第101話 徴税権の盾
オルデン伯。
旧第一王子派の、生き残り。
派閥が崩れたあとも領地に籠もり、沈黙を守ってきた男。
その男が、動いていた。
「戴冠協賛金の納付を、拒否しています」
担当官が報告する。
「理由は」
「『地方の疲弊』と」
書面の上では、正論だ。
ルーデンの圧力で、物価は上がっている。
地方の台所が苦しいのは、事実だから。
「それだけでは、ありません」
報告は続く。
「地方自治連盟の議会で、同調を呼びかけています」
「『中央は式典に金を使い、地方には期限どおりの措置終了を突きつけた』と」
緩衝措置の終了を、逆手に取ってきた。
うまい。
事実を並べ替えるだけで、人は敵を作れる。
あの男に、そっくりのやり方だ。
誰に習ったのだろうか。
その日の午後、来客があった。
取り次ぎの声を聞く前に、香りで分かった。
紅茶の香り。
「ご無沙汰しております」
ドミニク・ヴァルトハイム侯爵。
地方自治連盟の、重鎮。
そして――オルデン伯が同調を呼びかけている、その連盟の。
「侯爵さま」
「お茶を一杯だけ、いただきに参りました」
彼は勧められる前に座り、勧められる前に茶を含んだ。
相変わらずの人だ。
「オルデン伯のことでしょう」
私が切り出すと、侯爵は微笑んだ。
「察しが良くて、助かります」
「連盟は、同調するのですか」
「しません」
即答だった。
「意外ですか」
「……少し」
「正直だ」
彼は茶器を置いた。
「私は一度、担がれかけました」
アルノルト殿下を旗印にしようとした、あの頃の話だ。
「担がれるのは、二度目は御免です」
「オルデン伯は、あなたを担ごうとしている?」
「私をではありません」
侯爵は、窓の外に目をやった。
「『地方の不満』を、です」
「不満は、良い神輿です。顔がなく、重さだけがある」
「ですが」
視線が、こちらへ戻る。
「連盟は、不満のためにあるのではない」
「均衡のために、あるのです」
均衡。
この人の、変わらない言葉。
「オルデン伯の言い分には、一つだけ本物が混ざっています。地方の疲弊は、事実です」
「そこは、政策で応じなさい」
「残りは偽物です。あれは疲弊の代弁ではなく――」
侯爵は、初めてわずかに目を細めた。
「焦りです」
「焦り」
「ええ。派閥が崩れて三年。彼の領地は、何で食べていると思いますか」
私は記録を思い浮かべた。
オルデン伯領。
主産業は、街道の中継と――
「……写字と、文書の請負」
「左様」
侯爵は立ち上がった。
「行政の透明化で、一番割を食った商売です」
「あなた方が正しい国を作るほど、曖昧さで食べていた者の食い扶持が消える」
「彼の抵抗は、思想ではありません。台所です」
扉の前で、彼は振り返った。
「連盟は、近く伯の呼びかけを正式に退けます」
「理由は付けません。付けないことが、答えですから」
「……ありがとうございます」
「礼には及びません」
侯爵は、いつもの微笑みで言った。
「均衡を守っているだけです。あなた方の側も、含めてね」
香りだけを残して、彼は去った。
私は地図を見る。
オルデン伯領。
写字の町。
そして、そこにあるという小さな代筆屋。
焦った伯爵の領地で、誰かが私たちの紙を写している。
偶然と呼ぶには、線が繋がりすぎていた。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
次話、代筆屋の扉を叩きます。そこにいたのは――。
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