6.神官長の野望
太陽が真上に来る頃、三人の男が神の家の前に立っていた。言わずと知れた正炎、許音、鋼煉の三人である。
当初三人は夜が来るのを待ってから行動を開始しようとしていたが、香奈枝の生死が心配な正炎が我慢出来ず、結局三人共すぐにここに来てしまったのである。
神の家の回りは昼間でも人通りが全く無く、何も警戒をしていない様である。が、入り口は正面の一つだけでここから入れなければならない。忍び込む事は実質不可能な作りになっているのだ。なので三人は戸惑う事無く扉を開けて中に入っていった。中は薄暗く、昼間なのに何やら不気味な雰囲気があった。
「先生、何でこんなに人気が無いのですか?」
足音をなるべく立てずに歩きながら正炎が小声で聞いた。
「そうだの、神官達は見習いの頃は地下の図書庫で調べもの。神官となるとここの奥の図書庫で調べもの。幹部になったら最奥の図書庫で調べものとずっと知識の増加作業だからの、入り口近くにはあまり来んのだよ。呼ぶには、ほれそこにある小さな鐘を鳴らせば聞こえた者が現れる。」
そう言って入り口の近くに吊るして有る鐘を指差した。
「げっ、それじゃずっと学問をしているわけ?」
許音が驚きの声を上げた。
「そうだの、それが神官の生きる道だからな。私もそうやって毎日毎日本を読んでおったわ。それを役立てる事が出来ると知ったのはここを離れてからだ。おかげで私は村で医者などをやっていられるのだが。」
「それでは意味の無い勉強をしているわけですか?ここにいる人達は…。それを役立てる事も無く…。」
「うむ、私もここにいる時は疑問に持たなかったが…。知る事だけが学問をする意味だったからの。本当に全く意味の無い作業だな。」
鋼煉はしみじみと思い出して頷いた。正炎と許音の二人は小さく「うわぁ。」と言って表情を顰めた。
そうこう言っている間に迷路の様になっているこの中を三人は確実に目的地に進んでいた。目的地、神官長の部屋へ。
「あの部屋が最奥の蔵物書庫だよ。あの中にはこの世の森羅万象が書かれた書物が置いてある。もっともその量は毎日寝る間を惜しんでまで読んでも一生かかってしまう程の量だが…。」
曲がり角から鋼煉が指差したその扉は他の部屋の扉より丈夫そうに作られている様だ。木の扉には豪華な彫刻が彫って有る。そしてその扉の横の扉の前に三人は立った。
「ここが神官長の部屋だ。さて、一体誰が神官長になったのやら…。」
鋼煉が扉の取っ手を回した。カチャッと軽い音がして扉が開く。
「誰です。私は誰も呼んでいませんよ。」
中から声が聞こえてきた。三人は音をあまり立てないようにスッと中に入り込む。中では神官長が分厚い本を真剣に読んでいた。それを見て鋼煉が呟く。
「なんて事だ…。お前が今の神官長か…。」
神官長はその声を聞いて本から目を離し、鋼煉の顔を見て驚いた表情をした。
「これは、驚きましたね。未だ生きてましたか……峰薫殿。」
鋼煉は峰薫と呼ばれピクッと顔をひきつらした。
「舎利視、何故貴様がここにいる。貴様はとうに追放されたはず。」
「クククッ、前の神官長やあなたの様な頭の切れる者さえいなければここの連中の扱いは簡単ですよ。前神官長が止めてから数ヶ月の間、ここには神官長をやろうという者がいませんでしたからね、許しが出たと言ってここに戻り神官長になるにはあまり時間は要りませんでしたよ。」
「そ、そんな。雷緒や気蝉がおったはず。奴等なら神官長としての…。」
「ああ、あの二人は「許しが出た」と私が言ったら、軽く嘘と見破りましてね。今は天国にいるやら地獄にいるやら。」
鋼煉の表情が険しくなる。
「こ、殺したのか?」
