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アルトレウスの娘 ~アグニシア戦旗~  作者: 名も無きサルカズ
アルトレウスの娘

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第31話 エピローグ③ ~使える駒~


「以上が、アルトレウス家館における戦闘の顛末にございます」


 灰狼傭兵団の団長、ドラガン・ステファノヴィッチは、いつになく丁重な声音でそう締めくくった。

 普段、傭兵団の仲間へ見せるような野卑な笑みはない。膝をつき、頭を垂れ、言葉の端々まで礼を整えている。だがガルシアの目には、その恭順さは、いかにも上っ面だけを取り繕った恭順としか映らなかった。


 部屋の中央に跪くドラガンの前には、ガルシアがいた。今回のアルトレウス家侵攻を裏で取り仕切った帝国側勢力の実務責任者であり、その立場で今ここにいる。


 そのさらに奥、一段高い席に皇太子が腰を下ろしていた。ドラガンはそちらへ直接目を向けない。報告はあくまで、ガルシアに対して行われていた。


「討ち取った敵兵は、およそ百。館は戦闘の最中に火が回り、主要な建物は焼け落ちました。アルトレウス一門の遺体につきましては、いずれも損傷が激しく、個々の確認は困難にございます」


 数字は盛っている。

 実際に討ち取った数は、その半分に届くかどうかといったところだ。だが、ドラガンの顔にはわずかな揺らぎもなかった。


「館内の金品につきましては、取り決めの通り我が灰狼傭兵団が接収いたしました。今回の報酬の一部とさせていただきます」


「それだけか」


 ガルシアの声が低くなった。だが目前のドラガンは一向に意に介した様子もなかった。


「それだけ、とは」


「神殿を焼いたことが抜けておるだろう」


 室内の空気が、わずかに張り詰めた。

 ドラガンは不思議そうに眉を上げた。


「神殿、でございますか」


「とぼけるな。貴様らの集結地として用意したアグニズ神殿だ。あれを勝手に焼き払ったのはどういうことだと聞いておる!

 あのような真似をしてくれたせいで、その後始末がどれほどのことになるのか、貴様は考えもしなかったのか!」


「ん……。ああ、思い出しました。

 しかしながら勝手に、と申されますが……」


 ドラガンは、そんな些細なこともあったなとでもいうように、そしてあくまで恭しく頭を下げた。


「あの時点で奇襲の利は完全に失われておりました。館はすでに警戒を固め、こちらの集結も遅れに遅れておりましたゆえ」


「それと神殿を焼くことに、いったいどんな関係があるというのだ?」


「はい。当初の襲撃計画は、御国の手際のこともあって完全に破綻しておりました。奇襲がかなわぬとなったとき、次にできることは何か、と。

 闇夜に揺らめく火は、人の心をも揺らします。

 そこで思いついたのです。館の者どもに、次は自分たちの番だと知らしめてやろうと。


 いやぁ、その狼煙にちょうどよい薪があって、本当に助かりました」


 ――何を言っているのだこいつは……。


 ガルシアの目元がひきつった。


「貴様、あれは我らが無理を言ってソラリス家に手引きをさせた神殿だと、わかっておるのか」


「もちろんでございます」


「ならばなぜ……」


「我らは、唯一神のしもべたる聖光教徒にございますれば」


 ドラガンは、丁寧すぎるほど丁寧に言った。


「戦の前に異教の邪神を血祭りにあげ、兵の士気を高める。それは敬虔なる聖光教徒として、至極自然な行いでございましょう?」


「貴様……」


「此度の館攻略のお役目を我らが灰狼傭兵団にお任せいただけたそもそもの理由は、『聖光教徒による攻撃』とする必要があってのことだと理解しておりましたが、違いましたでしょうか?」


「それはそうだが……」


「そうであるならば、聖光教徒として自然な振る舞いが必要な場面でございましょう。我らはその必要な振る舞いを、全く自然に体現しただけでございます。

 それに、あの神殿を守るべき神官どもはすでに逃げ出した後でした。死人が出たのは、あそこで捕らえた間諜だけにございます。敵を始末し、その巣窟となっていた拠点を燃やして兵の士気を鼓舞し、館の者どもの肝を冷やした。少なくとも、あの状況下での戦の手としては、悪くなかったものと存じます」


