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7.最北のへ

 その夜、許音の屋敷で三人が暗い部屋で話していた。正炎と許音と智姫である。

 桜恋は正炎達が帰ってきたと聞いた時、これ以上に無いという位に喜んだが、それも束の間、母の怪我を聞くとこれ以上無いという位悲しんだ。そして鋼煉の死を聞くと驚きのあまり少しの間呆けてそして関を切った様に大泣きをした。しかし、泣きながらも母の看病の為、香奈枝が寝かされている部屋へずっと入り浸っている。

 逆に正炎は感情を押し殺していた。自分の父親のようだった鋼煉が死んだのだから、泣きたいのはやまやまではあった。しかし、やる事もやらずに泣いてしまう訳にはいかなかった。

「覇口様を敵に回してしまいましたが…許音様。」

「大丈夫だ。相手が覇口と言えども宮中には俺の味方に付く者は多い。公には俺を殺そうとはしないだろう。そういう意味ではこの屋敷も安全だ。叔母上はここで静養するが良いだろう。それより正炎。」

 許音が真剣な眼差しで正炎を睨んだ。

「何ですか?」

「これは鋼煉殿が死ぬ前に俺に話してくれた事なんだが、彼が言うにはすでに神の啓示を受けている者がいてその人が死ぬまでは次の王は決まらないそうだ。つまりお前が神の啓示を受ける可能性は無い。今の所な。」

「一体誰が神の啓示を受けているのですか?私が知っている限りでは後は虎口様と許音様位いしか…。まさかっ!」

「言っておくけど俺では無いぞ。俺の父は継承権を捨てたのだ。もっともそれが認められたのは父の死後だが。しかし、認められた以上その息子の俺に継承権は起たない。そして虎口とも違う。もちろん覇口では無い。」

「それでは王族がいなくなってしまいますよ。まさか王族外に?」

「分からん。が、鋼煉殿は知っていた様だった。そしてその名を言おうとした時に舎利視に殺されてしまったのだ。」

 三人が考え込んでしまった。智姫は口を出さずにずっと聞いていたが、ふと気付いたように言った。

「香奈枝様じゃないかしら。ほら、王族で知恵も力も人より有るし…。」

「俺もそう考えたが、実際には分からん。しかし、舎利視は狙いを定めた様だった。」

 正炎と智姫が許音を見る。

「舎利視は智姫と顔が似ていると言う理由だけで桜恋殿を狙うようだった。」

「桜恋を!?そんな理由だけで?」

「あのいかれたじじいの考える事だ、やけになって手当たり次第になったのでは無いか?」

「そんなので狙われたらたまらないわ。兄上どうするつもりで?」

  許音が腕を組む。

「とりあえず叔母上と桜恋殿はここで預かった方が良さそうだな。もちろん正炎もここに住む事を勧める。」

「しかし、そんな迷惑は…・。」

  許音が片眉を上げた。

「迷惑?おいおい、俺達は従兄弟同士だぜ。何の迷惑が有るか。」

「いや、そうは言われましても、それを知ったのは今朝ですし…。」

「朝だろうが関係ない。俺達は従兄弟でしかも仲が良い。まあ俺に任せておけ。」

「そうです、兄上の言う通りですわ。私達は親戚でそれもかなり近い間柄。何を遠慮いたしますか。」

  正炎は申し訳ないように頷いた。それを見て二人が笑顔で返す。その時、部屋の襖が小さな音をたてて開いた。そこには涙目で、しかし嬉しそうな表情の桜恋が立っていた。

「どうした桜恋。何かあったか?」

「兄様、母様が気付きました。」

  正炎は安堵の表情をすると立ち上がり桜恋を抱き締めて言った。

「良かった。…良かったな桜恋。」

「はい。兄様。」

 正炎の目にも涙が浮かんでいた。そして二人は手を繋いで香奈枝が寝ている部屋に走り、許音と智姫もそれに続いた。

  その部屋では香奈枝が布団に横になっていた。目は開いているもののまだ顔色が悪い。蝋燭の炎が数本灯して有ったが、薄暗く香奈枝の顔色をいっそう悪く見せているのだ。正炎と桜恋が部屋に入ってきてその後に許音と智姫が入って来ると香奈枝は上半身を辛そうに起こそうとした。

