第75話 燃え上がる街
馬車が止まる前に、煙の匂いがした。
焦げた臭い。
木と、布と――生活が焼ける匂い。
「……遅かったか」
思わず漏れる。
カイルはいない。
今回は最小限の護衛だけ。
それでも足りないと、直感で分かった。
扉を開ける。
夜の空気は熱を帯びていた。
ベルナの街は、燃えていた。
遠くで炎が揺れている。
人の叫び声。
物が壊れる音。
暴動は、もう始まっていた。
「王宮の者だ!」
誰かが叫ぶ。
一斉に視線が向く。
怒り。
恐怖。
疑い。
すべてが混ざっている。
「……来たのかよ」
低い声。
男が前に出る。
腕を組み、こちらを睨む。
「見捨てたくせに」
言葉が刺さる。
だが止まらない。
私は一歩、前に出た。
「止めに来ました」
ざわめき。
「今さらか!」
「もう遅い!」
「家も仕事も全部終わってる!」
声が重なる。
その中で、私は言う。
「だから止めます」
声を張る。
通す。
届かせる。
それが政治だ。
「これ以上壊させません」
沈黙が一瞬落ちる。
だがすぐに崩れる。
「どうやって!」
誰かが叫ぶ。
「食料は!」
「仕事は!」
「明日はどうする!」
すべて正しい。
だからこそ難しい。
私は答える。
「今から動かします」
即答。
「物資は来る」
「流通も戻す」
「時間はかかる」
そこで一度、言葉を切る。
「だが」
視線を全員に向ける。
「壊せば終わる」
静かに言う。
「ここで壊せば」
「戻るものも戻らない」
人は怒りで動く。
だが破壊は不可逆だ。
「……ならどうしろってんだ」
男が言う。
私は答える。
「止まれ」
短く。
強く。
「三日」
「三日だけ止まれ」
ざわめき。
同じ数字。
だが今回は違う。
私は続ける。
「その間に」
「ここを戻す」
「戻らなければ」
一瞬、間を置く。
「私がここで責任を取る」
沈黙。
重い沈黙。
男が私を見る。
真っ直ぐに。
「……またそれか」
「はい」
「信じろと?」
「いいえ」
私は首を振る。
「見てください」
言葉ではなく。
結果で。
それしかない。
その時だった。
奥で、悲鳴が上がる。
炎が広がっている。
「くそっ、あっちだ!」
誰かが走る。
だが人が足りない。
消火も間に合っていない。
私は即座に動いた。
「水を!」
近くの樽を指す。
「並べて!」
声を張る。
護衛も動く。
だが数が足りない。
なら――
「手伝ってください!」
私は振り返る。
群衆に向かって。
「このまま燃やすつもりですか!」
一瞬の静止。
そして。
男が舌打ちする。
「……ちっ」
だが動いた。
「おい! こっちだ!」
他の者も動く。
怒りの方向が変わる。
破壊から――維持へ。
それだけでいい。
バケツが回る。
水が投げられる。
火が少しずつ弱まる。
完全ではない。
だが止まった。
炎の拡大が。
それは――
勝ちだった。
小さな。
だが確かな。
やがて火が収まり、人が息をつく。
疲労と。
そして少しの静けさ。
男がこちらを見る。
「……あんた」
私は息を整えながら答える。
「まだ終わっていません」
だが。
「止まりました」
それが重要だった。
彼はしばらく黙り。
そして言った。
「……三日だな」
「三日です」
頷く。
今度は違う。
ただの約束ではない。
一度、動いた。
だから次も動く。
その信頼が、わずかに生まれた。
その時。
護衛の一人が近づいてくる。
「報告です」
小声。
緊急。
「王宮から」
私は振り向く。
「何ですか」
「資金の動きがありました」
心臓が一瞬止まる。
「どこへ」
「ベルナです」
空気が変わる。
すべてが繋がる。
暴動。
物資不足。
噂。
そして――資金。
「……来た」
私は呟く。
動いた。
敵が。
これが証拠だ。
だが同時に。
「遅い」
もう街は燃えかけていた。
それでも。
今なら間に合う。
「追います」
私は言う。
「資金の流れを」
護衛が頷く。
私は再び街を見る。
火は消えた。
だが、戦いは終わっていない。
むしろ――
今、始まった。
私は歩き出す。
今度は逃がさない。
すべてを繋げる。
この街と。
あの男と。
そして。
この国家を。
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