第65話 崩れた信頼
三日目の朝。
ルグナの市場は、確かに動いていた。
完全ではない。
だが、止まってはいない。
人が買い、売り、金がわずかに流れている。
「……持ち直している」
カイルが言う。
私は頷いた。
「一時的には」
問題はその先だ。
持続できるかどうか。
その時、宰務官代理が慌ただしく入ってきた。
「報告です」
顔色が悪い。
「他都市で」
一瞬、言葉を止める。
「取引停止が拡大しています」
沈黙。
「どこまで」
私の声は静かだった。
「三都市」
「中継都市が二つ、農業都市が一つ」
広がった。
予想通り。
だが――
想定より速い。
私は机に手をついた。
ルグナを救うために集中した資源。
その反動。
他が崩れる。
「……連鎖ですね」
「はい」
カイルが答える。
止まらない。
一箇所の回復が、他の崩壊を加速させる。
それが現実だった。
その日の昼。
王都からの追加報告。
「物価上昇、二割に到達」
空気が重くなる。
民衆の生活に直接響く数字。
私は目を閉じた。
これが。
これが政治の結果。
夕方。
ルグナの広場。
再び人が集まっていた。
だが、三日前とは違う。
怒りの質が違う。
「確かに少しは動いた」
あの男が言う。
「だが」
周囲を見る。
「他はどうなってる」
ざわめき。
「親戚のいる町が止まった」
「仕事がなくなった」
「結局、別の場所が死んでるだけじゃないか」
その通りだった。
誰も間違っていない。
だからこそ、厄介だった。
「説明しろ」
鋭い声。
私は前に出る。
「……事実です」
静かに言う。
「一部を救い」
「一部が崩れています」
ざわめきが広がる。
「ふざけるな!」
「それが政治か!」
「誰かを切り捨てるのか!」
怒りが爆発する。
正しい怒り。
だからこそ、否定できない。
私は答える。
「……はい」
静寂。
一瞬、空気が止まる。
「全てを同時に救うことはできません」
ゆっくりと言う。
「だから優先順位をつけました」
誰かが叫ぶ。
「勝手に決めるな!」
「ええ」
私は頷く。
「勝手に決めました」
怒りが一層強くなる。
だが、私は続ける。
「それが政治です」
沈黙。
重い沈黙。
私は視線を逸らさない。
「責任は私にあります」
「結果も」
「代償も」
その時、石が再び飛んだ。
今度は私の肩に当たる。
痛み。
だが動かない。
「帰れ!」
「もう信用できない!」
「嘘つきだ!」
言葉が突き刺さる。
それでも、私は立っていた。
逃げない。
それだけが、今できること。
やがて人々は散っていく。
だが今回は違う。
希望ではなく――
失望を残して。
その夜。
仮設執務室。
私は一人で座っていた。
灯りは小さい。
静かすぎる。
カイルが入ってくる。
「……お怪我は」
「大丈夫です」
短く答える。
彼は少しだけ言葉を迷った後、言った。
「失敗ではありません」
私は首を横に振る。
「いいえ」
静かに言う。
「失敗です」
ルグナは動いた。
だが国家は揺れた。
それは成功ではない。
「私は」
小さく呟く。
「制度を信じすぎていました」
均衡。
効率。
合理。
それは正しい。
だが。
「人は」
ゆっくりと言う。
「数字では動きません」
感情で動く。
怒りで動く。
不安で動く。
私は初めて理解した。
本当の意味で。
「……だから侯爵は」
あの言葉を思い出す。
国家は感情で崩れる。
その通りだった。
私は机に置いた手を握る。
これは終わりではない。
だが。
確かに何かが崩れた。
信頼。
それが、今――
失われている。
そして私は、初めて理解した。
政治とは。
失敗の上に成り立つものだということを。
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