「叔母上、どうぞそのままで。」

 許音がすぐにその動作を止めさせる。

「許音殿、迷惑をかけます。本当に申し訳ありません。」

  香奈枝が辛そうに言った。人に迷惑をかけるのが一番嫌いなのだ。

「何を言いますか。怪我が治るまではここにいてもらいますよ。あなたの息子もやっとの事で説得したのですからね。」

 許音はニコリと笑って香奈枝を安心させようとした。そして四人はその回りに座った。

「ありがとうございます。本当ならすぐにでも村へ帰るべきなのですが、今回だけはあなたの温情にすがるしか有りませんね。」

「たいしてお役には立てませんが、この許音精一杯がんばらせてもらいますよ。」

  香奈枝は小さく頷いてニコリと笑った。

「母さん。鋼煉先生が死んでしまったよ。あの神官長にやられて…。」

「…そうですか…。あの方は私の為に人生を誤まってしまった。若い頃にあの方を頼らなければ今ごろはあんな愚かな男では無く、鋼煉先生が神官長として神の家をまとめていらしたはずなのに…。しかも、今度は私の為に命を落されて…。」

  香奈枝は悲しく辛い顔をした。しかし、キッと表情を固めると正炎を見る。

「正炎。あなたは桜恋とすぐにここを出て国の最北にある小さな村を訪れなさい。」

 それを聞いた四人が驚愕した。

「叔母上、実はあの神官長は今度は正炎では無く桜恋殿を狙っているようなのです。今外に出ては危なすぎる。」

  許音の言葉に桜恋が驚く。

「何故私が?」

「その話は後だ。それより母さん、確かに今は危ないよ。」

「いいえ、鋼煉先生がおっしゃってました。自分に何か有った場合はすぐに桜恋を最北の村に連れて行く様に。そこに彼の師で前神官長であった人がいて助けを求める様に言えと。」

「桜恋を?何故なんだ、母さん。」

「それに関しては鋼煉先生は何もおっしゃらなかったの。ただ連れて行けと。だから桜恋は行かなければならない。そしてその護衛としてお前が行くのよ、正炎。」

  正炎は納得がいかなかった。覇口や舎利視の野望を止めて神の啓示を受けた者を探し出し王に付いてもらう事こそ鋼煉の仇であり、自分の母を傷付けた仇であると考えたからだ。

「母さん、王を捜さなくてはいけないんだよ。そんな人の所へ行くなんて出来ないよ。それに最北の村まで馬で飛ばしても約八日の旅路。往復で十六日だよ、そんなに許音様に迷惑はかけられないよ。」

「俺は別に大丈夫だが…。」

  許音が呟いた。

「正炎!これは私の頼みでもあるの。ゴホッゴホッ…。」

「母様!!」

 桜恋が心配そうな表情をした。が、何も出来ずにオロオロとしているだけであった。正炎はそれを見て、一つ間を置くとため息を吐いて返事をした。

「分かったよ母さん。それによってまた違う動きがあの舎利視に有るかもしれないし。母さんの言う通りにして様子を見るよ。」

 そう言うと今度は許音の方を向き平伏するとそのままで言う。

「許音様、そういう次第でございます。どうか母をお願いいたします。」

「おいおい、顔を上げろよ。さっきも言ったがお前の母君は俺の叔母上でもある。何も心配せずに鋼煉殿の遺言をまっとうせよ。それが、王族のそして国全体の行く末にも関わるかも知れないのだからな。」

