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婚約破棄された公爵令嬢は、無能扱いの第二王子の政務を支えることになりました ~捨てた第一王子が後悔しても、もう遅いです~  作者: 藤宮レイ


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第102話 代筆屋の女

 視察、という形を取った。


 オルデン伯領の街道整備の確認。


 名目は、嘘ではない。


 嘘ではない名目を選ぶのが、こういう旅の作法だ。


 護衛はカイルと、近衛が数名。


 伯の館には、寄らない。


 目的地は、街道沿いの小さな町だった。


 写字の町。


 紙と、墨と、束ねた文書の匂いがする町。


 行政の透明化で仕事が減った、と侯爵は言っていた。


 実際、通りには空き店が目立った。


 看板を下ろした写字工房。


 閉じた紙屋。


 その一番奥に、その店はあった。


 代筆屋。


 看板には、それだけ。


 扉を開けると、鈴が鳴った。


「いらっしゃいませ」


 奥から声がした。


 女の声。


 どこかで聞いた声。


「代筆でしょうか、写しでしょうか」


 帳場に出てきた女は、質素な服を着ていた。


 袖口に、墨の染み。


 指先に、ペンだこ。


 働く者の手だった。


 そして、その顔は――


 女の動きが、止まった。


 私を見て。


 血の気が引いていくのが、分かった。


「……あ」


 彼女は、後ずさった。


「あ……」


 セリーナ。


 男爵令嬢、セリーナ。


 あの夜会で、殿下の隣にいた人。


 私の婚約破棄の、もう一人の当事者。


 十年以上前の顔より、ずっと痩せていた。


「……ごめんなさい」


 彼女は震える声で言った。


「でも、私……」


 その言葉。


 あの夜と、同じ言葉。


 だが、続きが違った。


「私、何も……何の紙か、知らなくて……」


 知らなくて。


 その一言で、確定した。


 この店だ。


 私たちの紙は、ここで写されていた。


「セリーナさん」


 私は、努めて静かに言った。


「お聞きしたいことがあります」


「座っても、よろしいですか」


 彼女は答えなかった。


 ただ、崩れるように帳場の椅子に座った。


 話は、途切れ途切れに語られた。


 男爵家は、あの継承戦の後に傾いた。


 派閥の崩壊。


 後ろ盾の消滅。


 父は爵位を返上し、彼女は家を出た。


 残ったのは、筆だけだった。


「字だけは……褒められて、育ったので」


 俯いたまま、彼女は言った。


「ここなら、昔の私を知る人もいないと思って」


 三年、真面目に働いたという。


 帳場の棚には、受注の控えが日付順に並んでいた。


 几帳面な字で。


 一件も、欠かさず。


「半年ほど前から、良い仕事が来るようになりました」


「王都の様式の写しを、急ぎで、と」


「仲介の方は、いつも同じ人です。お金払いが良くて……断れなくて」


「内容は、読みましたか」


 沈黙。


 長い沈黙。


 やがて、彼女は小さく頷いた。


「……途中から、何かおかしいとは、思っていました」


「役所の紙が、役所を通らずに来るはずがないって」


「でも」


 顔を上げた彼女の目に、涙はなかった。


 涙を流す資格がないと、思い定めた者の目だった。


「今度こそ、失いたくなかったんです。この店だけは」


 私は、帳場の控えを見た。


 日付。依頼主。枚数。


 彼女の几帳面さが、そのまま証拠になっていた。


 紙は、嘘をつかない。


 書いた本人が、一番よく知っている。


「カイル」


「はい」


「控えの写しを。全件」


 そして私は、セリーナに向き直った。


 この人を、どうするか。


 王都に着くまでに、決めなければならない。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!

次話、三者交渉の第二幕。卓の向こうに、いるはずのない男が座ります。

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