5. 襲撃された
小さな村の夜。村人達のほとんどは野良仕事で生計を立てていて、夜は早く眠る。しんと静まり返った暗闇のこの村は虫の声と風のさざめきだけが響く。
その暗闇の中を五・六人の足音が響いていた。それは虫の声より小さい音でそして軽やかに飛び跳ねる。そして村外れの一軒の家の前で立ち止まり、顔を見合わせるとその家を囲む。
家の中では一つの布団に親子らしき二人が寝ていた。が、親の方がパッと目を開ける。
「桜恋、起きな!何か変だよ。」
その声は香奈枝、正炎と桜恋の母親の声だ。桜恋はその緊迫感のある香奈枝の声にガバッと身を起こした。
「どうかしましたか母様?」
「虫の声が止まったよ。考えたくないが囲まれているかも知れない。」
目の見えない桜恋にとって夜も昼も関係ない。匂いと気配を感じる力は人一倍だ。
「母様、確かに囲まれてます。違う匂いが五つ…六つ。ほんのり血の匂いもします。」
「誰だ?私達を襲っても何の得にもならないが…。ほんのり血の匂いと言う事は、殺戮を生業にしている者達か…。」
「どうします?母様。」
桜恋は布団から出てすでに構えている香奈枝にしがみついた。
「しまったな。逃げ道を作っておくんだった。まさかこんな家を襲う者がいるとは思わなかったから…。」
「母様来ます!!」
桜恋の叫び声を合図に入り口の板戸が壊される音、ついで板で閉じている窓が壊され人が飛び込んできた。
「母様!右!!」
桜恋が叫ぶ。
「はいよ!」
香奈枝はその瞬間敵が構えようとしたその腹に横蹴りを入れた。小さな絶句音が響きそれがもがいている音がする。さすが正炎に武術を教えた張本人だ。
「行くよ。」
香奈枝は片手で桜恋の手を引きその部屋から飛び出した。
「母様、ここにも居ます。」
「分かってるよ!!」
敵の気配の場所に拳を突き入れた。鈍い音と良い感触が香奈枝に感じる。
「よし、鼻の骨は折れたな。」
そう呟きながら移動し、土間まで来た。そこから扉まではすぐだ。しかしそこに三人の気配がする。
「こりゃ駄目だ。出口を固められた。」
「どうしますか母様!」
「仕方ない。お前だけでも逃げるんだ。」
「どうやってですか?」
「こうやってだ。」
香奈枝は外に面している土壁を蹴り破った。そして桜恋をその穴から投げ飛ばしす。
「母様!!」
桜恋は外にと飛ばされ、ゴロンゴロンと転がった。が、すぐに立ち上るとそのまま回り込んで家に入ろうとした。しかし、敵はそのわずかな間に香奈枝を攻撃して気絶させると香奈枝に打ち倒された者と一緒に担いで行ってしまった。狙いは香奈枝だったのだ。
「母様!母様!!」
遠くなっていく香奈枝の匂い。桜恋は匂いを追いかけて行く。しかし、敵は早く、すぐに匂いは消えていってしまった。
「どうしよう、母様…。そうだ鋼煉先生に助けてもらおう。」
小さな頃から苦労をしている桜恋はそこでただ立ち尽くすなんて事はしない。もっともこれは母親である香奈枝の教えで、辛い時こそ全てを尽くして道を探せというものだった。
桜恋は何度か行っている鋼煉の家に走った。夜なので人が障害物にならずに上手く走れる。そして鋼煉の家に着くと板戸を思いきり叩いた。
「先生!鋼煉先生!助けて下さい鋼煉先生!!」
出る限りの声を張り上げて戸を叩き続ける。やがて中から声がした。
「なんだいこんな夜中に。」
戸が開くと鋼煉が顔を出した。桜恋が鋼煉に抱き付く。
「先生助けて下さい!母様が、母様が!」
「何だその声は桜恋だな。ちょっと待ちなさい。明かりを持ってくるから。」
鋼煉は桜恋の慌てぶりに驚き慌てて家の中に入り松明に火をつけて戻ってきた。
「桜恋なんて格好で来たんだい。」
松明の火に照らされた桜恋は、泥だらけ埃だらけの寝間着で半分はだけている状態だった。先生は自分の上着を脱いで桜恋にかけると状況を聞く。