 正炎は一度顔を上げたが、また下げてお礼を言った。智姫が仕方ないわね、という顔をして正炎に話し掛ける。

「いつ旅立たれますか?叔母上の話では今すぐと言う事ですが…。」

「はい。今すぐに出ます。ここでゆっくりとしていたら舎利視の思い通りに動かされてしまいましょう。ここは先手を取るのが良策かと。」

「そうだな。それに舎利視の手勢である陰の者も叔母上とお前の攻撃で今日の所は動けまい。あれが動ける様になる前にこちらが先手を打つ必要があるな。」

 皆が頷いた。香奈枝はそれを見て安心したのか、痛みが増したのかまた気を失った。

「母さん!」

 正炎が焦って叫ぶ。が智姫が香奈枝の首筋に手をやると安堵の息を吐いた。

「大丈夫です。気を張っていたのが話がまとまり安心して眠ったようですわ。」

  智姫は医学の心得もある様で慣れた手つきで香奈枝の額の汗を拭いた。実際この屋敷に運ばれた香奈枝を手当てしたのも智姫である。様態は誰よりも分かっているようであった。

「それでは、私達はこれで…。許音様、智姫様、母を頼みます。」

正炎が立ち上り桜恋の手を持って、立たせた。

「兄様…。」

「母さんは大丈夫だよ。俺達は俺達の仕事を果たすんだ。それが意味の無い物だったとしても今はそれにかけるしかない。それが鋼煉先生の遺言で有り、母さんの願いだから。」

桜恋は頷いて座っている二人に深々とお辞儀をした。それに合わせるように正炎も頭を下げる。

「それでは失礼します。」

「うむ、気を付けてな。母君の事は心配せずに行ってこい。それと覇口の動きはこちらで何とか止めておくからこちらの事は心配するなよ。」

「お気を付けて、正炎様、桜恋…。無事を祈っていますからね。」

二人は頷きその部屋を静かに出ていった。そして暗く静かな廊下を歩いて行き裏門の近くに繋いであった自分の馬に桜恋を抱きかかえて乗せた。

「それじゃ行くよ桜恋。」

小さい声でしかし決意を表した強い声で桜恋に言う。桜恋はそれに頷き、正炎は手綱を引いて門を出て、そこから馬に跨ると馬を走らせ闇に消えていった。


 「兄上、前の神官長と言う方はどういう方なんですか?」

智姫が香奈枝の額に乗っていたぬるくなった手ぬぐいを替えながら聞く。許音は腕を組んだまま目をつむっていたが、その質問に目だけ開けて答える。

「俺も噂でしか聞いた事が無いが、‘’全てを知っている男‘’という噂だったな。この地の謎を全て解き明かしたが、それを人に説く事無く地方へ旅立ってしまわれたらしい。」

「今の神官長もその謎が知りたくて動いているのでしょう?何故その前の神官長の所に行って聞かないのかしら。」

「行方が掴めなかったのだろう。最南の地から最北の地まで全ての地方に部下を派遣するほど奴は部下を持っていない。こそこそと要人を暗殺したり誘拐する位が関の山だからな。恐らく前の神官長は自分の右腕だった鋼煉先生にしか居場所を教えていなかったのであろうよ。」

「鋼煉殿は一体どういう人だったのでしょう。私は名も聞いたことがありませんでしたが…。」

「鋼煉殿と舎利視が対面した時、舎利視は鋼煉殿を峰薫と呼んでいた。峰薫と言う名は聞いた事がある。素晴らしく才のある人で父上も何かしら相談をしていた人の名が峰薫だった。おそらく父上は叔母上、そして鋼煉殿とずっと連絡を取り合っていたに違いない。」

「そうですか。それでは惜しい人を亡くしましたね。」

 智姫は悲しそうな顔をしてうつむいた。が、すぐにまた顔を上げて言う。

「兄上、この地の何が謎なのでしょう?」

「…そうだな…。」

 許音は自分の横に置いてあった短刀を取り、鞘からぬいて智姫の顔の前にさらした。薄暗い部屋に蝋燭の火が反射してキラキラと輝く。

「智姫はこの刀をどう思う?」

「とても奇麗で素晴らしい刀だと思いますけど。確か父上の形見の宝刀でしたね。」

「そうだ。美しさ切れ味どれをとっても逸品だ。しかし智姫、この刀と同じ物は誰も作れないのだ。」

 智姫が首を傾げた。

「腕の良い刀鍛冶がいなくなったと言う事ですか?それも仕方ないでしょう。戦の無くなったこの時代では…。」

「違うな。この刀は鉄で出来ている訳ではないのだ。しかも、その原料さえ分らない。」

 智姫が表情を顰める。

「まさか…。」

「信じられないかい?それじゃあこれでは?」

 許音は懐から布と別の短刀を出し、宝刀の方をその布で包み、剣先を床につけてその側面の中腹を短刀の柄尻で力いっぱい殴った。すると宝刀はガギンッと鈍い金属音と共にそこから折れた。

