2 アリス先生との再会
「行ってらっしゃい、アーシェ」
アランが言った。
「気を付けてな」
「はい、行って参ります」
借家の玄関先でそう答えたアーシェが、屋内に留まるアランに見送られる形で、拠点の斜向かい――と言っても、距離はそれなりにあるが、とにかく斜向かいにある学園へと向かって歩いた。
先に道の向こう側へ渡っておき、そのまま数分ほど直進していくと、博物館が見えてくる。学園ほどでは無いにしろ、大きい。単なる遺物だけでなく、魔結晶と錬金術の歴史も取り扱っているし、学園の隣でもあるから、ここも後々、調査しなければならない場所だ。
その博物館を通過すると、やがて要塞を思わせる石壁と鉄の鼠返しが見えてきて、開けた石畳の広場に大きな鉄柵の門扉が、左右に開いていた。
特に門扉は、以前に見た絵画とそっくりそのままの形で、奥の方――学園の敷地内には、遠目に石木の建物の屋根や上層部が並んでいるのが見える。
「すみません」
突然、女性の声がした。
振りむくと、紙束を抱えた、アーシェより四つか五つほど年上の女性がいて、
「呼び止めてごめんなさい。どうか、これをご覧になってくださいませんか?」
そう言って、半紙の安っぽい紙を一枚、差しだされた。
受けとらずにジッと見やると、飢饉や戦争がどうとか、人の精神がどうとか、神と不幸がどうとか言う文言が目に付く。
「急いでいるので、失礼します」
アーシェはそう言って目礼すると、すぐさま正門の方へと向かった。そうして正門の真横にある目的地――通称『詰め所』と呼ばれている守衛の管理小屋の窓口に立ちより、声を掛ける。
「どうしたんだね?」と守衛の男性。
「本日からこちらでお世話になります、アーシェ・キャルロットと申します」
「お世話……?」
「調合学部の錬金専攻に編入しまして…… これが書類です」
あらかじめポケットへ入れてあった書類を、畳んだままの状態で窓口から差しだす。
守衛はその書類を受け取り、開いて内容を確認したあと、何度も紙面とアーシェを交互に見ていた。
明らかに子供と見間違えていた守衛の反応に、
「何か?」と、不機嫌そうに尋ねる。
「あぁ…… いや、新入生のアーシェさんね。はいはい…… あなたを案内する方がいらっしゃるそうなので、ここで待っていてください。呼んできますから」
――またか。
アーシェは諦観の溜息を吐いて、そう思った。
今ではすっかり諦めた様子だが、最初はなぜ、会う人のほとんどが子供扱いするのか理解していなかった。理解できていなかった理由は他でも無い、彼女の境遇にある。
これまで屋敷の外へ出たことがほとんど無く、そのせいで小柄な体格だったことを自覚していなかったのだ。
最初の自覚は、ロンデロントで受験勉強を始めた頃で、それ以降、買い物の練習をしていたとき、やたらと子供扱いされたことで、見た目と実年齢の齟齬を確信するに至った。
気になってからは一度、領事館にいる人々に相談したこともある。
返ってくる答えはほとんど、元々が小柄だから仕方ないとか、小さいから可愛いとか、体型は間違いなく大人だから、服装で大人になれるとか、妙な慰めや気遣いだけで、なんだかやるせなくなったから、それ以降は訊くのをやめていた。
アリス――受験勉強に付きあってくれた先生だけは、最近の研究結果で、十代のうちはまだ身長が伸びる可能性がある、大丈夫だと根拠を示して言ってくれたから、アーシェの希望の一つとなっている。
そのアリス先生が、守衛の男性と一緒に管理小屋へとやって来た。
「お久しぶりです、アーシェさん」
アリスの身長が高いから、アランと同じくらい見あげて、
「お久しぶりです、先生」と答える。
「えっと…… ここでは私も生徒ですし、アリスと名前で呼んでくださいね?」と苦笑う。
「分かりました、アリス先生」
「だ、だからアーシェさん……!」
