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少女たち  作者: 永遠栄作
20/27

焼け跡

まだ、空襲の焼け跡の匂いを残していた大阪。

崩れた建物の黒い骨組みが闇の中に突き出し、風が吹くたび、どこかでトタン板がかすかに鳴った。

瓦礫の隙間には小さな焚き火が揺れ、行き場を失った人々の影が、幽霊のようにうごめいている。

幸子は、その光景を少し離れた場所から見つめていた。

自分はこの時代の人間ではない。けれど、目の前の空気の冷たさも、煤けた匂いも、なぜか肌に触れるように感じられた。


その時だった。 

焼け跡の道を、一人の女がふらふらと歩いて来る。

ぼろぼろに汚れた着物。痩せた肩。力なく揺れる足取り。

――鶴子。

幸子の胸が小さく震えた。

まるで魂だけが歩いているようだった。

その姿を、瓦礫の陰から一人の女がじっと見ていた。

派手な柄の着物をだらしなく羽織り、煙草の匂いを漂わせいたが、その顔立ちは、まだ、幼さが残っていた。


「あんた?」


低い声に、鶴子がゆっくり顔を上げる。

だが、その目は虚ろだった。

誰かを見ているようで、何も見ていない。

鶴子は何も答えず、そのまま通り過ぎようとする。

女は眉をひそめ、後を追った。


「今日の、ねぐらあるんか?」

 

その言葉に、鶴子の足が止まった。

振り返らない。

ただ、背中だけがかすかに震えている。


幸子は、胸の奥を掴まれるような気持ちになった。

この頃の鶴子は、もう、完全に言葉さえ失っていたのだ。

戦争が、人をここまで壊してしまうのか――。

幸子は唇を噛み締めた。


女は少しだけ表情を和らげ、鶴子の横顔を覗き込むようにして言った。

「お腹、減ってるんやろ?」


その瞬間。

鶴子の肩が、わずかに落ちた。

うつむいたまま、小さく、小さく頷く。

まるで、それだけで張り詰めていたものが切れてしまったようだった。

瓦礫の向こうで、春の夜風が静かに吹いていた。

幸子は、その光景から目を離せなかった。

あの生きると言う希望を持っていた明るく逞しかった鶴子、でも、目の前にいる彼女は、明日を生きることさえ出来るか分からない、一人の壊れかけた少女だっからだ。


場面は、変わり、バラック小屋の中。

煮炊きした煙と湿った木の匂いがこもっている。

板を打ち付けただけの粗末な壁の隙間から、春先の冷たい風が入り込んでいる。

天井からぶら下がった裸電球がぼんやり揺れていた。

と、柱の陰から見ていた幸子の視界に、頼りない光に照らされた、数人の少女たちの痩せた顔が入った。誰もが若いのに、目だけが異様に老いている。

その真ん中で、鶴子が夢中ですいとんを食べていた。

椀を両手で抱え込み、熱さも気にせず口へ運んでいる。

まるで止まれば、次の瞬間には食べ物が消えてしまうとでも思っているようだった。

数人の少女たちが、その様子を黙って見ている。

羨ましがるでもなく、笑うでもなく。

ただ、見慣れた光景を見るように。

女が、その姿にふっと笑った。


「そんな慌てんでも、誰も取らへん」

 

その声だけが、この場所では不思議なくらい温かかった。

鶴子は一瞬だけ顔を上げたが、すぐまた椀へ視線を落とした。

どうやら、この女は、この集団のリーダーのようだ。


食べ終えた後。

鶴子と女は、擦り切れたゴザの上に並んで座っていた。

離れた場所では、少女たちが毛布代わりの布にくるまり、小声で話している。

女は顎で彼女たちを示した。

「ここに居る子は、あんたと一緒や。戦争でひとりぼっちになった子ばったりや」

鶴子が、ゆっくり少女たちを見る。

その目には怯えがあった。

人を信じたいのに、まだ信じることが怖い――そんな目だった。

 

幸子も、その視線を見て苦しくなった。


女は静かに尋ねた。

「私の名前は、ミチコ あんた、名前は?」

鶴子は小さく首をかしげる。

質問の意味が分からないように。

ミチコは眉をひそめた。

「あんた……言葉、忘れたん?」

鶴子は、ゆっくりとうつむく。

その沈黙が答えだった。

ミチコは少しだけ目を細め、ぽつりと呟く。

「まあ、この時代、無理もないは」

その言葉には、驚きも哀れみもなかった。

ただ、この時代を生きる者だけが持つ諦めが滲んでいた。

鶴子は黙ったまま膝を見つめている。

ミチコは煙草を指で弄びながら続けた。

「これからの日本は食うか食われるかや。でも心配しんとき」

そして、自分の身体を軽く叩いて笑う。

「女はな、この身体さえあったら、喋れんでも、ちゃんと生きて行けるしな」

その笑顔は明るいのに、どこか悲しかった。

鶴子がゆっくり顔を上げ、ミチコを見る。

ミチコは、そんな鶴子を真っ直ぐ見返した。

「今日はここで寝てええさかい。その覚悟が出来るか、ゆっくり考えよし」

鶴子は小さく頷いた。


幸子は、その光景を見つめながら思った。

ここは決して救いの場所ではない。

それでも――焼け跡を彷徨っていた鶴子にとって、この小屋は、生きるために辿り着いた最初の灯だったのかもしれないと。


湿った土と煤の臭いが染みついたバラック小屋の中で、囲むように座っていた少女たちは、木の器を両手で抱え込み、夢中ですいとんを口へ運んでいた。その細い肩が小刻みに震えている。まるで、食べることをやめれば、そのまま命まで止まってしまうようだった。誰も笑わない。ただ、飢えを知る人間の目をしていた。


夜も更け、少女たちが思い思いに横になる頃。

鶴子とミチコは、擦り切れたゴザの上に並んで座っていた。

隙間風が吹き込むたび、壁代わりのトタン板がカタカタと鳴る。

ミチコは煙草も吸わず、ぼんやりと少女たちを眺めていた。

鶴子も、おびえたような目で少女たちを見る。

まだ幼さの残る寝顔。

それは、泣き尽くした者の顔だった。

それでも、その場所には奇妙な温かさがあった。

血の繋がりもない。

昨日まで他人だった者同士。

けれど、焼け跡の中で寄り添わなければ、生き残れなかった少女たちの、小さな共同体だった。


幸子は、その光景を見つめながら思う。

自分は、この人たちに育てられたのだ、と。

この焼け跡の女たちが、繋ぎ止めてくれたのだと。





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