「人聞きが悪いですね。練習台に使わせてもらっただけですよ、私が復活させた陰に生きる者達の。」
「な…何てことを…。」
悲しみと怒りに満ちていく鋼煉をよそに、神官長は正炎と許音に向かう。
「始めまして、許音殿、正炎殿。鈴杏殿はまだ無事ですよ。」
「か、母さんは何処にいる。何故母さんをさらった!!」
正炎が怒鳴る。しかし、神官長はあごひげを何度か撫でて言った。
「……あなた方は不思議に思った事は有りませんか?」
「な、何を言っている。」
「この世が何故こんなに安定しているか。何故戦いの無い世界になったか。」
正炎と許音の二人が不思議そうな顔をした。
「何を言っている。そんなのは政策が安定して居るからに決まっているだろう。」
許音の言葉に神官長が首を振った。
「まあそれもありますが・・・。根本は毎年毎年必ず米や他の食料が十分にとれて貧困が無いからですよ。何十年も何百年も・・・。」
許音が「何百年も・・・?」とつぶやいたが、正炎はそんな事を考えたことはなかった。
「安定していれば良いではないか。いちいち疑問に思った事など無い。それともお前は神のおかげだと言いたいのか?」
「神の・・・?私には分かりません。しかし、もっと前の時代の古文書や歴史書には過去に天災や飢饉が有ってそれが元で一揆や戦争が起こったと有ります。疫病や洪水、地震なども。」
許音は確かに不思議に思った。いや、思ってはいた。そういう内容の文献を読んだことがあったからだ。だが、そういうものなのだろうと深くまでは考えてはいなかった。
鋼煉がハッと気付いた顔をした。
「まさか舎利視、お前はあの禁断の扉を開けるつもりか。」
「そう、私はあの奥に全ての真実が隠されている様な気がするのです。そしてあの扉を開く鍵は王の血。」
許音が首を傾げた。
「王の血?何だそれ。」
「そのままですよ。王の位についた者の血液です。ただし、先王が健在の時に先王から採取した血では開きませんでした。採取したものでは駄目のようでね。」
「それで貴様は覇口と組み覇口を王にしようとしているのだな。」
許音の言葉に舎利視は下を向いてクスクスと笑った。
「いや、さすが宮中一の情報網を持つ許音殿だ。その通りですよ。実は先王にも、扉を開けて全てを知りたいので、と私の思いの全てを申し上げて協力をお願いしたのですよ。しかし、先王からは「下らん事に自分を付き合わせるな」と一笑されました。」
鋼煉はそれを聞き、王族の暗殺の一連が全て分かった。
「それで覇口をそそのかし王を殺させたのだな。」
「はい。しかしその前に神の啓示を受けておられた剣口殿に話を持ち掛けました。王になられたら少しだけ手伝って下さい。ただ扉の前で血を少しかけてもらえれば良いからと言ってね。しかし、剣口殿からは「この世には知らなくて良い事がたくさんある。」と拒否されました。」
「それでは王と剣口殿の殺害は貴様が手引きして覇口に殺させたのか。何と言う事を…。しかしそれで覇口が王になれねば意味は無い。」
「そう。それが私の最大の失敗でしたよ。あの二人を殺しても神の啓示が覇口に降りないとは…。」
「それで俺の母さんとどういう関係があるのだ!!」
正炎がとうとう切れた。
「あなたの母君などに興味はありませんね。私が欲しいのはあなたの命。あなたをおびき出す為にあなたの母君をさらったのですから。」
そう言うと舎利視は手を叩いた。すると扉から十数人の黒い服に黒い頭巾で顔を隠しているを男達が入ってきて三人を囲んだ。
「彼らが陰の者です。正炎殿、実はちゃんとこちらから招待させてもらうつもりでしたが、その手間が省けましたよ。」
「お、俺を殺して何の意味が有る!!」
