1話 その方が慣れてる
サウジアラビア。四角に型抜きされた壁材で構成される建物が目立つ、植物と街灯が均等に並んだ、都市とされる研究機関の群生地帯。建物のいくらかには、KACSTと書かれている。暗いなか街灯の下で、植えられた花の1つをしゃがんで眺める老婆がいた。長袖で、足首まであるサウジアラビア伝統の白い服を着込んだ男が、老婆に声をかけた。
男「ウンム・アスマ様、例の鉄原子について、報告が上がっています」
マザー「マザーとお呼び、その方が慣れてる」
男「失礼を、マザー様」
マザー「端末に入ってたね、実験結果。目は通した、今考え中だよ」
マザーは白衣のポケットに手を突っ込みながら歩く。男はそれに着いていく。空を見上げると、飛行機が飛んでいた。
男「比重瓶、超音波、放射線照射、浮力計算、水置換……平均密度7.87 g/cm³」
マザー「完全に鉄の延べ棒だな。宇宙工学の分野で使用できるレベルの品物だ」
男「はい。何度計測しても、どのような機材に加工しても、鉄として機能しています」
マザー「あぁ、問題はそこではない。触媒としてコイツを使ってハーバー・ボッシュ法でアンモニアを生産すると鉄が消耗し、その比重が全てアンモニアに加算されるというところだな。しかも、何の化合も化学反応も無しに」
男「ハーバー・ボッシュ法で生産されるアンモニアに、異常な点はまったく見られません。化学反応の順番、工程、全て通常の物と変化ありません。しかし」
マザー「大気中の窒素と水素を、触媒のある装置に封入した時点では問題無し。だが熱を与えて化学反応を引き起こすと、そのタイミングで鉄が消えている、だったか」
男「反応の必要な温度は最大でも600度。鉄の溶解温度である1538度には程遠いです」
マザー「私の言った指示の結果も添付されていたな」
男「溶解させ再度鉄インゴットとして形成し直したところ、触媒は、例の鉄原子が消失する現象が、引き起こらなくなりました。しかし、他の用途には全て応用可能です」
マザー「一度溶かして戻すと、普通の鉄に戻る。鉄原子を見えなくする現象は、熱によって取り除かれる、ということだな。次の指示だが」
男「はい、それをお待ちしておりました」
マザー「あらゆる植物に例の、鉄原子が見えないアンモニアで生産された肥料を与えて、植物の遺伝子から土壌の状態まで、影響の全てを確認しろ。それから、それら植物で加工や調理を施して変化を調べろ」
男「調理も、ですか?」
マザー「これはただの推測だが、奴らは最終的に人間に対して何かをしたいというのが魂胆だ。最も、データだけ寄越して後はご自由、別に例の鉄は使わなくて良いというのが随分と違和感だが」
男「その魂胆の理由は何でしょう?」
マザー「簡単な話だ。ハーバー・ボッシュ法で生産される肥料は、世界の農業生産物の半分に使われている。つまり単純計算、世界の飯の半分はこの方法で生産されている。それにどうこうしようと考えるのは、世界征服でも考える奴ら全員に当てはまるだろう」
男「生産物……なら、最初に調べるのはどれになりましょうか?」
マザー「デカイ規模で生産する、窒素肥料を必要とするもの、そして食べられる物。一番人類が食ってきた存在から調べよう、つまり……小麦だ」
一週間経過し、昼頃。マザーが建物内でエレベーターに乗っている。端末の連絡が入り、一室へ入った。数人の学者が、植物を育ている。
マザー「データは見たぞ。一応口頭でも聞いておこう」
学者「はい。まず、一週間の間に大規模な設備が必要な植物以外は、手順だけ専門家から教わってここで育てています。種からの物はまだ全く育っていませんが、育成途中から追肥として例の肥料を加えて育て、すぐ収穫している物が複数あります。イネ、マメ、ナス、ウリ、アブラナ、セリ、ヒガンバナ、キク、バラ、ヒユ、タデなどなど、全ての種別を取り揃えて調査していますが、形や土壌などに、とりわけ変わった点はありません。マザーの指定した小麦に関しても同様です」
マザー「でも、一点あるんだな?」
学者「はい。全ての生産品において、内包する栄養素に向上が見られます。但し、遺伝子に組み換えなどが起きている訳ではありません」




