↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アルトレウスの娘 ~イグニシア戦旗~  作者: 名も無きサルカズ
第2章 イグニシア戦旗

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/49

第42話 言葉の向こう側


 食糧庫を一通り調べ終えた頃には、陽はすでに西へ傾き始めていた。


 グレゴリウスを中心に、戸口の錠から蝶番、窓枠、壁の隙間まで一通り確かめてみたものの、結局これといった手掛かりは見つからなかった。戸や窓から無理に入り込んだ跡はなく、鍵を使って入った可能性は残る。だが、それだけなら倉を預かる二人を疑う材料にもならなかった。

 結局、今夜もう一度盗人が現れるのを待つのが一番早いだろう、というのがグレゴリウスの結論だった。


「ただ、倉の前に堂々と人を立たせては、盗人がいるとしても姿を見せなくなるでしょう。少し離れたところから、気づかれぬよう見張るのがよいかと」


 そこでグレゴリウスは腕を組み、しばらく倉の周囲へ視線を巡らせた。


「ですが……敢えて見えるところに人を置くのも、案外悪くないかもしれません。こちらが警戒していると分からせた上で、盗みが止まるかどうかを見る手もあります」


 そう言ってから、少し考えるように顎へ手をやる。


「ここはヴィクトルとも相談しておきたいところです。あの男なら、夜でも見通しの利く場所や人の置き方について、私よりよほど慣れております」


 フェリシアもそれに異論はなかった。


 エウドキアには今夜こちらで見張りを置くことだけを伝え、三人はいったん天幕へ戻ることにした。


 この時間になると、すでに昼の作業を終えた村人たちと共に、他の従士たちも畑から引き上げてきていた。

 ところが、肝心のヴィクトルの姿がない。


「ヴィクトルはどこ?」


 フェリシアが従士の一人に尋ねると、男は村の西側へ続く道を指した。


「またミカと一緒ですよ。昼過ぎから、例のあちらの荒れ地へ行っております」


 いささか呆れたような返事だった。


 ――今日もやっているのか。


 フェリシアは小さく息をついた。




 ミカ――ミカエルというその若者とヴィクトルが親しくなったのは、ここ数日のことだった。

 村で畑仕事を手伝うようになってから、ヴィクトルは若い村人たちに何かと頼られるようになっていた。中でもミカはことさら彼の後をついて回り、鍬の入れ方から牛の扱い方、石の多い畑をどう起こすかまで、暇さえあれば質問していた。


 聞けば、ミカはこの村の自作農の三男で、兄たちのように継げる畑がないらしい。

 そういう者が将来どうするのかといえば、家に残って兄たちの畑仕事を手伝いながら部屋住みとして隅で暮らすか、伝手を頼って他所の村や荘園へ出て、そこの土地で雇われて暮らすというものだった。

 運よく職人や商人のもとへ弟子入りできる者もいるが、それにも大抵は誰かの紹介が必要だった。


 少なくとも、彼のような立場の者が自分の畑を持てることは、そう多くない。

 その話を聞いたヴィクトルが、


 ――なら、自分で畑を開きゃいいじゃねえか。


 と、いかにも彼らしいことを言い出したのが始まりだった。


 村外れには、手の入っていない荒れ地がいくらか残っている。石が多く、ところどころ低木まで生えているため、そのままでは畑にはならない。

 だが水源から遠いわけでもなく、時間をかければ使えなくもない――少なくともヴィクトルには、そう見えたようだ。


 その軽すぎるようにも聞こえる話に、当のミカはすっかり乗り気になった。いや、相当に入れ込んでいると言った方がいいだろう。三男に生まれたというだけで、自分の田畑を持つことを初めから諦めかけていた彼にとって、それはにわかに目の前へ開けた、夢のような話だった。