「あなたの母君はあの王家の女傑、鈴杏殿。そしてあなたの父君は先王の弟の嫡子、炎西。あなたが今一番王に近い存在なのですよ。そのあなたが死ねば覇口かそれが駄目なら虎口が神の啓示を受けるでしょう。何て言っても王族の濃い血を持った他の者は覇口によって殺されてしまいましたからね。」
そう言って、舎利視は陰の者達に合図をした。陰の者達が警戒しながら三人に近づく。しかし、三人は何の抵抗もせず男達に素直に捕まり縄をかけられた。無駄な抵抗は命を落すからだ。助けに来て命を落しては意味が無い。
「それでは覇口殿の屋敷に行きましょう。鈴杏殿はそこに拘禁されているのですよ。そこで一緒に殺して差し上げましょう。」
三人は嬉しそうにしている舎利視を先頭に陰の者に引張られて歩いていった。
許音の屋敷では数人の侍女達と混じって、智姫と桜恋が食事の用意をしていた。疲れて帰ってくるだろう兄達三人の為にだ。目の見えない桜恋は勝手の違う厨での料理が出来ず、飯櫃を横におむすびを握っていた。そして料理の苦手な智姫もまた桜恋の横でおむすびを握っている。
真剣におむすびを握っている桜恋を智姫はチラッチラッと何度か伺ってから決意した様に小さい声で言った。
「桜恋殿、あの、きっと母君も無事ですよ。」
「はい、私もそう思います。兄様は今まで皆の期待を裏切った事が有りません。だから今回もきっと。」
桜恋は顔を智姫に向け笑顔で答えた。智姫もつられて笑顔になってしまう。
「あ、あの桜恋殿…。」
「あ、桜恋とお呼びください。殿なんて何かおかしいです。智姫様。」
「え、あ、そう?それじゃ桜恋、あの、その…。」
言いずらそうな智姫に桜恋が首を傾げた。
「えっとね。正炎様は私の事何か言ってなかった?」
「いえ、別に…。」
智姫ががっかりして下を向いた。
「そ、そう。ははははそうよね。」
「あ、そう言えば。」
桜恋が何か思い出したように言う。思わず智姫が期待を込めた表情で桜恋の顔を見つめた。
「この間、このお屋敷に招待された帰りに、緊張したと。」
「緊張?」
智姫は複雑な表情をした。“緊張って何よ。どう判断していいか分らないじゃない。”
「それと…。」
桜恋がまた思い出した様に言った。また智姫が期待を込めた顔で桜恋の方を向いた。
「それと?」
「凄く怖くてさすがは許音様の妹御と…。後、さすがは虎口様をふった女丈夫とか…。」
智姫がまた落ち込んだ。“怖いとか女丈夫とか…。私の印象はそれしかないのかな…。”
「どうしました?智姫様。」
落ち込んでいる気配を察知し桜恋が聞く。
「え?いや、あはははは。何でもない。」
智姫はそう言ってまた飯を握り始めた。桜恋も不思議そうな顔をしたがまた握りはじめる。
侍女達がこそこそと話しているのが耳の良い桜恋に聞こえてきた。
「本当にそっくりね。双子みたいだわ。」
「いえいえ、正炎様の妹御はまだ十二歳だそうよ。智姫様は十六歳。体の大きさの違いから見ても姉妹って感じよね。」
「それにしてもそっくり。でも、目がお見えにならないそうよ。お可哀相に。」
そんな声が聞こえてきている。桜恋はその会話に心で対応していた。
“本当にそっくりなのかしら。”“智姫様は十六歳なんだ。”“目が見えないのはあまり気にならないのよ、それは見えれば良いなとは思うけれど。それより兄様が王族の血を引いているなんて、私にはそっちの方が問題だわ。兄様が普通の村の人だったら私にもまだ可能性があったのに…。”
一人で侍女達の会話に合わせてブツブツと言っていると智姫が質問してきた。
「ねえ桜恋、あのね、私が、その…、あなたのお姉さんになったらどう?」
いきなりの質問に桜恋の手が止まった。
「は?何ですかそれは。」
智姫は思い切ったという態度で言った。
