第105話 言質
その紙は、朝市に撒かれた。
一枚刷り。
署名なし。
題は、こうだった。
『権力は求めぬと言った女が、王妃になる』
文面は、巧妙だった。
三年前の公開協議会。
私が確かに口にした言葉が、そのまま引かれていた。
『役割が終われば退きます。権力は求めていません』
――発言記録より。
と、ご丁寧に出典まで添えて。
嘘は、一つも書かれていない。
私は、確かにそう言った。
記録にも、残っている。
その記録が今、私に向けられた刃になっていた。
「巧い手ですね」
マリエルが、珍しく硬い声で言った。
「記録の国の記録で、記録の人を刺すなんて」
「ええ」
巧い。
そして、覚えのあるやり口だった。
事実だけを並べ替えて、敵を作る。
王太后さまは、一枚刷りを一瞥して言った。
「受け流してはいけない側の噂ね」
「はい」
「分かってきたじゃない」
噂には、二種類ある。
放っておけば消える噂と、放っておけば根を張る噂。
これは、後者だ。
なぜなら――半分、本当だから。
応答の場は、公開協議会を選んだ。
三年前、あの言葉を口にした、同じ場所。
傍聴席は、埋まっていた。
貴族。官僚。新聞記者。そして、市井の人々。
私は、壇に立った。
「一枚刷りの件で、お話しします」
ざわめきが、静まる。
「まず、確認します。あの言葉は、私が言いました」
「三年前、この場で。記録のとおりです」
正面から、認める。
逃げれば、根が張る。
「『役割が終われば退く』」
「あの時の私の役割は、政務補佐でした」
「補佐という役割は、いずれ終わります。終われば退く。その考えは、今も変わりません」
一度、言葉を切った。
「では、王妃は役割でしょうか」
会場を、見渡す。
「私は、違うと考えます」
「役割は、終われば退けます。ですが王妃は――」
「国家に、生涯を差し出す責任です」
「退く日を、自分で選べる立場ではありません」
静まり返った会場に、私は続けた。
「三年前の私は、権力を求めていませんでした」
「今も、求めていません」
「私が求めたのは、権力ではなく」
言葉に、重さを乗せる。
「責任の、隣です」
「あの方が背負うものの隣に、立ち続けること。それだけを求めました」
沈黙。
やがて、傍聴席のどこかから拍手が起きた。
まばらに始まり、広がり、止んだ。
全員ではない。
それでいい。
全員の心は、政治には要らない。
根を張る前に、日を当てた。
それで、十分だ。
その夜。
カイルが、一枚刷りの現物を机に置いた。
「印刷ではありません。手書きの版下を、刷らせたものです」
「版下の字を、見ていただけますか」
私は、灯りを寄せた。
数字の、七。
横棒の、角度。
「……あの店の癖と、同じ」
「はい」
カイルは頷いた。
「依頼の控えにも、ありました。『一枚刷りの版下、至急』――日付は、半月前です」
漏洩と、怪文書。
二本の線が、同じ帳場を通っていた。
仲介人を辿れば、設計者に届く。
紙の道の、終点まで――あと少しだった。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
次話、第2章の締めくくり。彼女の証言と、届いた一通の書状。
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