34話 自分を大切にしない理由にはならないよ
数日後、エメラルドは自分の仕事部屋で、書類を受け取っていた。部屋の中に数人、ORCAの面々がいて、種類を渡した科学者が部屋を出ていった。
エメラルド「……これは、また何とも意味の分からない報告書だ」
ヴェロニク「それ、例の鉄の報告書?」
エメラルド「あぁ、しかしこれは……」
エメラルドはコーヒーを飲んだ。側には何個か、エナジードリンクの空き缶がある。
ヴェロニク「働き詰め?」
エメラルド「いや、普通にハマってるだけだ」
那東「カフェイン中毒に気を付けるでござる」
ヴェロニク「ベネットさんにも怒られるよ?」
エメラルドはコーヒーを溢しそうになる。
ヴェロニク「分かりやすいなぁ。好きなら一緒にいればいいのに」
エメラルド「あのなぁ……」
ヴェロニク「で、報告はどんな感じ?」
那東(元カレというか親でござる)
エメラルド「あぁ、それなんだが……異常無しだ」
ヴェロニク「えぇ?」
エメラルド「化学反応が、何も変わらない。まずそもそも件のインゴットだが、純度99.99%の鉄であることが突き止められた。このため、何らかの毒素を精製させるような化合物や、危険な物質を含んだ合金という推察は無くなった。現在は磁着、磁力による製造過程への影響が検査されているが、いずれも影響はまったくないという計算だとか」
那東「????」
ヴェロニク「分かってなさ過ぎでしょ」
エメラルド「2つほど懸念事項として上げられている。1つ目、このインゴットで作られた触媒を使ってアンモニアを精製した場合、本来消耗することのない鉄がどこかへ消失しているという点だ。2つ目、重量を測定すると、精製されたアンモニアの重量が増えている点。しかも増えた重量は、消失した鉄の質量と一致している」
那東「鉄が反応してしまっている?」
エメラルド「さっきも言ったように、アンモニアは正常に精製されている。変な話だが、そのアンモニアに、鉄原子が確認されていないんだ」
ヴェロニク「鉄が消えて、でもアンモニアは消えた鉄と同じ量重くなってる、でも鉄原子が見当たらない……おかしくない?計測ミスじゃないの?」
エメラルド「何十件と同じ報告が上がっているんだそうだ」
那東「そこに存在しているはずなのに、見えない鉄原子。また奇っ怪な……まさか原子が光学迷彩を着込む日が来るとは」
エメラルド「その仮説、マザーへ送っておこう」
ヴェロニク「当たってたら怖いわよ」
エメラルド「この触媒での製造は既に中断、まぁ製造といっても試験的なものだったがな。既に触媒は通常のものに置換されている。目的も原理も何もかも不明だが、わざわざ相手の術中にハマることもない」
エメラルド「この辺りは、マザーに期待するしかないか」
那東「で、次は何をするでござる?」
エメラルド「ワルシャワ攻撃に伴った軍事的制裁に、我々も参加する運びになっている。だがマイロー、ミロスラフに関しては現在協議中とのこと。セナが止めたとはいえ、アレは戦闘を放棄したいわば捕虜を、殺害しかけたからな」
ヴェロニク「あんなの捕虜にじゃないわよ」
エメラルド「セナの録音データを上に送ってある。あの言い方で怒らない兵士は存在しないだろと私も思うが、私は爆弾をくくりつけられた。あれらを守りたい勢力は、まだいる」
那東「バカな息子はそれでも愛されるという訳でござるな」
ヴェロニク「今回うるさかったの女だけどね」
エメラルド「マイローはいま医務室で身体・精神の検査を受けている。余計なことは言うな、戦傷を誇る人間ではない。黙っていたのはすまない、個人的なものとしてカウントしていたからな」
ヴェロニク「ホントびっくりしちゃったわ。でも、秘密なんて誰にでもあるものよね」
那東「動画取られていたような……後始末はできたでござるが?」
エメラルド「あの一帯からのスマホや携帯みたいな、携帯会社を経由する連絡は全て通信を妨害していた。無線ならともかく、携帯端末は資本主義によって徹底して管理される電波だ。妨害は簡単だった」
那東「捕縛した連中が口を揃えてマイローを訴えたら?あれらの保護者は我々の上なのだろう?」
エメラルド「現状の上は、彼らを切り捨てる判断だ。まぁ妥当だ。社会的立場で孕ませられる女は数あれど、社会的立場を孕み産み落とす女はいない。子供という存在は、どうやら失っても取り返しがつくようだ」
ヴェロニク「それはそれで腹立つけど、今さら切り捨てるくらいなら、はなっから守らないで欲しいわ……私たちの作戦、やる意味なかったってことじゃない」
那東「今後こういう作戦はなくしてほしいでござるな」
エメラルド「まぁ無くならないだろうな」
ヴェロニク「だっる。何でよ」
エメラルド「それが、上の立場というものだ」
那東「古今東西、立場が上の人間がおかしくなるというのは何故普通の出来事であろうな」
エメラルド「競争という社会の普通から隔離され、安定という腐敗が進行する……確か、
ベネットの先生がそんなことを言っていたような」
ヴェロニク「隔離、腐敗、ねぇ」
那東「……ちょっとマイローの所へ行ってくるでござる」
マイローは医務室のベッドに座り、鏡で顔を見ていた。鼻を触る。
マイロー(……)
医者が部屋から出ようとする。
医者「安定したけど、とりあえず顔を引き剥がすようなマネはもうよしなよ」
マイロー「……申し訳ありません」
医者「説得のため、だったっけ?」