「だからさ、正炎様と私が結婚したら、…どうかな?」
最後の方が声が小さくなった。そして、真っ赤な顔をして桜恋の顔を見る。が、すぐにその表情が硬くなった。桜恋の顔が何とも悲しい表情に変わったからだ。
「あ…、私じゃ駄目よね…。そんな顔しないで、言ってみただけだから。」
桜恋はハッと気付くと慌てて表情を戻した。
「あ、違うんです、違うんです…そういう訳では…。」
桜恋はそう言いながらもまた表情が暗くなった。そして、呟く様に言う。
「あの、智姫様がお姉様になっていただけるのは凄く嬉しいんです。でも、兄様は…兄様を…。」
智姫は何となく分かった。“そう言えば私も幼い頃、兄が女性の所に遊びに行く度に嫉妬したっけ。自分だけの兄が違う人の物になっていってしまう不安。この子はそういう年頃だったわね。”
「あの…、私智姫様の事好きです。…本当に優しくして戴いて…、でも兄様は…兄様は私の兄様は…。」
桜恋が泣きはじめた。自分でも感情が混乱しているようだった。それを見て智姫は両腕を桜恋に回した。ご飯を手に持っているので手が他に付かないように腕だけでだ。桜恋はその感覚に智姫の方を向く。智姫はその時コツンと自分の額を桜恋の額につけた。
「分かったわ。あなたのお兄様はまだ取らない。もうちょっとあなたが大人になってお兄さん離れをしてから改めて正炎様に迫るわ。でも、私もあなたが好き。だから正炎様を関係無しにしても私の事はお姉さんと思って欲しいわ。」
桜恋は額に智姫の体温と優しさを感じて嬉しそうに頷いた。それを見ていた侍女達がまた騒いでいる。“凄く奇麗!”とか“何か本当の姉妹みたい”とかほのぼのとした呟きが聞こえている。それが耳に入った二人は慌てて離れて、おむすびをまた作りはじめた。
覇口の広大な屋敷の中に後ろで手を縛られた三人が神官長とその陰の者他に囲まれて入ってきた。陰の者達は昼間でも怪しく見えるのだが、覇口の屋敷の中では皆が慣れているのか侍女や侍従達も何も言わない。黙って見て見ぬふりをしたり、目を伏せたりしてその存在を無視しているようだった。
三人は奥の方の一室に連れて行かれ、その広く薄暗い床の部屋に座らされた。
「少し待っていて下さいね、覇口殿を呼びに行かせましたから。まあ、鈴杏殿と御対面した所で死んで戴きますので、あなた方からしたらこの時間が長い方が良いというものでしょうが。」
三人は気力喪失という感でがっくりと肩を落して座り、一言も発しようとはしなかった。
「正炎殿は虎口殿が自ら手を下したいと言っておられたが、生憎虎口殿は体を鍛え直すと言って武術殿にこもりっぱなしで連絡が付かないのですよ。全くあのお方は毎回運が悪いと言うか、間抜けと言うか…。」
くだらない神官長の話を聞いていると、ドスドスと音が響いてきて覇口が部屋に入ってきた。
「早いな。もう正炎を捕まえたか。」
覇口はそう言うと捕まっている三人を見渡した。
「おや?許音もおるのか。」
「叔父上酷いではありませんか。こんな怪しいじいさんと組んで私達をこんな目に合わすなんて。」
許音が軽い口調でそう言うと覇口も軽く言い返した。
「うむ、別にお前はどうでも良いのだが、ま、ここで目の上のこぶとして始末したほうが、後々楽になりそうだな。」
「あああ、何て酷い人だ。これが我叔父上とは…。」
がっかりとして見せる。が内心はあまり気にしていなかった。許音は覇口がそういう人物である事を承知しているからだ。
「ほほう、こやつが正炎か。宮中で何度か見かけたが、覚える必要も無い小者と思い良く見た事は無かったな。なるほど、目元が鈴杏に少し似ているな。」
上から見下ろして覇口がニヤリと笑う。
「母さんは、母さんは何処だ。」