「兄上!な、な、何て事を…。」

 智姫が青ざめてワナワナと震えた。当たり前である代々王家に伝わる宝刀を破壊してしまったのだから。智姫は更に大きな声を張り上げようとした。が、その時許音が口に指をやってシーと言う。

「慌てるな智姫。」

 許音はくるんでいた布を解く。そしてその中からは中腹から折れた刀とその破片がパラパラと床に落ちていく。

「兄上、気は確かですか?こんな事を知られたら母上は何と言うか…。」

 智姫は眠っている香奈枝に気遣って小さい声で諌める。が、許音はクスッと笑って指差した。

「良く見ろ。これが不思議の一部であろうぞ。」

「え?」

 智姫の視線が破壊された刀に注がれる。そこには生き物の様にウニウニと動いて破片同士くっついて行く刀の姿があった。やがてそれは短時間で元の刀に戻り、繋ぎ目などは全く無く、また蝋燭の明かりを反射させてキラキラと光っている。

「どうだ?」

 許音の言葉に何も言わずに、いや言えずに驚愕したまま固まっている智姫がいた。

「これと同じ物を刀鍛冶に作れといって作れるか?」

 智姫が首を横に振った。顔が驚きの表情のまま固まってしまっている。

「この刀だけでは無い。気付かずにいるがこの地はまさしく全ての物に神が存在しているが如く不思議な物ばかりだ。俺とてそれを知りたいと色々な書物を読んだり調べたりはしたが、いっこうに分からん。それが俺なんかよりよっぽど好奇心の強い神官ともなればそしてその謎が全て分かるという物が目の前に有るとすれば是が非でも知りたいと思うだろう。しかし…。」

  許音の表情が険しくなる。

「しかし?」

「それを知りたいが為に人の命を奪っていくなど道から外れていよう。俺は舎利視を許さない。そして、覇口は利用されたにせよ親殺し兄弟殺しの罪は間逃れない。それを正すのが王族として生まれてきた我らの使命だな。」

  智姫はやっと落ち着いた顔をして許音の言葉に同調し、その兄上を改めて尊敬した。

「兄上、とりあえずはどう動くつもりですか?」

「そうだな。宮中に覇口が王になる可能性が無いという噂を流して、覇口の下についている貴族達を全部こちら側に付ける。本当に神の啓示を受けた方が誰なのかわからないが、ここは正炎には悪いが彼が啓示を受けたという噂を流させてもらおう。実際叔母上がいらっしゃるし王になってもおかしくない血筋ではあるから、噂は真実味を帯びていくだろう。」

「それは正炎様の了承もなしにでは、あまりに申し訳がなく思います・・・。」

 智姫は顔を顰めたが、しかし他に良い案も浮かばず、さらにいうと切羽詰まっている状況でもあるので小さくうなずいて呟いた。

「終わったら私からもちゃんと謝罪すれば・・・。」

 そして許音に向かい決心したように言う。

「わかりました。それでは、私の方も女官衆や侍女衆女中衆にその噂を振りまきましょう。男性より噂好きの女性陣であれば噂もすぐに広がりましょう。」

 許音と智姫はお互い顔を合わせて頷いた。その時苦しそうに香奈枝がうなされる。智姫は慌てて香奈枝の額を冷やしていたぬるくなった手ぬぐいを取り替える作業をし始めた。


  夜が明けて正炎と桜恋は故郷の村に入った。朝早くまだ外には誰も出ていない。ピンと張った冷たい空気が肌に突き刺さる。しかし、正炎と桜恋はこれからしなければならない事の方がよっぽど辛く、寒いなんて事は全く感じていなかった。それは、鋼煉の家に行き、鋼煉を待っているだろう彼の妻、伽奈(きゃな)に彼の死を伝えなければならない事だった。

