幸せな迷子
シンジさんは、まだジェーンが盲目である事。そして、己の血の繋がった母親である事に気づいていない……
「シンジさん! そいつはッ━━」
俺がそこまで言うと、ウミユリ海底譚が再び俺に攻撃を始めた。シンジさんに声を掛ける余裕がない……
「ん? アンタ、もしかして……」
シンジさんが呟く。まずい、もしかして気づいてしまったのか!? もし気づかれたらどんな行動を取られるのか全く予想がつかない。せめて戦いが終わった後に気づいてくれ……!!
「盲目かッ……道理で俺の術が効かねえ訳だぜ」
(よかった……気づいてないみたいだ。というか、もう百年以上も会っていない相手の事なんて大して覚えてるはずもないか……)
俺はホッとしつつも、全力で目の前の敵に対処する。連撃にナイフ一本で対処するのは限界があるし、どうしたものか……
「リク君! 真っ暗闇でコイツとやり合うのは分が悪いッ!! 逃げますよ!」
「はい!」
俺はシンジさんのその一言に合わせて一斉に逃げ出した。同じ方向に逃げると、ジェーンがウミユリ海底譚に乗って追いかけて来た。
「どうします!? 追ってきてますよ!」
「どうしますかねぇ……とりあえず深層スラムから無闇に出るのは避けましょう。表に出ると無関係な人達まで巻き込んでしまう危険性があります」
「分かりました! でも、どうするんですか?」
「とりあえず! 今は! 逃げましょう!」
シンジさんもかなりしんどい様だ……俺もかなり疲れているが、立ち止まる訳にはいかない。しばらく走って路地裏の方まで逃げると、いつの間にか正面に回り込まれてしまっていた……
「逃げられるとでも……思っているの?」
満月が、俺達の立つ位置の真上に登った。ジェーンの顔が、白い月光に照らされた。病弱な白い肌に、真っ白な髪。さらに、淡い月明かりに照らされてより激しくカラフルに発光するウミユリ海底譚は神々しくも見える。そして、俺の横から一番聞きたくなかった声がした。
「母……さん?」
俺の心臓がドキンと大きな音を立てて脈打った。
(やべえぞ、どうやって誤魔化す?)
「…………母……さん? あなたが誰かは存じ上げないが……少なくとも女性に攻撃するような粗雑な人間に育てた覚えはないわよ。」
ジェーンは気付いていない様子だ。シンジさんは、何か深く考えているように固まっていた。俺は無理やり手を引いて横の道へ入り込んだ。どうやらジェーンは守護獣と一緒に入れるルートを探しているのか、一度姿を消した。
「母さんだ……間違いない、母さんだ!!」
シンジさんの輝かしい目が、どうしてだか俺の心をキツく締め付ける。
「……落ち着きましょう。まずはここから逃げないと」
「俺が母さんに交渉してみますよ、きっと、俺の事を覚えてくれているはず!」
「ダメです。シンジさんだって身を以て体感したでしょう? 今は敵同士なんですから……そう無茶な事は━━」
俺がそう言いかけた所で、シンジさんが俺の目をじっと見てきた。焦った頃には遅く、俺の五感は一秒間遮断される……感覚が戻った時、既にシンジさんは居なかった。
(予想以上にマズイ状況になっちまったよ……ガチでどうすっかなコレ)
俺は焦ってシンジさんが行ったであろう道を走って進みだした。だが、見つけられない。とにかく走り続けると、迷路のような路地裏から抜けてしまった。
(クッソ……見つけられねえ。もう一回戻るか!)
俺は踵を返して全力で走り出した。するとシンジさんとジェーンを見つけた……だが…………
「母さん……俺だよ、シンジだって…………」
シンジさんは、ウミユリ海底譚のギザギザ触手に絡みつかれて身動きが取れない状態で必死に訴えかけている……痛々しすぎて見てられない。俺は、拳銃を取り出して残弾を全てジェーンとウミユリ海底譚に撃った。しかし、ウミユリ海底譚の弾力が強い触手とカサに全て弾かれてしまった。
「リク……君。邪魔をしないで……ください」
シンジさんはかなり疲弊しているようで、息切れしながらも必死に声を絞り出している。ジェーンは、神妙な顔つきをして何も喋らない。
「母さん……お願いだからさぁ、帰って来てよ……ねぇ……」
「もし私の実の子なら……私の本当の名前、知っているはずよね……?」
「あぁ、片時も忘れた事はないよ。“春奈”……そうでしょ?」
「……ッ!!?」
「いつだって大切に想っていた……どんなに辛くても……母さんが生きているかもしれない、また会えるかもしれないって思えたから…………俺は生きてこられたんだ……」
ジェーンは、シンジさんの消え入るような声を聞いた瞬間にハッとした顔で一瞬だけ守護獣の力を緩めた。俺はその隙を見逃さず、触手に絡み付かれたシンジさんを無理矢理引き剥がした。そして、ずっと袖口に忍ばせていた小さな銃を手に取る。
「真司ッ……」
ジェーンの口から、弱々しく声が漏れた。だが、ここで変に引き下がれば面倒な事になるかもしれない。俺は迷わず銃を撃った。二発しか弾が入っていないので、しっかりと狙いを定める。