「安心しろ。あれでも俺の妹だ。丁重に保護してある。」
そう言うと覇口は指を鳴らす。すると横の襖が開きそこに香奈枝が縛られて転がっていた。
「母さん!」
正炎が叫ぶ。すると香奈枝がこちらを向いて、叫んだ。
「正炎!もう捕まったのか!このドジ!あんたが捕まってどうやって逃げるつもりだい!」
香奈枝が元気良く正炎を罵った。
「あれが私の母です。許音様…。」
「始めまして、許音です。いや、知らなかったのですが叔母上であらせられるのですね?」
「あらあら、これは許音殿、馬鹿息子が本当にお世話になって…、本当に感謝してます。こんな格好じゃなければちゃんと挨拶できるんですけどね。」
香奈枝が笑顔で答える。
「いやいやこちらこそ。しかし、お噂はかねがね色々な所から聞き及びましたが、噂に違わないお美しさですね。」
「あら、嬉しい事を。あなたの母君に比べたら私なんてただの名無し草ですわ。母君はお元気でおられるのでしょう?」
「はい。元気にやっております。しかし、叔母上から母の話が出たと母が聞いたら卒倒してしまいますよ。何て言っても我母は叔母上を大変慕っておりますので。」
縛られたままほのぼの雰囲気の挨拶が続いた。それに青筋を立てて覇口が怒鳴った。
「お前たち!すぐに死ぬ運命にありながら何をほのぼのと挨拶を交している!!」
「うるさいな叔父上,こういう事はちゃんとやっておかなければ後々に残ってしまうでしょうが…。」
「後々の事など考えんでも良いわ。すぐに死ぬのだから。」
「まあ、それはそれとして、覇口様。母さんともう少し近くに寄れないのですか?最後なんだから親子のちゃんとした対面をさせてもらいたいですね。どうせならこの綱も切っていただけると有り難いのですが…。」
正炎が母の無事な姿を見て安心したのか、彼からも軽口が出た。それでプチっと覇口が切れた。彼は腰に帯びていた刀をおもむろに抜くといきなり振り上げる。が、すぐに神官長が止めた。
「まあ、落ち着きなさい覇口殿。どうせ何も出来やしません。綱は切るわけに行きませんが母ともう少し近くに寄せてあげる事くらいは人としての情というものでしょう。」
覇口がフーフーと興奮した感情を押さえる為に息を整えていた。そして頷くと、陰の者達が数人で香奈枝を運んで三人の横に下ろした。
「やっと叫ばなくても話せる距離にきたわね。ところで正炎、どう?」
そう香奈枝が聞くと正炎が言う。
「大丈夫だよ。そっちはどう?」
「こっちはいつでも良いわよ。」
覇口、神官長、そして陰の者達が首を傾げた。そして許音、鋼煉まで首を傾げる。
「何を言っているか分からんが、もう話す事も無くなったなら殺すぞ。」
覇口の言葉を合図に陰の者達が一斉に刀を抜いた。
「許音様、鋼煉先生、上手く逃げて下さいね。」
正炎がそう言うのと同時に覇口が陰の者に合図を送る。そして一斉に刀を四人に下ろそうとした瞬間、許音と鋼煉が正炎に突き飛ばされて隣の部屋に転がった。正炎の手を縛っていたはずの綱は外れていて、次の瞬間に正炎は目の前にいた陰の者に拳を叩き込んだ。そして後ろから正炎に切り付けようとした陰の者が崩れ落ちる。その後ろに香奈枝がやはり綱を解いて攻撃していた。
「正炎、覇口とその神官は殺しては駄目よ!!」
香奈枝が怒鳴りながらまた一人倒す。次から次へと繰り出される陰の攻撃を軽々と避ける香奈枝と正炎。そして凄まじい力の突きと蹴り。まさしく最強の二人という感じだ。
「この間は遅れを取ったが、この明るさでは負けないよ!!」
香奈枝が怒号する。この前、闇の中だったとはいえ、負けたのが相当悔しかったらしい。