「何があったのかね。香奈枝に何かあったのか?」
「誰か分らないけど襲われたの、母様連れて行かれたの。」
「何だねそれは。…とりあえず香奈枝の家に行ってみよう。」
鋼煉は桜恋の話では良く分からないので自分の目で確めるべく、裏から自分の馬を引いてきてそれに跨った。そこに鋼煉の妻が眠そうな顔をして出てきた。
「あなた、どうしたの?」
「うむ。香奈枝の家で何か有ったらしい。桜恋の世話を頼むよ。」
鋼煉は馬をさっそうと操り走っていってしまった。
「あらあら桜恋、そんなに汚れて。何があったか知らないけどとりあえず中にお入りなさい。うちの人に任せておけば大丈夫だから。」
桜恋は小さく頷き鋼煉の妻に肩を抱かれて中に入っていった。
鋼煉は香奈枝の家に入るなり表情が険しくなる。
「確かに誰かに襲われたな。しかし、一体…。」
鋼煉は奥から所々に落ちている香奈枝の抵抗の後と見える血を調べて見た。
「あの香奈枝を連れて行くとは相当の手足れ。しかも闇の中で自由に行動できるもの…。」
鋼煉は考えながら更に調べていくがそれ以上の物は見付からなかった。
「誰が一体……まさか…いや、あの組織は潰れたはず…。」
鋼煉は家を出て馬に跨ると自分の家に戻っていった。
次の日、正炎が都から戻ってきた。いつもの通り馬に乗り、村に入り鋼煉の家の前を通ると声が響いた。
「兄様!」
正炎は馬を止め声の方を見る。すると鋼煉の家を飛び出して来る桜恋がいた。桜恋は半泣きで、馬から下りた正炎に抱き付いた。
「どうした、桜恋。何で鋼煉先生の所に?」
「兄様、大変なの。母様が、母様が。」
正炎は半泣きで母様と叫ぶ桜恋の姿に、香奈枝に何かあったかと表情を強張らせた。
「母さんがどうかしたのか?」
その時、出てきた鋼煉が正炎に言う。
「君の母君、香奈枝が何者かによってさらわれたのだ。しかも相手はかなりの手足れだ。何といってもあの香奈枝を連れていったのだからな。」
「何者かは分らないのですか?」
正炎は表情を強張らせたまま鋼煉に聞くが、鋼煉はただ首を振った。証拠など残す者達では無い。正炎は険しい顔をして握拳を作った。
「兄様。母様は私を逃がそうとして…。」
「桜恋が心を痛める事は無いよ。でも、何の為に連れ去ったか分らない以上、母さんの事は覚悟していてくれ。」
正炎は母の死を覚悟した。もし犯人が香奈枝の命を盾に正炎に宮中の要人殺しを強いてきても、それは絶対に出来ない。母を見殺しにするしかないのだ。
「兄様、それはどういう…。」
正炎は桜恋を抱きしめて言う。
「母さんはもう死んだかも知れないと言う事だ。もし、母さんを盾に宮中内の混乱を要望してきても俺はそれに答える事は出来ない。」
「そ、そんな…。兄様は母様を…。」
「母さん一人の為に国の中枢を崩す事なんて出来ないんだ。そして母さんも俺にそう教えてきた。」
正炎は桜恋を抱いたまま辛そうな表情をしていた。
「で、でも…、あっそうだ。血の匂いがしました。」
「な…にを一体?」
正炎が桜恋の顔を見詰める。鋼煉が目を見開いた。
「あの、家が囲まれた時その人達から血の匂いが…。そしたら母様が殺戮を生業にしている者かと言って…。」
「やはり奴等か!!」
鋼煉の声に正炎が反応する。
「奴等って、知っているんですか鋼煉先生!!」
「ああ、しかしこんな所で話す話では無い。中に入れ。」
正炎と桜恋は手を繋いで中に入っていった。
何処かの屋敷の一室。意識の無い香奈枝が両手両足を縛られて寝転ばされていた。そこへ男が現れた。白髪に白いあごひげの老人、神官長と、白髪混じりの髪の毛鋭い眼光の中年男、覇口であった。
「覇口殿、土産でございます。見覚えが有りますでしょう。」
覇口は目を見開いた。
「これは驚いた。鈴杏ではないか。」
「ここに王の継承できぬ秘密も有りましょうと捕まえて参りました。いずれ殺しますがそれまであなたに預かってもらおうと思いまして。」
