第108話 途中で手を引くな
十日の、一日目。
財務の会議室に、数字が並んだ。
北方ルート。
開通から半年。
輸送量は伸びている。
だが、コストは当初の想定を三割、上回ったまま。
国家保証による損失の補填が、財政に重くのしかかっていた。
「保証の縮小を、提案します」
財務官の一人が言った。
「戴冠と婚儀、港湾の増強。出費が重なっています」
「保証は当初の約束より、圧縮すべきかと」
正しい提案だった。
数字の上では。
「却下します」
私は、即答した。
「ですが――」
「あの席で、商人たちは一つだけ条件を出しました」
三年前の応接室。
王都の流通を握る、商会の主たち。
「『途中で手を引くな』」
「私は『引きません』と答えました。記録にも残っています」
「保証を縮めれば、それは『引いた』ことになります」
「そして、この国の言葉の値段が下がります」
いま、東方が卓を立つかどうか迷っている。
理由は、ルーデンの利だけではない。
この国の約束が、どこまで固いか。
全員が、それを見ている。
「約束は、削りません」
「削るなら、別の場所を探します」
その日の午後、商会の主たちを王宮に呼んだ。
三年前と、同じ応接室。
顔ぶれも、ほとんど同じ。
皆、少しだけ年を取った。
「数字は、ご覧のとおりです」
私は、隠さず全てを開いた。
コスト三割増。
補填の残高。
そして、東方の動揺と、ルーデンの分断工作。
「その上で、お願いに来ました」
「北方ルートの輸送量を、さらに増やしていただきたい」
「この局面で、ですか」
老商人が、腕を組んだ。
「はい。この局面だから、です」
私は、一枚の名簿を出した。
「信用記録の、発行先一覧です」
緩衝措置を三年勤め上げた、中小の商会たち。
「彼らに、北方ルートの荷を割り当てたい」
「大手のあなた方が幹線を、彼らが支線を」
「荷が細かく刻まれれば、船と荷馬車の空きが埋まります」
「空きが埋まれば――」
「積載率が、上がる」
老商人が、先を取った。
「三割増のコストの正体は、半分が空荷だ。埋まれば、二割は消える」
「はい」
沈黙。
商人たちは、計算している。
いつもの、あの顔で。
「……国の証明した信用か」
「担保としては、悪くない」
「支線の連中が育てば、荷元も増える」
やがて、老商人が口を開いた。
「あんたは三年前、手を引かないと言った」
「はい」
「引かなかった」
彼は、頷いた。
「なら、こっちも降りる理由がない」
「あんたが逃げないなら、俺たちも降りない」
割り当ての枠組みは、五日で組み上がった。
イザベラが、監査の側から数字を締めた。
「積載率の改善で、コスト超過は三割から一割二分へ」
「補填の必要額は、来期で半減します」
彼女は帳面を閉じ、付け加えた。
「あの信用記録が、ここで効くとは」
「……計算していたのですか」
「いいえ」
私は、正直に答えた。
「約束を守っただけです」
「そうですか」
イザベラは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「では、約束は複利が付くようですね」
十日の、六日目。
東方へ送る「数字の答え」が、形になり始めていた。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
次話、あの男が動きます。三つの都市の悪夢、再び――ただし今度は。
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