マイロー「はい」
医者「まぁ、印象っていうのは大事だよね。かつて宗教は、文字も読めない自国民や隣国の人間にも神を理解させるため、巨大な教会や美しい絵画にステンドグラス、何でも利用していた。何かを伝えるのに一番効率なのは、見た目だ」
マイロー「……」
医者「間違ってないけど、自分を大切にしない理由にはならないよ」
医者が扉を開けると、二人が立っていた。
医者「ほら、みんな君を心配してる。境遇からして難しいと思うけれども、それを自覚しな」
セナと那東が部屋へ入る。医者は出ていった。
マイロー「二人とも」
セナ「体調に問題は?」
マイロー「いえ、特に」
那東「後始末はできているでござる。マイロー殿が訴えられることはない模様、安心してよいでござる」
マイロー「そうでしたか」
那東「しかし、マイロー殿がブチキレるとは。久しぶりに見たでござる」
セナ「……」
那東「ははっ。セナ殿、今回はお主が怒らせた訳ではないでござるよ」
セナ「えっ、あぁ……」
那東「本当に機械なのか、疑ってしまう挙動でござるな。もうちゃんと人権あっても良さそうでござる」
マイロー「確かに、そうですね」
セナ「……調べました。マイロー様を裁く法律は、しっかりと存在します。ウクライナ政府は確かに存在します。亡命中の政府はイギリスに存在しますので、ウクライナ政府はしっかりと、あなたを裁くことができます」
マイロー「そう、ですよね」
那東「で、あろう」
セナ「ああした場面は稀でしょうが、今後あのような行動はお控え下さい」
マイロー「……衝動が、抑え辛いのかもしれませんね、私は」
セナ「あれで怒らない軍人の方がおかしいかと。だからこそお控え下さい」
那東「人を殺す訓練ばかりして、いったい何を守るつもりだ?あれに似た言葉を、日本で聞いたことがあるでござる。沖縄という場所に米軍の基地があって、そこから出ていけという話が上がった。人を殺す訓練を止めさせろ、というな。事実だけなら捉えれば確かに軍人は人を殺す訓練をしている。だが結局米軍は、ユーラシア大陸へ繋がる補給地点かつ、西側勢力として比較的カウントしやすい日本という便利な場所を、何としても守りたいはずでござる。表面的な人道は、インパクトがあって、確かに正義感を掻き立てられる。だが結局誰しも、誰かを信じきることなんて不可能でござる。私はあなたを殺せます、あなたも私を殺せます。核抑止に似た概念が日常には潜んでいて、だからこそそれを一手に引き受ける仕事として、軍人は存在するでござる」
マイロー「……」
那東「拙者はともかくあの場にいた軍人、とりわけベネット殿などは酷く傷付いていたでござろう。だから、感謝するでござる」
セナ「ですが、あれはやはり……」
那東「まぁマイロー殿なら、もう一回くらい、ああいうのはあるかもしれぬ」
セナ「それは、困ります」
マイロー「善処します」
セナ「私には、怒りなどの感情はありません。怒らせてはいけない、傷付けてはいけないという学習などはありますが、あの場であなたを止めたのは、彼らが人権に守られているという暗記項目があったからです。もしもっと高度な判断が必要な場合、私は誰も止めることができないかもしれません。怒りを溜め込むのもまたいけないことだと暗記しているからです。なので今のうちに止めさせていただきます。今後はどうか、お願いします」
マイロー「……そうですね、ありがとうございます。医者からは、即効性のある抗不安薬を処方されました。何かあったときは、これを服用します。薬に頼る以外にも、心がけが肝心だとも、言われしました」
那東「流せ、と言うのは簡単でござる。流せないこともあるのが社会の常。心がけが肝心というが、しっかり薬に頼るというのも必要不可欠。バランスを見極めるというのが、今後の肝であろうな」
2人の端末へ連絡が入る。セナにも連絡が入った。
セナ「次の任務ですね」
那東「さて次は何がくるのやら」
マイロー「行きましょう」
ORCAの面々は作戦室に集合した。ベネットが書類を眺めている。
ベネット「おぉ、治ってるじゃねぇか」
マイロー「ご迷惑をおかけしました」
ベネット「いやぁ、別に別に。それより、この報告書だ。今日ずっと見てる」
マイロー「何か問題が?」
ベネット「聞いてないか?見えない鉄原子のこと。大学じゃ社会学から工学まで幅広く勉強してた、昔の教材引っ張り出して色々と考えたりもしたんだが……マザーでも答えが出てないものを俺が考えるんじゃなかった。やっぱ時代は分業だな」
マイロー「見えない鉄原子?」
セナ「原理的にそんなことはできるはずがありません。でも……」
那東「新ソ連、あるいはそれに関連する何らかの存在が、それをやってのけている」
ベネット「あり得るとすれば、もっと原子を細かく分析する分野の話だ。分子や原子、それを構成する電子……現代物理学の根幹、量子力学の知識が必要になる」
ベネット「マザーは、量子力学の博士か何かでしょうか?」
セナ「機械工学・電気情報工学・物理情報工学など、ほぼ全ての工学において博士号を獲得されております。また近年は、分子動力学法・量子情報・ナノデバイス・素粒子物理学など、量子力学の研究も同時並行で行っております」
ヴェロニク「マザーさんって、勉強以外何かしてる?ご飯ちゃんと食べてるかしら」
セナ「御歳78、好物は北京ダックと火鍋です」
ヴェロニク「中華いいよねぇ」