神官長はそう言うとツツツッと後ろに下がり、部屋から出ていった。
覇口はそれを見てから香奈枝の体を揺らした。香奈枝は「うんんん…。」と唸った後目を開けた。そして覇口の顔を見るなり言い放つ。
「ちっ、見たく無い顔を見てしまったよ。あんたの部下かい私をさらったのは。え?覇口。」
「久しぶりに会ったのに何て言い草だ、鈴杏。…しかし、年を取ったな。」
「大きなお世話だ。大体、私は香奈枝だ。鈴杏では無い。」
不機嫌な顔がもっと不機嫌になる。覇口は大きくため息を吐いてその横に座った。
「おい、鈴杏よ、俺の妹だからと言ってあまりなめた口を利くなよ。お前の命は俺が預かっているのだからな。」
「私も殺すかい?勝手にしな。父王弦炎や長兄朱拳、末兄剣口と同じようにな。邪魔物は全て消すのがお前のやり方だろう?」
覇口がわなわなと震だし香奈枝を睨んだ。
「…父は…あの王は、兄上が継承権を自ら破棄したのにそれを認めなかった。王が認めねば継承権は継続する。だから兄上を殺したのだ。それで安心していたら今度は剣口が、あの弟が俺より継承権が下の癖に神の啓示を受けやがった。だから殺した。そしたら今度は父だ。俺にもし啓示が降りても王にはさせないと言いおった。」
「愚かな兄、愚かな男よ。何故お前に啓示が降りなかったか教えてやろう。継承はあくまで我らが決めた掟。しかし、啓示は王に相応しい者に降りるもの。兄弟を殺し父を殺したお前に王の器は無い。」
「貴様!!」
グシャッと鈍い音が響いた。覇口が急に立ち上がり香奈枝の腹に蹴りを入れたのだ。香奈枝は「ウグッ!」と唸った。そこへ神官長が部屋に飛び込み走ってきて後ろから覇口を止めた。
「覇口殿、困りますな。ここで殺されたらこれからの計画が全部あだになってしまうじゃないですか。」
「貴様、神官舎利視。何故ここに。」
香奈枝が辛そうな顔をしながらも神官長の顔を見て叫んだ。
「今は神官長です。お久しぶりですね鈴杏様。いや今は正炎殿の母君香奈枝様でしたな。」
「正炎の母?正炎とはあの許音の側近のか。」
「そうです。彼はこの鈴杏様と先王の弟の御子息、炎西の一人息子です。そして今一番神の啓示が降りる可能性のある男です。」
香奈枝が始めて悔しそうな顔をした。正炎の事はばれずにいて欲しかったのだ。
「なるほど。それでは正炎を殺せば神の啓示は俺に降りるのだな?」
神官長が頷いた。
「私の息子を、正炎を殺すつもりなの?止めて!私はどうなっても良いから。」
「あなたも死ぬのですよ。もっとも正炎殿を殺してからですが。」
二人は楽しそうに笑いながら部屋を出ていった。
「正炎…なんて事を。」
正炎は桜恋と鋼煉と共に許音の屋敷に来ていた。そこで許音と、遊びに来ていた智姫を囲んで事の事情を説明していた。
「と言うわけで神官達の‘’陰‘’と呼ばれる、情報や殺戮を司る者達が香奈枝をさらったのだ。」
鋼煉の説明は、敵は神官達だと言っているのだ。が、許音は腑に落ちない所が幾つもありそれの説明を求めた。
「何故あなたがそんな事を知っているのですか?それに正炎の母君をさらって何の得になるんですか?」
許音の言葉に鋼煉が顔を顰めた。
「そ、それは…。」
そこに智姫が首を傾げて言う。
「もしかしたら、昔神官だったのでは?内部に詳しい理由はそれしか無いでしょう?」
正炎がバッと鋼煉を見た。
「そうなのですか?鋼煉先生。」
「…そうじゃ。むかし私は神官としてあの神の家で学問を学んでいた。」
「なるほどね。ま、正炎の母君がさらわれたのは恐らく正炎に宮中内を混乱させる為の人質であろうし。」
「いや、そうとも言えぬのだよ。」
皆が鋼煉を見た。鋼煉は大きくため息を吐いてからゆっくり話しだした。
「これは正炎にも内緒にしていたのだが…。あれは二十二年ほど前…。」