 自分で耕した畑から、自分の麦が取れる。いつかそこに小さな家を建てて、誰に遠慮することもなく暮らせるかもしれない。

 そんな未来まで思い描いていたのか、少なくともミカは、それまでとはまるで違う顔で鍬を握るようになっていた。

 そして、言い出したヴィクトルの方も、その変わりように気を良くしたらしい。いや、今では手伝っているというより、彼の方が開墾を主導していると言った方が近かった。

 それ以来、仕事の合間を見つけては二人で石を拾い、根を掘り、邪魔な低木を切っていた。




  * * *


 鍬の刃が石に当たり、甲高い音を立てた。


「そこじゃねえ。もうちっとこっちを掘れ。根が横に伸びてやがる」


 ヴィクトルに言われ、ミカは鍬を持ち直した。


「こっちか?」


「そうだ。いきなり根っこを叩くんじゃなくて、先に周りの土を落とすんだよ。でなきゃ鍬の方が先に駄目になる」


「分かった。ここを俺の畑にするんだからな。気合い入れねえと――おりゃっ!」


 威勢のよい声とともに、鍬の刃が再び土へ食い込んだ。


 少し離れたところからその様子を眺めながら、私は額の汗を袖で拭った。

 石を三つほど運んだあたりから、すでに腕も脚も鉛を詰めたように重い。

 その頃から、私は何度となくラケスへ視線を送っていた。そろそろ「若様は少し休んでいてください」と言ってくれてもよいのではないだろうか。

 いや、気づいていないはずがない。あいつは全部分かったうえで無視しているのだ。そして、それが私のためになると信じて疑っていない。


  ――まったく、主君への気遣いに欠ける臣を持つと苦労する。


 そうやって少しばかり自分を哀れんでいる間だけは、この酷い疲労から意識を逸らすこともできた。


 だが、その慰めも長くは続かなかった。

 ふと我に返った途端、全身の重さまで一緒に戻ってきたような気がして、私は近くにあった切り株へ腰を下ろした。

 そして、つい本音を漏らした。


「それで、なんで私までここで手伝わされてるんでしょうか……」


 口にしてから、はっとして思わず口を塞いだがもう遅い。ヴィクトルが呆れた顔で座っているパトリシウスを見下ろした。


「お前の身体を鍛え直すためだよ。自覚あるだろ。今へばって座り込んでんの、お前だけじゃねえか」


「……すいません」


 その隣では、ラケスが先ほどまでパトリシウスの持っていた鍬を使い、掘り返した土の中から石を拾い上げていた。

 ばつが悪そうにしながらパトリシウスは、何とか取り繕うと話題を変えようとした。


「しかし、大変ですね。ここまでしないと、自分の畑を持てないというのが」


「うん? ああ」


 ミカは汗ばんだ額を腕で拭った。


「俺、三男だからな。家の畑は兄貴たちが継ぐし、俺の分なんて最初からないんだ。だから、ここが俺の畑になったらいいなって」


 そう言って、ミカは掘り返しかけた荒れ地を見渡した。パトリシウスもつられて辺りを見る。

 石だらけで、低木も残り、畑と呼ぶにはほど遠い。これをすべて耕せるようにするには、相当な手間がかかるだろう。


 ――それなら、どこか別の畑を買った方が早いのではないだろうか。


「若様」


「何だ?」


「今、畑がないなら買えばいいのに、とお考えになりましたね」


 パトリシウスは目を見開いて、慌てて再び手を口に当てた。


「……なぜ分かった? また口に出していたか?」


「いいえ。今度は口には出されていませんでしたよ。ただ、いかにも若様が考えそうなことでしたので」


 ラケスは石を拾う手を止めることなく答え、そう言われたパトリシウスは渋い顔になった。


「いや、でもだな。これだけの手間を掛けるのであれば、すでに耕してある土地を買う方が早いだろう。それか、どうしてもこの村にこだわるのであれば、人を雇うなりして――」


「その土地を買うお金があるなら、たぶん最初から困っていませんよ」


「それに人なら今ここにいるじゃねぇか」


 ラケスの言葉に続いてヴィクトルも続けた。隣でミカが吹き出した。


「フェリシア様たちがいる間でもないと、こんなことできないよ。村の人間だけじゃ人手が足りないし、それに……領主様がやれとでも言わなきゃ、わざわざこんな荒れ地まで耕そうなんて言う人もいないからさ」