 ドラガンは事実に都合よく脚色を加えて話を組み立てている。そうガルシアは見抜いてはいたが、反論しようにも言葉が選べなかった。


「誰もそこまでやれとは言っておらぬ」


「確かに明文化されたご命令は、ございませんでした」


 そう言ってからドラガンはガルシアの顔をはっきりと見据え、静かに微笑んだ。


「されど、勝つために必要なことを現場で判断せよ、とは伺っておりましたので」


 ガルシアは返す言葉を失った。

 その沈黙を、奥の席から、穏やかではあるがどこか愉快そうな声が破った。


「もうその辺でよかろう、ガルシア」


 皇太子だった。


 ドラガンはすぐさま頭を垂れたまま、さらに深く身を沈める。目は上げない。だが、その口元にかすかな笑みが浮かんだのを、ガルシアは見逃さなかった。


「ともあれ、戦果を上げて戻ってきたのだ。館は落ち、アルトレウス家は潰えた。細かな手順に多少の行き過ぎがあったとしても、今ここで責め立てるほどのことではあるまい」


「殿下、しかし――」


「そもそも、今売り出し中の若者がいる、使ってみたいと申してきたのはそなたではないか」


 その一言に、ガルシアは口を閉ざした。

 確かに、灰狼傭兵団を抜擢したのは自分だった。


 西大陸側との細い伝手をたどり、ようやく探し当てた、数少ない傭兵団だった。

 今回の作戦に、帝国の正規兵を使うわけにはいかなかった。帝国が日頃から雇い入れている傭兵も同じだ。帝国人であれ、東大陸系であれ、そこに帝国の手が見えた時点で意味がない。


 必要だったのは、西大陸側の聖光教徒であり、なおかつ異教徒の国である帝国に雇われることを厭わぬ傭兵団だ。


 しかも部隊の規模が大きすぎても困る。小さすぎても館は落とせない。小回りが利き、それでいてこちらの指示に従わせられる者たち。戦場では一定の働きを見込める者。そんな都合のよい手札など、そうあるものではない。


その条件に当てはまったのが灰狼傭兵団であり、その長がドラガンだった。

 まだ若い団長に率いられながら、急速に名を上げつつある傭兵団。渡りに船だと思えた。ドラガン自身も、少なくとも愚物ではない。むしろ将来性すら感じられた。今のうちに手の内へ入れておけば、先々でもうまく使えるかもしれない。


 だが、その結果がこれだ。


 ただ粗暴なだけなら、まだ扱いようもあった。

 だがこの男は違う。狡猾で、抜け目がなく、手段を選ばない。そのうえ頭が回り、弁も立つ。命令の外へ踏み出しておきながら、命令の趣旨には従ったと言い張るだけの理屈を、あらかじめ用意している。