 鋼煉の妻はまだ若く、香奈枝と同じくらいの年と聞いた。それは鋼煉が若い頃には神官で研究に没頭していて結婚に興味はなく、この村に来てからの結婚だったかららしい。鋼煉の妻と香奈枝は仲が良く、よくお茶をしに香奈枝の家に遊びに来ていた。自分達に子がいない事で正炎をひどく可愛がり、そして桜恋もかなり可愛がった。二人にとっては香奈枝と別の母を思わせる人物である。だからこそ余計に気が重かった。

  二人は鋼煉の家の前まで来ると馬を降り重い足を引き摺って扉の前まで来た。そして大きく深呼吸を何度かすると扉を叩く。手がブルブルと震えて力の加減も出来ず、軽く叩いているつもりだろうがかなり強く叩いていた。ドンドンと静かな村に音が響きそれが更に彼らの緊張を誘った。

「あなた、お帰りになったの?」

  中から声がすると女が板戸を開ける。目が真っ赤な状態の女性で、おっとりとした感じの美人である。これが伽奈であった。

「あら、正炎殿に桜恋…。」

伽奈が二人を見て声を出す。そして俯いている二人の表情を見てハッとし、何かを我慢す表情になり呟くように言った。

「うちの人…何かあったのね…。」

  二人が泣きそうな表情で頷いた。

「そうか…。……とりあえずお入りなさい。」

  伽奈は二人の表情で自分の愛する夫の死を感じた。冷静を装うとしているが苦しそうに言って、二人を中に入れた。

  中は暖かく飯の用意がしてあった。恐らく鋼煉がいつ帰ってきても良いようにしてあったのであろう。二人は手を繋いで中に入り履き物を脱ぐ。それさえ緊張の為、時間がかかってしまった。

  床の上で二人は伽奈の正面に正座したが、正炎は伽奈の顔を見る事が出来なかった。

「正炎殿、何もあなたを責めようとは思いません。私の顔を見てちゃんと話して下さいな。」

  伽奈は優しい声で言った。正炎は昔からこうやって優しく話す伽奈を母と同じようにそして姉の様に感じていてとても好きだった。

 正炎は固まった首を無理矢理動かすようにぎくしゃくと伽奈の顔を見た。その顔は穏かでいつもの大好きな伽奈の顔であった。それを見て正炎は目からポロポロと涙がこぼれていった。正炎は心に張った壁でずっと抑えていた悲しみの感情が、伽奈の顔で脆くも崩れていってしまったのだ。

「あの…伽奈…。」

「はい。覚悟は出来ているから言っていいわよ。」

「鋼煉先生は都で亡くなられました…。すみません、すみません…俺の力不足で…亡骸も持ってこれずに……。」

 正炎はそのまま黙ってしまった。伽奈は静かに立って正炎の前に来るとそのまま正炎を胸に抱きしめた。泣きじゃくる子を母が抱くように。

「いいのよ正炎殿。あの人はいつかこういう日が来ると思っていたに違いありません。あなたが気に病む必要は無いのよ。」

  伽奈は正炎を抱きしめたまま優しく言った。その時、正炎の隣で正炎の袖をずっと握って固まっていた桜恋が大声で泣きだし、伽奈に抱き付く。

「あらあらあなたまで…。桜恋、あなたは本当に良い子ね。」

 伽奈は二人を抱きしめて泣くままにする。

 しばらくして正炎と桜恋が泣き止むと、ゆっくり伽奈は二人を放してまた正面に座った。

「ごめんなさい伽奈。本当なら伽奈が泣きたいはずなのに…。」

「いいのよ。私はゆっくり一人で泣くから。それであなた方のお母さん、香奈枝は無事だったの?」

「はい。怪我を負いましたが命に別状は無く今は許音様の屋敷で面倒を見てもらってます。」

「そう…良かった。香奈枝も王家の匂いのする所でなら安心して療養出来るわね。」

  その言葉に正炎が不自然さを感じた。

「伽奈は母さんが…その…王家の…。」

「もちろん知っているわ。私は鈴杏様付きの侍女だったのだから。鈴杏様が駆け落ちと称してこの村に逃げてきた時に、一緒に付いて来たの。私と鈴杏様は乳姉妹で姉妹の様に育ったからいつでも一緒にいたかったのよ。」