「やめてくれッ!」
シンジさんが割って入ったせいで、弾道がブレる。
「……ッ! 邪魔をしないでください! シンジさん! 分かっているんでしょう!? もうあなたの母親は……アナタが知っている頃の母親じゃない!」
「……それは…………」
いつも頼りになるシンジさんが、まるで嘘みたいにオドオドしている。埒が明かないので俺はシンジさんの腕を引いて無理矢理この場を連れ出した。
「……ッ! 待って!」
ジェーンが触手を伸ばして俺達を引き留めようとする。だが、俺は全力で走って逃げ出した。そして、そこそこ離れた所で最後の一発を放棄された平たい鉄屑に撃った。すると、爆音が鳴り響く。この音でジェーンの探知を上手く掻い潜って、俺達はなんとか逃げ切ることができた。
ある程度走った所で、俺も体力の限界が来て座り込んだ。
「はぁ……はぁ……ここまで来れば大丈夫ですかね…………すみません、シンジさん。無理矢理連れてきてしまって」
「いや……良いんだ。こっちこそ、取り乱してしまって申し訳ない」
シンジさんは崩れるように座り込んで、タバコを取り出した。そしてゆっくりと火を付けて吸い込み、煙を空に向かって吐いた。
「人生迷子になってた俺が、やっと母さんと再開できました……本当に、今幸せです。本当に……」
「それは良かったですね、俺も早くハルを見つけないと」
「きっと……出会えますよ、リク君は……強いから……いつかは必ずたどり着くはず」
「だと良いですけどねぇ……」
「リク君も……一本……吸いますか?」
狭い路地で、対面する形で座っている俺に一本のヤニが差し出された。
「あぁ、そうですねぇ。たまには一服でもしますか」
俺は手を伸ばしてタバコの先端を掴んだ。そして、引き抜くように受け取ろうとした。だが、掴む力が抜かれておらず上手く受け取れない。
「シンジさん……ちょい力強いっすよ? もう今は力抜きましょうや」
しかし、シンジさんは黙ったまま動かない。
「え……シンジさん? ちょっと……冗談キツイっすよ? ねぇ、シンジさん……シン……ジさん……??」
俺は焦ってシンジさんの肩を揺する。すると、咥えられたままのタバコがポトリと地面に落ちた。そして、揺するために背中に当てた俺の手にベッタリと血が付いていた。シンジさんの背中を見ると、深い切り傷ができていた。振り返ると俺達が歩いて来た場所に、血の線がずっと伸びていた。
(……ッ!? もしかして逃げる時に、触手のギザギザで背中を切られた!?)
「シンジさん! 死んじゃあダメだ! 起きて! シンジさん!」
俺の呼びかけも虚しく、シンジさんの首元に添えていた手から感じていた熱が消えていく。
「シンジさん! しっかりして! 起きてください!!!!」
すると、俺の背後のゴミ箱がゴォンッという音を立てた。振り返ると、ウミユリ海底譚の触手が俺のほんの数センチ後ろのゴミ箱を貫いていた。大声を出してしまったせいで、場所がバレたようだ。
(やべぇ、こんなボロボロの俺じゃ相手したって絶対に死ぬ……)
俺は今も尚座って動かないシンジさんの体を一瞥した。
(シンジさん……ごめんなさい!)
俺は全力で走ってその場から逃げ出した。目から、心から、とめどなく涙が溢れて来る。深層スラムを抜けると、俺は情けない気の抜けた足取りで拠点へと帰った。
━━━━━━━━━━━━━━一方その頃、深層スラム路地裏━━━━━━━━━━━━━━━━
「シンジ……うそ、シンジ……??」
私は、そこに座っている誰かの死体を触った。それが息子の物なのか、もう一人の物なのか……目が見えない私にとっては分からない。息子の死をなんとか否定しようと、私は死体の足首を触った。
「……ッ!! あぁ、そんな……」
前にある死体の足首には、確かに百年以上前に私が作って結んであげたミサンガが巻かれたあった。特別頑丈に作ったもので、独特な手触りをしているのですぐに分かった。
「シンジ……嘘よね…………そんな、もうお別れだなんて……嫌、嫌ぁ!!」
機能を完全に失ったはずの私の目から、大粒の涙が垂れる。こんな現実、到底受け入れられる訳が無い。なんとか生きている証拠を探そうとする私に、一人の男が声を掛けた。
「……取り乱すのか? ジェーン」
「あ、アマシロさん!? そこに居るんですよね! お願いします! 息子をなんとか……生き返らせてください!」
「それはできない。お前は俺達に確かに忠誠を誓ったはずだ。今後の十契との戦争で邪魔になってきそうな不安要素を復活させることはできない。それに、一度消えた命を吹き返すことは俺にも不可能だ。諦めろ」
「……そんなぁ、そんなあぁ…………」
私は地面に崩れて、涙を流し続けた。もう、声を上げる気力も無い。
本日は、昨日サボった埋め合わせのためにも倍近く書きました!
……どうだったでしょうか?




