第103話 境界の男、卓に着く
三者交渉の第二幕は、王宮の大会議室で開かれた。
東方通商連合、ナディル使節団。
ルーデン王国、アルトマン大使の一行。
そして、我が国。
三つの旗が、初めて同じ部屋に並ぶ日だった。
議題は、航路と関税の枠組み。
ここで骨組みが決まれば、均衡は形になる。
決まらなければ――盤面は、二者に戻る。
「ルーデン王国使節団、ご入場です」
扉が開いた。
アルトマン大使。
随員が、四名。
そして最後に、一人。
深い灰色の外套。
変わらない、静かな足取り。
その顔を見た瞬間。
会議室の空気が、凍った。
エルドラン。
元・財務院上級官。
三つの都市を危機に沈めた男。
この国から、公的に追放された男。
――姿が、見えません。
カイルの報告が、耳の奥で蘇る。
消えた男は、ここにいた。
卓の、向こう側に。
「ご紹介いたします」
アルトマンが、何事もないように言った。
「我が国の交渉顧問を務めていただくことになりました」
「エルドラン殿です」
顧問。
ルーデンの、顧問。
追放は、国外へ出す刑だ。
国外で誰に雇われようと、この国の法は届かない。
合法。
どこまでも、合法。
あの男のやり方だった。
「お久しぶりです」
エルドランは、私に向かって一礼した。
型どおりの、完璧な礼。
「エリシア様」
「……お久しぶりです」
声が揺れなかったことだけは、自分を褒めたい。
「見せてもらおう、と言ったはずだ」
彼は席に着きながら、静かに言った。
「あの日の言葉のとおりです。他意はありません」
他意しか、ないだろう。
だが、それを言葉にした瞬間、こちらが「感情の側」に立たされる。
この卓で感情を出した者が、負ける。
それを教えたのは――皮肉にも、この国の三年間だ。
「議事に入ります」
私は書類を開いた。
交渉は、進んだ。
恐ろしいほど、滑らかに進んだ。
エルドランは有能だった。
昔と、変わらず。
数字の把握。制度の理解。落とし所の見極め。
ルーデン側の主張は、彼が加わっただけで骨太になった。
そして私は、気づいていた。
彼の提案は、一つ一つは合理的だ。
だが、積み上がると――
決済の集約。
保険の一元化。
紛争時の仲裁権。
全てが、少しずつ、ルーデンに「依存の芯」を戻していく。
曖昧さではなく、今度は「便利さ」で縛る形。
同じことは、また起きる。
あの日、彼はそう言った。
私は「はい、起きます」と答えた。
起きた。
いま、目の前で。
彼が、起こしに来た。
休憩の時間。
廊下で、エルドランとすれ違った。
彼は足を止めず、すれ違いざまに言った。
「良い国になった」
「……」
「だから、試し甲斐がある」
足音が、遠ざかっていく。
私は、立ち止まったまま。
窓の外の空を見た。
これは、外交ではない。
あの男の――二度目の問いだ。
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次話、宮廷が「非常時の権限」を求め始めます。試されるのは制度の側。
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