 こういう制御の難しい手合いは危険だ。


 勝手に血を流すだけの狂犬なら、鎖をつければ済む。だが、自分で鎖の長さを自在に操って勝手気ままに振る舞うような犬は始末に負えない。


 このような者とは長くは付き合えぬ。いやこれきりだ。これ以上関わり合うべき者では断じてない。そうガルシアは思った。

 次もこの男をまた用いるくらいなら、まだ帝国内の無頼を金で集めた方がはるかにましだ。


 だが、皇太子がそう言った以上、この場ではそれ以上ドラガンを責め立てることもできなかった。

 ガルシアは短く息を吐き、跪いたままのドラガンを見下ろした。


「殿下の御温情により、戦場における不手際はこれ以上問わぬ。館を落とした功のみを認める」


「ありがたき幸せにございます」


 ドラガンは、深く頭を垂れた。


「報酬については、取り決めの通り支払う。ただし、手続きがある。しばし沙汰を待て」


「承知いたしました」


「下がれ」


「御意に」


 ドラガンはもう一度深く頭を下げると、ゆっくりと立ち上がった。退出の作法に乱れはない。だが、扉へ向かうその背には、叱責を受けた者の萎縮など欠片もなかった。


 扉が閉じる。


 足音が遠ざかり、室内に残った気配が薄れたころ、奥の席で皇太子が肩を揺らしながら、さも愉快そうに笑った。


「なかなかに面白い者ではないか。あれは」


 その言葉にガルシアは、背筋にひんやりとした冷たい何かが伝い落ちるのを感じた。

 すぐに後ろを振り向くことさえ躊躇われた。


 ――殿下はいったい何をお考えか? いや、あのような者どもを一体何に利用しようというのか……


「殿下、お戯れを……」


「戯れなどではない。あれはかなり使えそうではないか。我らがこれから為そうということに、ああいう駒が居れば何かと便利だとそちは思わぬか」


 皇太子ステファノス・アレクシオス・アウグストゥスは、帝国貴族のさらに上に立つ皇族であり、次代の帝位を約束された男でありながら、その言動も感情の発露も極めて直接的である――それが貴族たちの間で定着した評価であり、ガルシアが抱く印象もまた、それと寸分違わなかった。

 そして今もまた、その印象をさらに強めるような発言が彼の口から飛び出している。

 それがガルシアが政治的に皇太子派として旗幟を鮮明にしてよいのかと悩み続けてきた理由であり、今後も解決し得ない懸念でもあった。


「かの者も、かの傭兵団も異教徒です。

 そもそもアルトレウス家を討ったのは、敵側の部隊による所業という筋書きでございましょう。その当の者どもを帝都へ入れ、ましてこの帝宮で殿下に拝謁させること自体、臣は初めから反対でございました。

 かようなことは、自ら敵を招き入れたあかしを宮中に残すに等しい行為です。万一ことが露見し、筋書きの偽りが暴かれれば、これからの大事において取り返しのつかない火種となりましょう。

 臣としては、ご自重あるべきかと愚考いたします」


「別に露見したとて余は一向にかまわぬ。余の方針に逆らい、勝手な振る舞いをするような不忠の臣を余が誅殺したとして、何のはばかることがある?」


 あまりにも平然とした言い様に、ガルシアは一瞬、言葉を失った。

 だが皇太子は、そこで話を終えるつもりなどないらしい。むしろ、今の言葉など前置きに過ぎぬと言わんばかりに、椅子の肘掛けを指先で軽く叩いた。


「それに、この前も少し話したであろう。そのことは最早問題にはならぬ、と」


 ――まさか……。あの時、冗談めかして口にしていた、戯言ざれごとと聞き流していた話をしておられるのか!?


「殿下! まさか本気でそのようなことを……」


「そう申したであろう。余は本気だ。そうでなくては最早、この国を立て直すことなど到底叶わぬ」


「しかし殿下、それは我が国の拠って立つ信仰であり、我らの心の支柱ではございませぬか!」


 ガルシアの言葉に、皇太子ステファノスは唾棄すべきものを見るような目で、謁見の間に飾られた主神アグニスの像を見上げた。


「ふん。我らを支える支柱なら、なぜ奇跡の一つも起こせぬのだ。

 この百年、いや二百年で見ても、何一つ起こせず、誰一人として英雄も生み出せておらぬ。

 他の神々が、その間に何度も発現させているというにもかかわらず、だ」


「奇跡と喧伝されているだけで、それが真の奇跡なのか、偶然の産物なのかは分かったものではありません」


「もう既に余が決めたことだ。その話はもうよい。」


 やや不機嫌に、しかし事務的な冷たさを孕んだ声で、皇太子は会話を打ち切った。そこにはガルシアの忠告を吟味する気など微塵もなく、ただ決定事項を伝えるだけの、絶対的な断絶があった。


 全く同意はできなかったが、これ以上の抗弁が無意味であることだけは悟らざるを得なかった。


「御意のままに……」


 不敬にならぬよう、辛うじて絞り出した小声でそれだけを返すと、ガルシアは逃げるように別の話題を皇太子へ向けた。

 掲げるべき旗を間違えたかもしれない。だが、今更引き返すことなどできはしない――その直感に、底のない絶望を覚えながら。


「この後、侍従長ハインリヒ殿、神殿長官ソラリス卿のお二人との面会予定でございます」


 事務的に予定を告げながら、ガルシアの内心は暗澹たる心地だった。

 先ほどの皇太子の言葉は、自分などよりも、これからまみえる二人にとってこそ破滅的な衝撃となるだろう。それぞれの置かれる立場として、このことは決して聞き流せるような話ではないのだから。



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