「伽奈が母さんの侍女?…それより駆け落ちとは聞いたけど、それを称してって?」

「知らなかった?別に駆け落ちなどしなくても炎西様は高貴なお方だったし先王も結婚を認めていたのよ。でも、継承争いに巻きもまれる可能性を考えてあのお二人は駆け落ちと称して逃げてきたの。実の所、鈴杏様は王族の生き方が嫌いだったらしく、炎西様がそれに付き合ったというのが真実なのだけど。その後炎西様は事故で亡くなられ、鈴杏様は正炎殿を一人で育てなくてはならなくなったの。そのあとすぐにうちの人がこの村に着いたのだけれど炎西様を助けられなかった事をずいぶん悔やんでいたわ。でも、今度は自分が死ぬなんて…。ウッ…」

  伽奈は押さえていた感情が少し出てしまい顔を崩し手を口に持っていった。が、すぐに元に戻す。

「伽奈…感情は出した方がいいよ。俺、伽奈の事、姉さんみたいに感じているんだ。そんなに感情を殺さないで…。」

「駄目。正炎殿のお心は嬉しいけど、あの人が私にたくした仕事を終えるまでは私は泣くわけにいかないの。」

 伽奈はそう言うと立ち上がり隣の部屋に走っていった。そして手に何か持ってすぐに戻って来る。

「これをお持ちなさい。あの人が、自分が死んで正炎殿と桜恋が尋ねてきたら渡せと言っていた物です。」

  伽奈が正炎に手の平に入るほどの銀色に輝く小さな鍵を渡した。

「これは?」

「それは最北の村に住む前神官長の遠雷様にお渡しして。それを渡せば必ず力になってくれるとあの人が言ってました。」

 伽奈はそう言ってから大きく深呼吸をして、自分に託された仕事の終りを感じた。そして、正炎をキッと見つめると言う。

「さあ正炎殿、もうお行きなさい。早く遠雷様にお会いして助けてもらいなさい。あなたにその不安な顔は似合いませんよ。」

「伽奈は…、伽奈はこれからどうするの?」

「私はこの後すぐに都に行って香奈枝の側に着いていないと。あの子は小さい頃からそうだったのだけど、無茶をして回りを困らせるからね。元気になったら許音様では押さえられないでしょう。」

伽奈はそう言って笑った。寂しさと悲しみが混じった複雑な表情であった。

「あ…伽奈姉様、私、あの、伽奈姉様の事好きだから…。」

  桜恋がまた泣きそうな顔で言う。正炎は伽奈が感情を我慢出来なくなってきているのを察して立ち上った。

「伽奈、それでは母さんの事頼みます。それから、本当に…。」

 正炎がまた誤まろうとした。が、伽奈が止めた。

「早く行きなさい。村人が起きるとまたうるさくなるわよ。」

 正炎は頷くと桜恋の手を引いて鋼煉の家から出て行った。そして、桜恋を抱えて馬に乗せ、自分もそれに跨ると思いきり走らせる。

「ウワーッアアアアア!!」

 鋼煉の家の中から凄まじく悲しみに満ちた号哭が響き出した。正炎はそれを背中に聞きながら全速力で馬を走らせて村を抜けていく。目に涙を溜めて悔しそうに…。

「兄様…。伽奈姉様が…。」

 桜恋がギュッと正炎の襟元を掴んで顔を正炎の胸につけ鳴咽し始めた。



  神の家の神官長の部屋で舎利視が陰の者の隊長である雅童から報告を受けていた。雅童はこの間、覇口屋敷へは行っておらず、全く怪我もしていなかった。

「そうですか。此方の思惑通り動きましたか…。」

「どうしますか?許音の屋敷を襲います?」

「もう王族継承は興味がありません。放って置きましょう。」

「覇口様をお見捨てになるのですか?」

 舎利視は雅童をジロリと睨んだ。

「あれはもう使えません。息子の虎口はまだ使い道がありますがね。とにかく今はずっと捜していたあの遠雷に正炎が案内してくれるのです。それを追いかけましょう。」

  舎利視がニタリと笑って雅童を引き連れて神官長の部屋を出ていった。



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