焦って否定するアリスに、アーシェは不可思議そうに首を傾げた。
「アリスさんが、この子を見てあげたのですか?」
守衛の男性が話に入ってきたから、アリスは苦笑って、基礎科目を少し見ただけで、ほとんど彼女の努力ですと謙遜して答えていた。
そうして立ち話もそこそこに、アリスが宿舎の方へ案内すると言うから、彼女の横に並んで一緒に歩く。
正門の先は並木道で、その先には芝が広がる中庭と噴水が見えた。さらにその先には、大きな建物が三つ並んでいる。
「荷物、片方くらい持ちますよ?」とアリス。
「いえ、大丈夫です。小柄ですが力はある方ですから」
「しかし、後輩に荷物を持たせておくのは忍びありません。片方くらいは持たせてください。ね?」
断る理由は特に無いから、大きい方の鞄を持ってもらうことにした。
「いよいよですね」とアリス。
「はい。何か重大な事実が分かりましたら、念のために情報共有させて頂きます。殿下から、そうするよう言われておりますので」
「ええ、ありがとう。――ただ、学生の本分を忘れないでね?」
「はい。お母様のためにも、いろんなことを経験したいと思います」
二人が話をしているうちに、中庭と噴水の近くを通って、遠くから見えていた建物の前にやって来た。
「ここが『旧講堂』と呼ばれる場所です。名前の通り、昔の講堂はここの二階にあったそうですが、今は部室がいくつも作られていて、部室や会議室に改修して使っているようです。そして、一階には図書室などがあります。
あと、左右にある石造とレンガで出来た建物は『職員棟』となります。中高の教職員だけでなく、清掃や警備の守衛さん…… 様々な方が使っていますよ」
アーシェが、左右をザっと見渡す。
旧講堂自体、左右対称の建物で、その上部には煙突のように伸びた塔があり、大きな時計の文字盤と、さらに上に鐘の姿が見えた。
「時計があるのですか?」
「ええ。建物に設置されているのは珍しいでしょう? スーズリオンの時計塔を模しているようだけど、時計は振り子と退却式を組みあわせた最新の機構を使っているようだから、自動でかなり正確に時間を計れるみたいですね。時計塔の鐘も、ここの音を聞いてから鳴らしていると言う噂もあります」
――正直、ロンデロントでは見たことが無い。ベリンガールのベネノアでも見掛けなかった。
思った以上にエルエッサムと言う町は、他よりも様々な物が進歩しているようだ。
「さっ、旧講堂の先にある建物が、学園の運営管理棟となります。行きましょうか」
と言って、アリスと一緒に旧講堂の中へと入った。入ってすぐに、エントランスホールとT字路が目に付いた。
外ではあまり見掛けなかった人の往来も、講堂内では多く見かける。右から左へ、左から右へ、あるいは曲がって真っすぐ向こう側へ、人々が流れている。
どうやら、旧講堂の左右に伸びる通路が職員棟と繋がっているらしく、そこを用事がある学生や職員が行き交っているらしかった。
アリスの話では、旧講堂を迂回して職員棟や運営管理棟へ向かうのは面倒だし、雨でも濡れずに各棟へ行けるからと、皆が渡り廊下のように使っているらしい。
「運営管理棟はこの先ですよ」
そう言ったアリスと、真っすぐ向こうに伸びている通路を歩く。そうして一度外へ出て、今度は正真正銘の渡り廊下を歩いて、木造二階建ての、運営管理棟と呼ばれる建物へと入った。
旧講堂のように広いエントランスホールがあって、受付の窓口がいくつかに別れている。
アリスに連れられて、その中の一つの窓口へ立ちよった。
必要な書類などを提出したあと、寮に関する説明を簡単に受け、あとはアリスが引き受けると言うことで、さっそく二人で学生寮へと向かった。
「学生寮は」とアリス。「ここから少し離れたところにあります」
「アリスせn――…… コホン。アリスさんがいる大学寮とも離れていますか?」