二人の活躍でここにいる敵はあっと言う間にかなり倒したが、この騒ぎに覇口の部下達がドタドタと足音を立ててやってきた。それで、覇口の顔面に三発程拳を叩き込んでいた正炎が気付き、スッと隣の部屋に移る。そしてそこでまだ倒れていた鋼煉と許音の縄を解いた。
「許音様、鋼煉先生。ここは私達が食い止めますからとりあえず逃げて下さい。」
「しかし、…。」
鋼煉が戸惑って言った。しかし、正炎を信用している許音が鋼煉を引張って後ろから逃げていった。
「母上、もう少ししたら逃げますよ。」
「チッ、神官舎利視はとっくに逃げてしまったよ。お前がぐずぐずしているからだ。」
香奈枝はすでに陰の者を倒しきっていて、覇口の正規の兵に囲まれていた。
「二人が逃げる間だけ時間を稼ぎますから。」
「分かっているよ。」
そう言うと刀を構える覇口の兵達の中に突っ込んで行った。
逃げている二人、許音と鋼煉はそのまま人気の無い部屋をいくつも横切って、裏門の前に来ていた。
「許音殿、助けに来てそれを置いていってしまっては意味がないぞ。早く戻って助けなければ。」
「俺達がいても足手まといだ。俺は正炎の強さを知っているし叔母上の話も正炎から聞いている。あの正炎が真剣に戦っても全く勝った事が無い程の腕だそうだ。心配は無用でしょう。」
鋼煉は少し考えてから頷いた。
「それで正炎は神の家で、抵抗をしようとした私達に無駄な抵抗は止めて素直に捕まりましょうなどと言ったのか。その自信から…。」
二人は裏門から抜けて草陰に身を隠すとやっと落ち着いた。
「正炎の強さは聞き及んでおったがそれ程強いのか?村では見た事が無い。」
「見たでしょ?あの綱を素手でひきちぎるあの力。そして、叔母上も同じ事をして我々を待っていた様でしたよ。正炎がああやってやって来るのを信じていたようで、それを絶好の機会と窺っていたようでした。」
「香奈枝は正炎がまだ物心付く前から兵法と学問を教え込んでおった。その教えが正炎の行動に出て、その行動を香奈枝は読んでいたのであろう。……許音殿、一つ申しておきましょう。舎利視は正炎が次の王だと言っておりましたが、それは違う。実はすでに王はすでに存在しておるのだ。」
許音は少し驚いた表情をして許音の方を見た。
「先王が崩御されてから今まで神の啓示が降りなかったと宮中では言っておったであろう。が違うのだ。すでに降りているから他の者には降りるわけがなかっただよ。」
「そ、それは一体…。」
「覇口や舎利視に王を渡すわけには行かん。彼らは王を殺そうとするであろう。それが彼らの野望でありそして現実に正炎を殺そうと企んだ。あの二人がいる限り王は宮には戻せん。」
「誰なんです。王とは。」
「それは…ウッ!?」
ザクッと音がした。鋼煉が口から血を吐き目を見開く。バッと振り向くとそこに立っていた男。舎利視が剣を鋼煉の背中に突き刺してニヤリと笑っていた。
「神官長!どうしてここに!鋼煉殿!鋼煉殿!!」
すでに鋼煉は絶命していた。許音が慌てて身構える。
「貴様!何てことを!!」
「いやいや、私は正門から回ってきたのですが、お二人のお姿を見つけたので音を立てずに近付いてみました。中々面白いお話をしていらっしゃいましたね。」
舎利視は鋼煉から剣を抜き死体となった鋼煉の服で血を拭いた。
「貴様!!許さんぞ!」
「許さん?ここに正炎殿はおられないのですよ。あなたに何が出来ます。」
舎利視がニタニタと笑いながら剣を構える。許音がそれにひるみ、二歩三歩下がった。戦う事が全く苦手なのだ。
「それはそうと、正炎は王になれないと言っておられましたね。全く時間を無駄にしました。しかし、面白い話しも聞けて良かったですよ。神の啓示が降りている人物が存在していてその方がいる為に他の者に神の啓示が降りない。いやはや何とも…考えなかった訳では無いですが宮中の者以外にそんな人物がね…。ま、正炎殿の例を考えれば、他にも王族の生き残りがいてもおかしくは無いですか。さて、一体…。」