二十二年ほど前鋼煉は神官の中の幹部であった。その頃の神官長は穏かで好奇心に満ちた人だった。だから彼が神官長となった時、それまで裏で国王と繋がり国の仇となるものを排除してきた陰に生きる者達を解散させ、神官の全うすべき道を説いた。
ある時神官長はこの世の全てを知る事が出来たという。がそれは常人には耐えられるものでは無かった。神官長はそれを最後に神官長の位から退きただの人として都から離れ田畑を耕す生活をしているという。
その神官長の時の幹部であった鋼煉は神官長が退いた後、次の神官長に一番近い男であった。が、鋼煉はある事件に巻き込まれる。専属の講師として学問を教えていた王家の者が自分の妹姫と尋ねてきたのだ。その姫は美しさもさることながら、学問武術とを軽くこなし、父王の覚えも良く神に愛されていた。
王子が言うには継承権など関係無く彼女が次期王になる可能性が高い。しかし彼女にその気は無く、しかもその時ある男と恋に落ちていてその男と添い遂げたいのだと言う。次期王の可能性が大きいという事が宮中に流れる前にその男と逃げたいのだと言うのだ。それは相手の男も承知だというので鋼煉はその駆け落ちに手を貸した。が、それは王の耳にも届き鋼煉も都にいる事が出来なくなり、彼もまた都から離れていった。その後、国中を回って色々な物を見聞きし、今の村に辿りついたのだ。また、神の家では他の幹部の中から神官長が選ばれたと言うが、その男がまた陰の者を復活させたらしい。
鋼煉はこれまで正炎でさえ全く知らなかった事を説明していった。
「なるほど。それで鋼煉先生は何にでも詳しいのですね。で、鋼煉先生が行き着いた村が今の村なんですね。」
正炎が納得した様な顔をした。
「でも、それと母さんがさらわれた事とどう関係があるのですか?」
鋼煉はジロリと正炎を睨むと情けなさそうに言った。
「相変わらずお前は察しが悪いのう。その駆け落ちした姫がお前の母、香奈枝だ。」
鋼煉がそう言った後、かなりの沈黙があった。そして皆一斉に声を発した。
「えー!!!」
「嘘!それでは兄様は王族の人?」
「正炎が王族?おいおい本当かよ。」
「正炎様!なんてことでしょう。」
「何だ何だ、誰も気付いておらんかったのか。ああああ情けない。」
鋼煉がまた情けない顔をして言った。
「それでは、正炎様の母君はその命が目的でさらわれた可能性もあるのですね。」
「母様!そんな、それでは!」
智姫の言葉に桜恋が泣きそうになった。
「しかし、王族にそんな名前の人がいたかな。王族名書にも無かったと思うが…。」
許音が腕を組んで考えながらそう言った。
「香奈枝の本当の名は鈴杏だ。香奈枝は村に住むようになってからの名だ。」
鋼煉の言葉に正炎許音智姫の三人が驚きの声を上げた。
「鈴杏って過去の武術大会を総なめにしたっていうあの伝説の?」
「宮中の美の化身と言われてたという、あの?」
「聡明で学問の右に出る者はいないと言われた天才の?」
三人が三人とも違う所でその名を聞いていたらしい。
「うむ。しかし、そんなに有名とは…。」
「俺が聞いた話しでは、女ながらに武術の天才で敵なし。戦えば数秒で相手が倒れてしまうという凄腕。都では敵がいなくてつまらないと言って旅に出たと聞いてましたが、それが俺の母さんとは…。」
「母上が昔言っていたよ。私も若い頃そこそこいけていると思っていたけど、鈴杏様という方がいたから人に宮中の華と言われる度に恥ずかしかったってね。」
「私は講師の方に聞きました。教えようとすると逆に教わっている事が多い人だったって。その姫の所に学問を教えに行く度に講師が一人落ち込んで帰ってくるというとんでもない才女だったって。」
「鈴杏ていう方は我父の妹。それが、正炎の母君とは。…そうすると、俺達は従兄弟どうしって事じゃないか。何だ、それならお前は俺の事も呼び捨てて良いのだぞ。」