 最後のところだけ、ミカの声が少し小さくなった。

 けれど、私には何が引っ掛かっているのかまでは分からなかった。

 ヴィクトルも鍬の柄に片手を置きながら、呆れたような顔でこちらを見ている。


「坊ちゃん。世の中、金さえ出しゃ土地も人手も揃う家ばかりじゃねえんですぜ」


「あ、はい……」


「それと若様」


 ラケスが付け加えた。


「誠に残念なことに、今の若様にも畑を買うお金はありません」


 私は返す言葉を失い、わずかに眉を寄せた。

 その顔がよほど分かりやすかったのか、ミカが今度こそ声を上げて笑った。

 別に、おかしなことを言ったつもりはなかったのだが――どうやら、また何かを間違えたらしい。


「もう日が暮れますよ、ヴィクトル」


 聞き覚えのある声に、私たちはほとんど同時に振り返った。

 低い丘を回り込んだところに、フェリシア様が立っていた。




  * * *


 声を掛けると、四人が揃ってこちらを振り返った。

 丘を越えてようやく四人を見つけたフェリシアは、まず荒れ地の変わりように目を見張った。


 数日前には石と低木ばかりだった場所の一角がすでに掘り返され、取り除かれた石があちこちに積み上げられている。まだ畑と呼べるようなものではないが、二人が本気でここを耕すつもりなのだということだけはよく分かった。


「お嬢。どうしたんです?」


 ヴィクトルが鍬を地面へ立てた。


「今夜のことで、少し相談があって。グレゴリウスが、見張りの置き方をあなたにも相談したいと」


「ああ、倉の件ですかい」


 ヴィクトルはすぐに事情を察したらしく頷いた。


「それなら戻りましょう。ちょうどこいつらも、そろそろ切り上げさせようと思ってたところです」


 「まだもう少しできるよ」と言いたげにミカが不満そうな顔をしていた。


「暗くなってから鍬振っても効率が悪いからな。まあ俺たちはまだここにいるんだから、そう焦らんでも大丈夫だ」


「ああ、ありがとう」


 あっさり引き下がったミカに、ヴィクトルが、ふと思い出したように周囲を見回した。


「そういや、アスターナの嬢ちゃんは一緒じゃないんですかい」


「アスターナ?」


 言われて、フェリシアは瞬きをした。そういえば天幕を出るとき、彼女は近くにいたはずだ。しかしフェリシアは彼女には声をかけずにここまで一人で来てしまっていた。

 このところアスターナが、侍女とも護衛ともつかない距離で、ほとんどいつも自分の傍にいることはフェリシアも分かっていた。

 アスターナにも声をかけるべきだったか…… そう思い返すうちに、ふと嫌な――というほどでもないが、妙に確信めいた予感が浮かんだ。


 ――もしかして……。


 フェリシアは半ば確信しながら、それでもまさかと思いつつ、少し離れた辺りまで視線を巡らせた。


 そして、やはり見つけてしまった。

 ヴィクトルたち四人の向こう側、少し離れた木陰に、アスターナが立っている。


「……」


 いつからそこにいたのだろう。

 目が合うと、アスターナは何も言わず、まず小さく頭を下げた。それから、気にしないでほしいとでもいうように、胸元で片手をわずかに動かした。


「……あの子は、私と一緒に……ここまで来たのです」


 少しの間の沈黙の後、そうヴィクトルへ言いながらフェリシアは少しだけ視線を逸らした。


「へえ」


 ヴィクトルは一度だけ木陰のアスターナを見て、それ以上は何も言わなかった。

 ただ、その「へえ」が妙に引っ掛かった。

 今日だけで、こういう言葉の裏を気にするのは何度目だろう。フェリシアは少しだけ引っ掛かりを覚えたが、今はそれ以上考えないことにした。


「それで……ヴィクトル。戻る前に、少しだけ二人で話したいことがあります」


 そう言うと、ヴィクトルは一瞬だけフェリシアの顔を見た。先ほどまでの軽い調子が、ほんのわずかに消える。


「分かりました」


 その返事を聞くより早く、木陰のアスターナとも目が合った。

 今度は彼女もすぐに察したらしい。何も尋ねず、小さく頷くと木陰を離れ、そのままミカたちの方へ歩いていった。


「では、若様。わたしたちも戻りましょう」


「え? ああ」


 ラケスに促され、パトリシウスも慌てて立ち上がる。

 ミカは掘りかけの根を名残惜しそうに一度振り返ったが、やがて鍬を肩へ担いだ。ラケスとパトリシウスもそれに続き、アスターナは何事もなかったように三人へ混じって村の方へ歩いていく。


 やがて四人の姿が丘の向こうへ消えた。

 先ほどまで絶えず聞こえていた鍬の音も、人の話し声もなくなった。


 掘り返された土と、まだ抜ききれていない太い根だけが残る荒れ地に、フェリシアとヴィクトルの二人だけが残った。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。