舎利視が考え込んでいる。しかし剣はピタリと許音の喉を向いていて許音は身動きが出来なかった。
「それを聞いてからでも良かったのですが、つい刺しちゃいましたよ。そう言えば正炎殿には血の繋がらない妹君がいましたね。しかも彼女は智姫殿とうりふたつとか。何か匂いますね…。」
舎利視はそう言ってまたニヤリと笑った。
正炎達は逃走に移っていた。すでに覇口の兵を十数人を倒していたが、それでも次から次から来る兵達にうんざりしたのと、もうそろそろ許音と鋼煉が逃げただろうという判断からだ。
正炎達は覇口の屋敷の中を縦横無尽に走り、壁を壊し襖を潰して道を作っていた。そしてその時々に現れる覇口の兵を潰して行き破壊の限りを尽くしていった。
「母さん、いくらなんでも壊しすぎでは?」
正炎は大喜びで壁や柱などを破壊しまくる香奈枝に苦笑いをして言った。彼女は髪を振り乱し、着物もかなりはだけて、何とも情けない姿をしていた。
「私をこんな目に合わせたのだからそのお礼はしなくちゃね。それにここ数年暴れていなかったから欲求不満が溜まってて溜まってて。」
香奈枝はそう言いながらまた一つ壁を崩した。そして穴の外に裏門が見えている。
「あれ、もう終りか。もう少し暴れたかったけど…。」
香奈枝ががっかりした。
「母さん、いい加減にしてよ。こんな姿を桜恋にばれたくはないでしょ?」
「そうね。桜恋にはお淑やかという物を教えていたのだったわ。」
香奈枝はそう言って髪の毛を手櫛で整えると、着物の裾を直しパンパンと埃を払い小股でそして優雅に歩き出した。正炎は呆れて苦笑いをする。
「母さん、急にそう変わるのもどうかと…。」
その時、ヒュンと風を切る音がして正炎の頬をかすめた。
「ウッ!」
「母さん!!」
香奈枝が前に倒れ込んだ。その背には矢が刺さっている。香奈枝が倒れ込むのと同時に複数の矢が飛んできた。正炎は慌てて香奈枝に駆寄り彼女を抱きかかえて走出した。
「母さん!母さん!チクショウ!!」
正炎は叫んで門を抜ける。その後を数本の矢が正炎と香奈枝の体をかすめ飛んで来る。
「チクショウ!!母さん!!」
正炎は真っ青な顔をして叫びながら走った。
許音は神官長に剣を向けられたまま身動きが出来ずにそこにいた。が、正炎達が裏門から出てきて走って来る。それを見た神官長が剣をしまった。
「全く覇口殿は無能ですね。あんなに人を使ってもあの二人を殺せないのだから。」
そう言って神官長は背中を向けて歩き出した。
「私は騒がしいのが嫌いでしてね。あなたの命はまた今度貰いに来ますよ。あなたが邪魔になった時にね。」
神官長はそう言い残すと、そのまま姿を消した。
「た…助かったのか。しかし、鋼煉殿は…。」
許音は鋼煉だった死体を見た。しかし、悠長にはしてられない。
「許音様!!」
正炎が青ざめて走って来る。腕に香奈枝を抱いていた。そしてその腕から血が滴り落ちている。許音は走って来る正炎とそのまま合流して屋敷から逃げ出した。
「正炎!叔母上はどうしたんだ!!」
「敵の矢にやられました。息はまだ有りますが、出血が多くて早く手当てをしないと危ないです。鋼煉先生は何処ですか?」
許音が辛い表情をした。
「まさか、鋼煉先生が…。」
「神官長の手にかかって死んだ。俺がいながらすまない…。」
「そうですか…。しかし、その話は後にしましょう。まずはあの追手から逃げ延びてから。」
二人は走り続けた。その間にも香奈枝の顔色がどんどんと土気色になっていく。二人は全速で走り続けて行った。




