですか。そういう記述があるのですか…。そう言えば最後に見た物も凄い物でした。全体の半分に満たぬ場所に海と陸が美しい宝石の様に輝き、そしてその他は長串で作った球の様に骨組みだけなのです。それも最後まで出来ておらず、何やら虫に似た奇怪な物がそれを作り続けていました。」

 遠雷は目をつむり腕を組んで頷いた。

「案外それは真実かもしれぬな。漁師に聞いた事が有る。海の遥か向こうは切り立っていてそこに海の水が落ちていく。大きな滝の様に。それに巻き込まれた者で生きている物は居らぬと。お主が夢で見た様にこの地がまだ完全に出来上がっておらぬのならそれも有りえるであろう。ここの地下扉の向こう側に有るカラクリ達もその一部と考えてもおかしくは有るまい。が、わし達にはそれを調べる術は無いし知る必要も無いのかもしれない。ただ、ああいう物を悪用されない様に監視だけはする必要が有ると思うがな…。」

 正炎は遠雷の言葉に頷いた。その後二人は自分たちの考えにふけって黙り込んだ。

「兄様!まだ温いかもしれませんが入りますか?」

  数十分か経ち、桜恋がパタパタと走ってきて正炎に声をかけた。

「ああ、そうだな。」

「私、お背中をお流ししますね。」

  桜恋が楽しそうにそう言った。正炎の世話をするのが楽しくて仕方ないという風である。

「そうか、それではお願いしようかな。」

 正炎は今度はゆっくりと立って、桜恋の肩を借りるとゆっくりと風呂場に歩いて行く。

「兄様、私この旅が凄く楽しいです。何て言ってもずっと兄様のお近くに居れるから。」

「何だ何だ?そんなにこの兄に慕っておっては、年頃になって他の男どもに嫉妬をかられるな。お前は今までは目が見えなかったので仕方なかったが、今度からはその目で見て素晴らしい男を見つけていかなければならないよ。」

「嫌です。私は兄様だけの桜恋です。ずっとそうなんです。」

「はははは、まあ年頃になれば男を見る目も付いてくるさ。それまではお前だけの正炎でいてやろう。どうせ俺も当分結婚など考えておらぬしな。」

「それでは兄様は私と結婚して下さい。そうすればずっと一緒にいられますもの。」

「ははははは、兄妹は結婚出来ないのだぞ。ま、後何年か経てばお前も男と恋に落ちるさ。」

 そんな会話が聞こえて来る。遠雷はそのほのぼのした会話をニコニコしながら聞いていたが、腕を組みまた考え始めた。

「いずれにせよ、今後の舎利視の様な者が出ないようわしも一度都の神の家に戻り神官達の再教育をしていかなければなるまいな。ここの地下は埋めて誰も入れぬようにして正炎達と共に都に帰ろう。」

 遠雷はそう考えて早速地下を埋める為に、地下で見つけた神の道具の一つを取り出した。小さな半透明の玉で表面に“X-21”と書かれている。彼はそれを地下の入り口でカチリと音がするまで強く握り締め、地下へと投げ込んだ。玉はカツンッカツンッと階段を跳ねて降りてすぐに見えなくなった。