「許音様、そんな事をいきなり言われましても…。」
正炎が困ってしまう。その横で小さく呟く智姫がいた。
「そうすると結婚の障害は無くなったわね。王家どうしだし。」
「え?」
皆が一斉に智姫を見た。それに気付いて智姫がアハハハハと照れて笑った。一人をのぞいて智姫の言葉はほとんど聞こえていなかったのか、そんな智姫を皆は不思議そうに見た。
ただ一人、聞こえていた者。それは目が見えない事で耳が発達している桜恋だった。桜恋は身分の違いを初めて知り、自分の兄正炎が遠い存在に感じられた。そして、智姫の言葉に自分がいずれ正炎と離れなければならぬ運命と知り涙が出てきたのだった。
「どうした?桜恋。」
その顔を見て正炎が尋ねる。慌てて桜恋は涙を着物の袖で拭き取ると笑顔で言った。
「な、何でも有りません兄様…。それより母様は…。」
正炎は少し暗い顔をして考え込む。そこへ、智姫が提案した。
「とりあえず神の家を調べる必要が有りますね。さらっていった者達が誰に頼まれたのかは分かりませんが、さらった者達の正体が分かっている以上そこから責めるしか。」
「智姫の言う通りだな。とりあえず神の家を調べよう。動かなくてはどちらにせよ状況は進展しない。」
五人が一斉に腰を上げた。そして正炎と許音が智姫様と桜恋に言う。
「智姫様と桜恋はここで待っていて下さい。危険ですから。」
「そうだ。ここからは男の仕事。お前たちは俺達の無事を祈り飯でも作っていてくれ。」
智姫と桜恋は同じ顔で寂しそうな顔をしたが、小さく頷く。
「鋼煉先生は御同行をお願いしますね。私達は神の家の中を詳しくは知りませんので。」
「当たり前だ。私が行かなくてどうする。神の家の中は外見からは想像できないほど大きく複雑なのだ。」
三人は少し笑顔を見せて許音の屋敷を出ていった。
「ズルイよね、男ばかり格好つけて。ねえ、桜恋殿?」
智姫が呟くように横の桜恋に話かけた。しかし、桜恋は両手を胸の前で組み下を向き神に祈っていた。
神の家の神官長の部屋。そこに陰の者の隊長が跪いて神官長の言葉を聞いていた。
「雅童よ、私が何をやりたいか分かるか?」
「いえ、私如きの頭では神官長のお考えを知る事は出来ません。」
神官長は短く笑い、呟く様に言った。
「お前はこの世界をどう思う。どういう物だと思う?」
「はい。ここで習得した私の知識ではこの国が収めるのは実はほんのちっぽけな島でしか無く、世界は球体の星の一つである。海の向こうには色々な国が有りそこに肌の色の違う人々が暮らしている。そしてそこは私達の住むこの島国より素晴らしい道具などが有ると知りました。」
「それは、真実と思うか?」
「古くからの書物にはそう書かれていましたが、実際に見たわけではありませんので…。」
「あるいは真実やもしれぬ。が、それも禁断の扉を抜けた時に分かる。お前はあの扉の向こうを知っているか?」
「はい。階段がずっと降りています。ずっとずっと…。」
「その先は?」
「さあ、知りません。神官長はご存知で?」
神官長は目をつむり思い出すように言う。
「……階段をずっと降りていくと…何処までも何処までも、地獄へ続くのではと思われる程の長さを降り続けると…そこには大きな扉があった。」
「と、扉ですか…。」
神官長は目を開いて雅童に「もう用は無い。戻れ。」と命令して彼を出て行かせた。そしてまた目をつむり思い出す。
「あの扉。鍵穴が無くそれでいて押しても引いても開かぬあの扉。横に書いてあった古代文字の示した意味は、王の血を以って開かれん、知りし者とならざり…。見たいそして全てを知りたい。あの扉の開いた向こう側に何があるのか。」
神官長舎利視の野望の原点である。この思いが彼を行動させていた。長いあごひげをまた何度か撫でると彼の目は若き日の時の様に光っていた。




