第94話 三日後の朝議
本編完結後も、たくさんの応援をありがとうございました。
本日より第2部「戴冠と均衡編」を開始します。第89話までの本編と、第90〜93話の閑話の、その先の物語です。
朝議の間は、静かだった。
いつもの静けさではない。
張り詰めた静けさだ。
今朝の議題は、まだ誰にも知らされていない。
それだけで、廷臣たちは息を潜める。
陛下が、玉座の前に立った。
座らない。
立ったまま、一同を見渡す。
「一年のうちに」
声は、低く。
「位を、譲る」
一瞬。
誰も、息をしなかった。
ざわめきは、そのあとに来た。
波のように広がっていく。
陛下は手を挙げない。
ただ、待つ。
静まるのを。
「継承は、すでに決まっている」
視線が、動いた。
一人の男へ。
ルシアン殿下。
第二王子にして、正式な王位後継者。
そして――私が、支えると決めた人。
「あとは、形だけだ」
陛下は言った。
「だが、形を侮るな」
「形が、国を落ち着かせる」
殿下が、一歩前へ出る。
「承ります」
短い。
いつも通りに、短い。
だが、その一言で足りた。
朝議の間の空気が、変わったのが分かる。
不安ではない。
準備だ。
この国は、次へ進む準備を始めた。
その日の午後。
執務室に戻ると、机の上に書類の山があった。
いつもの山ではない。
新しい山だ。
戴冠式。
その三文字が、これほどの紙になる。
日程。警備。招待。予算。式次第。
一枚一枚が、政務だった。
「式典は、政治だ」
殿下が言う。
隣の机で、同じ山を崩しながら。
「誰を呼ぶか。どこに座らせるか。誰に、何を言わせるか」
「すべてが、交渉になる」
私は頷いた。
「存じています」
「だから」
殿下は手を止めた。
こちらを見る。
「お前に、頼みたい」
公の場では「私」と言う人が、二人のときは「俺」と言う。
その使い分けを、私はもう知っている。
「俺の戴冠を、お前が設計してくれ」
少しだけ、間を置いた。
重い言葉だ。
式典の設計は、国家の設計だ。
誰を立て、誰を鎮め、どの国に何を見せるか。
その全部が、この紙の山の中にある。
「お受けします」
迷いは、なかった。
あの日と同じだ。
王妃として国家運営に関わってほしいと言われた、あの日と。
選んだのは、私だ。
だから、続きも私が選ぶ。
夕刻。
扉が叩かれた。
「失礼します」
カイルだった。
報告の口調が、いつもより硬い。
「境界の監視所より、定期報告です」
「読み上げて」
「はい」
彼は一枚の紙を開いた。
「――観察対象、エルドラン」
その名前。
ペンを持つ手が、止まる。
「三日前より」
カイルは、一度だけ息を吸った。
「姿が、見えません」
窓の外で、夕陽が落ちていく。
消えた。
あの男が。
「見る。この先を」と言った男が。
この時の私は、まだ知らなかった。
消えた男が次に現れる場所が――
私たちの、卓の上だということを。
第2部、始まりました。本話もお読みいただき、ありがとうございました!
次話、婚儀の招待状が「外交文書」になります。
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