「これでここは二度と使えんのじゃな。しかし、すぎた道具は必ず人を愚かな道へと導く。…これでいいのじゃ。」

 遠雷は呟き地下への扉をしめる。しばらくして地響きが起き、この当たり一帯を揺らした。

今の地響きで風呂場の方から、悲鳴が聞こえてきた。桜恋のものだ。しかし、正炎が静めたのかそれ以上の声は響かなかった。

「さて、わしも旅の準備をするかな、と言っても何も持っていく物は無いが、食い物だけは沢山用意しておくか…。」

  遠雷は棚に置いてあった麻袋を取り出し米を炊き始めた。


 都はいつもと変わらず賑わいを見せていた。宮中の重鎮が逮捕されこれからの国政に不安が有りそうだが、平和な時の民衆というものはこんなものだ。

  五年前に王と継承者が殺された時はかなり騒ぎにもなったが、今回は重鎮で王族と言っても余り民衆を騒がす程の人間では無かったようだ。

  許音の屋敷の一室では、豪華で奇麗な着物を纏った香奈枝が退屈そうにしていた。そして隙あらば屋敷を抜け出そうとして怒られていた。

「鈴杏様!困りますよ。あなたはまだ体が完全に治ったわけでは無いのですからね!」

 香奈枝を怒れる者と言えば伽奈しかいない。彼女は心が落ち着くとすぐに許音の屋敷を尋ね、再び香奈枝の侍女として仕える事になったのだ。

「伽奈、私は香奈枝だ。鈴杏などと呼ぶな。香奈枝という名の方が長い間使っているのだぞ。」

「私、香奈枝だと様を付けませんよ。鈴杏様の時は侍女でしたが、香奈枝の時は親友のつもりですから。」

 伽奈が平然といい放つ。姉妹の様に育って来た二人だから香奈枝も全然平気なのだろう。

「そうね。私は親友の方の伽奈が好き。だから、二人きりの時は香奈枝と呼んでよ。」

「はいはい、それでは香奈枝。いくらそう言って私を喜ばせても、絶対に外には出しませんからね。分かってるの?あなたは今は王族としてここにいるのよ。」

「分かってるわよ。相変わらず融通が利かないのだから。あーあ、早く桜恋帰ってこないかな。」

 香奈枝がつまらなそうに言う。

「あら、正炎殿は帰ってこなくてもよろしいのですか?」

「だってあの子は帰ってきてもどうせ私の相手などしてくれないもの。暇つぶしに早く桜恋に勉強を教えたいわ。」

 そこへ今回の事件で居座った智姫とその母夕季が現れた。夕季は鈴杏が許音の屋敷で療養しているのを聞きつけると、すぐに許音の屋敷に現れて、その後は本家に帰らず何日もここに居座っていた。

「鈴杏様、今日は何をいたしましょう?」

 夕季は昔の様に鈴杏といられるのが楽しくて仕方ない様だ。しかし、智姫はその母の言動に呆れる。

「母上。子供じゃ無いのだから、もっと他に有るでしょう?」

「あら、そうかしら。でも、鈴杏様と私と伽奈は、実は女ながら悪戯ばっかりしていたのよ。」

 夕季は智姫に自慢気に言う。しかし、それは過去の汚点の暴露に他ならない。

「夕季様、言っておきますけど私はお止めしていたのですからね。」

「あら、そういう割りには最後は率先していたわよ。」

「あはははは、そうそう。で、結局怪我して泣いていたものね。」

「そういう鈴杏様はいつもその私に追い討ちをかけていたじゃないですか。」

  伽奈はしみじみと悲しそうに言った。

「それで最後はみんなが泣き出したりして、楽しかったのよ。」

  夕季が思い出して楽しそうに笑う。

「本当に楽しそうですね。私は小さい頃から余り外には出なかったので、そういう思い出は皆無です。」

 智姫が寂しそうに言う。

「駄目よ。若いうちは色々しなくてはね。そうだ、正炎達が帰ってきたら、桜恋を連れまわして色々しなさい。」

 香奈枝が智姫の頭を撫でながら言う。

「正炎殿と言えば、私は鈴杏様の子供とは知らなかったのに、やっぱり可愛く感じておりましたのよ。この智姫を正炎殿の嫁にと考えていましたし。」

  夕季の言葉に智姫が赤い顔をして嬉しそうにした。

「あら、正炎の嫁は桜恋に決めているのよ。だって、桜恋を他の男に持っていかれると私が寂しいもの。」

 智姫が衝撃を受けた表情をした。しかし、夕季がすぐに反撃に出る。

「それは駄目ですよ鈴杏様。智姫が正炎殿の嫁になればこの智姫を桜恋殿の代わりに苛めてよろしいですから、是非とも正炎殿との祝言を挙げさせて貰いたいのです。」

 夕季がそう言うと智姫もウンウンと頷く。

「まあまあ、二人とも。こういう話は本人抜きに進めても意味は無いですから。」

 伽奈の一言で四人が一斉にコロコロと笑った。

 その光景を部屋の奥から覗いていた許音が呟く。

「正炎、早く帰ってきてくれ。俺の居場所が無い。」

 許音は前にこの四人の会話に入ってかなり責められたのだ。早く結婚しろとか、女遊びもいい加減やめなさい、とか…。それ以来、許音はなるべくこの四人とは顔を合わさずにしているのだ。しかし、自分の屋敷で何で自分が隠れていなくちゃならないのか、情けなく感じている許音であり、これを打破するには正炎の存在が必要と感じているのである。

「もうそろそろ帰ってきても良いのに…。何をグズグズしているのだあの男は…。」

 事故に有ったとか、神官長に殺されたとかは絶対に考えていない許音だが、彼がそう呟いた時、彼の侍女が走ってきた。そして大声で叫ぶ。

「正炎様がお帰りです。」

 何故か侍女は、屋敷の主である許音にそれを言わず、隣の部屋で談話している女四人にそれを報告して去っていった。

 四人の女達は顔をパッと明るくさせ、パタパタと走っていく。

「ああ、これで俺も助かった。」

 許音はホッとして部屋を出て門の方へゆっくりと歩いて行った。



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