表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
少女たち  作者: 永遠栄作
4/27

京都

生まれたばかりの朝の光を浴びながら、新幹線は滑るように西へと走っていた。

窓際の席に座る幸子は、じっと外を見つめている。流れていくのは、どこまでも続く田園風景。水を張った田んぼが光を反射し、遠くの山並みも光り輝いていた。しかし、景色は飛ぶように後ろへと消えていくのに、胸の奥にあるものだけが、逆にゆっくりと浮かび上がってくる。幸子にはそう思えていた。京都へ向かっている。その事実が、今さらのように重くのしかかっていた。——なぜ、あの手紙は自分の元に届いたのか。考えようとして、ふと視線が曇る。意識は、数日前の夜へと引き戻されていった。


※  ※


キッチンの柔らかい明かりの下で、幸子と美空は並んで写真を見ていた。古びたモノクロ写真はテーブルの上に広げられ、そのどれもが遠い時代の空気をまとっている。

「それでね、この人、戦争が終わってから京都に住んでたみたいだよ」

美空が手紙を見つめながら言った。

「……そう……」

幸子は、ほとんど息のような声で答える。胸の奥が、じわりと波打つ。

「この芸者さんが写っている写真、ここ、京都かもね。」

写真の一枚を指差す美空。その先にある風景を、幸子は見つめることができなかった。

「でも、なんでここの住所わかったんだろうね」

「……」

言葉が出ない。

「あっ! そうだ!」

突然、美空が声を上げる。

「えっ?」

「お母さんに頼まれてたんだ」

「頼まれたって?」

美空は立ち上がり、椅子の上に置いてあったエコバッグに手を伸ばした。そこに付けられた古いお守りを指でつまむ。

「迷子になった時の連絡先。これの中に入れておいてって。おばあちゃん、どこに行く時もこれ持ってくでしょ。もし迷子になったら、これ見せるんだよって」

幸子は思わず苦笑する。

「迷子って、子供じゃあるまいし」

「人は年取ったら子供に戻るんだから」

そう言いながら、美空はメモ用紙を取り出した。

「電話はお母さんの番号書いておくね。住所は……ここでいい?」

「そ、そうね」

「神奈川県鎌倉市……後、何だっけ?」

幸子には、その無邪気な声が、どこか遠くに聞こえていた。


※    ※


 幸子は変わらず車窓の外を見ていた。景色はさらに西へと移り、知らない町、知らない川が過ぎていく。そのどれもが、やがて一つの場所へと収束していくように思えた。


「まもなく京都です。東海道線、山陰線、湖西線、奈良線と近鉄線はお乗り換えです。今日も新幹線をご利用下さいまして有難う御座いました。京都を出ますと次は新大阪に止まります。」


ついに、京都に着いた。そして、ドアが開く。それは、幸子にとって、これからの人生を変えた瞬間だった。

しかし、ホームに降り立つと音が無くなった。

「えっ?」

ホームには、確かに人の流れはあった。キャリーバッグを引く音、異国の言葉、写真を撮る観光客。でも、静かすぎる。音がない。思わず足を止める。年のせいで、耳が遠くなったのか。とも、思ったがその確信がなかった。なぜなら、車内のアナウンスは、はっきりと聞こえていたからだ。

とりあえず、幸子はバス停の列に並んだ。

目的地は、生まれ育った木屋町。

初恋の甘酸っぱい思い出と、女の性を知った忌まわしい過去が交差するあの街だった。

バスの窓から、今の京都の風景が流れ行く。高いビル、大きな観光バス、歩道を歩く大勢の外国人。

それは、昔とは、違う風景だった。でも、依然、音だけがなかった。

バスを降りると、人の姿はある。確かにいる。だが、どこか輪郭が曖昧で、気配だけがそこにあるようだった。声が、聞こえない。話し声も街の騒音さえも聞こえて来ない。ただ、自分の足音だけが、やけに大きく響いていた。コツ、コツ、と。アスファルトに吸い込まれるように。風が吹く。暖かいはずの初夏の風なのに、なぜかひやりとして、首筋を撫でていく。幸子は、無意識に肩をすくめた。

——こんなはず、ない。

頭では分かっている。ここは京都だ。観光客で溢れているはずの場所だ。それなのに、まるで、時間から切り離されてしまったかのように静まり返っている。いや——静まり返っているのではない。何かに「覆われている」ような、そんな気配。胸の奥で、懐かしさと恐れが、奇妙に絡み合っていた。やっぱり、ここは、来てはいけない場所だったのか。幸子は、その感情が恐怖へと変わって行くのを感じ始めていた。


そして、幸子が、木屋町に足を踏み入れた瞬間、何かがふっと変わった。言葉にするには難しいが、それは、薄い布を一枚隔てた向こう側へと、静かに引いていくような感覚だった。幸子は立ち止まり、そっと周囲を見回した。人影はある。けれどそれは、どこか淡く、光に溶けかけているようにも見える。すれ違う人の気配はあるのに、その足音は耳に届かない。代わりに、自分の呼吸だけが、やけに澄んで聞こえていた。

風が吹く。

それは、懐かしい匂いを運んできた。甘い香水の香り、酒の匂い、それは、遠い昔に嗅いだことのある、この街の匂い。胸の奥で、何かが静かにほどける。記憶の底に沈んでいた風景が、現実の上にそっと重なってきている。現実をゆるやかにほどき、別の世界へとつなげていく。でも、不思議と、怖さはなかった。むしろ——帰ってきたのだ、という感覚に近い。

幸子は、ゆっくりと歩き出す。

「誰かに呼ばれているのだろうか。この先に、自分が置いてきた何かがある気がする。」

そんな感情が心の中を支配して行った。

アスファルトを踏みしめるたびに、記憶が足元から立ち上がる。

遠い日の笑い声。

振り返らなかった別れ。

「ぽんちゃん?」

「さっちゃん?」

「リリー?」

名前を呼ばれた気がして、ふと足を止める。

振り向いても、誰もいなかった。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