「そうですね。残念ですけど、アリスさんがいる高等寮は東端に、私のいる大学寮は西端にあります」
学園の大きさを未だに把握していないから、東西でどの程度離れているか分からない。ただ、話しぶりからすると、かなり離れていそうではある。
「高等寮は、年齢や学部によって色々と分けられています。アーシェさんが学ぶ錬金専攻は、かなり人数が多いので、建物も三つに分かれていますから、最初のうちは気を付けてくださいね」
「専攻や学部によって、寝床が違うんですね?」
「もっと言うと『一貫組』と『受験組』で建物を分けています」
「一貫組……?」
「スーズリオン学園の諸事情は、あまり聞いていませんか?」
「申し訳ありません、今後の捜査と勉強の方向性に時間を掛けたので、学園の内情は簡単にしか……」
「では、『学徒抗争』はご存じ?」
「はい。確か半年以上、前に、学生同士の大きな衝突があり、たくさんの負傷者と除籍者が出たと言うものですよね?」
「ええ…… その原因となったのが、一貫組と受験組の対立なの」
「受験組はなんとなく察しが付きますが…… 一貫組には、どのような特徴があるのです?」
「スーズリオン学園の学部は年齢によって、中等部、高等部、大学部の三つに分かれているの。
『一貫組』は中等部から、順番に高等部、大学部へと進学していった人たちのことを呼びます」
「――まさか、その程度の違いしかないのですか?」
「そのまさかです」
呆れたアーシェが、溜息を吐いた。
「さらに」と、続けるアリス。「卒業した一貫組の有志たちで運営している『学園塾』と呼ばれるところがあって、そこの出身を真の一貫組と呼んで区別しようとしている人もいますね」
「くだならい……」
「他国の私たちにはそう思えても、エルエッサムの人々にはそう思えないところもあるのかもしれません。ほとんどの貴族は、ここから生まれたと言っても過言ではありませんから。――そもそも、ベリンガールの貴族主義も、元を辿ればエルエッサム貴族から来ていますしね」
「そういえば、エルエッサムの歴史はアル・ファームよりもずっと古いと、案内冊子に載っていました」
「残念ながら半分、不正解ですね…… 古さで言うなら、エルエッサムのさらに南にある国、ミルドガルに代表されるような、メル・カヴァ大湖周辺の国々ですし、エルエッサムとアル・ファームは元を辿れば一つの王朝から派生したと言われています」
「では、嘘を書いているのですか?」
「厳密に言えば嘘でも無いのが難しいところですね。――学生を集めるために、少々誇張しているのかもしれません。こういう手法は良く使われるのです」
「あの…… どうして学徒抗争が起こったのです? 話を聞くに、まだ火種が鎮火しきっていない気がします」
「抗争が起こった原因は、私も詳しく知らないのです。『王族党』に所属していたときも、学園側の報告が曖昧だったと記憶しています。ただ、あなたが危惧するように、火種はまだ燻っているのは事実です。くれぐれも気を付けてくださいね……」
「アリスさんも気を付けてください。何かあったら駆けつけます」
大真面目に言うと、彼女が苦笑いつつ、
「大学はさすがに大丈夫です」
と答えた。
「文字通り、大人が学ぶ場所ですからね。各国の著名な貴族や学者が集まっていますし、スーズリオン学園自体、調合術や魔導具の研究以外は、まだまだ他国から学者を招致する側ですから」
「でも、私だって成人していて大人です」
「法による成人認定と、周囲からの認知による大人は少し違うものです」
「そうなのですか……?」
「アーシェさんも、卒業する頃には立派な大人になっていますよ、間違いなく」
そう言ったアリスが、前方へ顔を向けた。
彼女の視線を追うと、二階建ての木造建築がいくつか並んでいるのが見える。
「あれが高等寮です」
前を向いたまま、アリスが言った。




