皇国からの手紙
セリウスのもとに、皇国から手紙が届いた。
差出人は、婚約者。封を切る前から、わずかに指先が震えているのを自覚する。
セリウス様
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
こちらはご安心くださいませ。私の身は、少しずつではございますが、確かに良い方へ向かっております。どうかご心配なさらないでください。
けれど――やはり、貴方様のお顔を一目拝見できましたなら、どれほど心強く、どれほど嬉しく思うことでしょう。早くお帰りくださいますよう、心より願っております。
離れていても、貴方様のご無事とご健勝を、いつも祈っております。
整った文字は、どこまでも穏やかで、優しかった。セリウスはゆっくりと息を吐き、顔を上げた。
「返信をすぐに書く。少し待っていてくれ」
使者は静かに頷き、その場で待った。
やがて書き終えた手紙を手に、セリウスは戻ってくる。
「待たせたな。……彼女の薬は、まだあるのか?」
何気ない問いのはずだった。だが、使者はわずかに視線を落とし、顔を曇らせた。
それを見た瞬間、胸の奥がひやりと冷える。
「……何か、あったのか?」
使者は躊躇いながら答えた。
「……薬が、無くなりました。そして、最近、咳を少し」
その言葉で、セリウスの顔色が変わった。
それがただの風邪なのか。それとも――病の再発なのか。
どちらとも、まだ判断がつかないからこそ。
「そんな……」
セリウスは、言葉を失った。
まだ、薬は見つかっていない。アグネッタは、もういない。治療を終えてから、まだ数ヶ月しか経っていないというのに。
それなのに――?胸の奥が、重く沈む。
わずかに俯いたまま、セリウスは顔を上げた。
「もしかしたら、何か薬が探せるかもしれない。あと一日、待ってくれないか」
一日で見つかるとは、思っていない。
それでも。ほんのわずかでもいい。
可能性という言葉に、すがりたかった。
調合室には、リリアーナとラニアがいた。
扉が開き、セリウスがローデンを伴って入ってくる。二人は、いつもと様子が違った。セリウスは挨拶もそこそこに、これまで調べた棚とは違う場所へ向かい、焦るように瓶や束ねた薬草を確かめ始める。ローデンは、少し難しい顔をしていた。
その背中を見ながら、リリアーナは小声でローデンに尋ねた。
「どうしたの?」
ローデンは一瞬、言うべきか迷った。けれど、リリアーナは彼の婚約者に実際に会っていると聞いていた。婚約者のことを、伝えるべきだと判断した。
「……婚約者が、咳をし始めたそうだ」
声を落として告げる。
「……それ、は」
リリアーナは言葉を失った。あのときの彼女の姿が、脳裏に浮かぶ。
「単なる咳なのか、病の再発かは、わからない」
ローデンは言った。リリアーナは目を伏せた。
……彼女がもし、ここにいるなら。何か出来るのかもしれない。でも、今は、何もできない。
「心配なの?」
ラニアが、リリアーナに問いかける。
「それは、そうよ。一度は見たのだし。セリウスの婚約者よ」
リリアーナは静かに答えた。
「ふーん」
ラニアは、温度のない声でそう言った。
「ローデン、ちょっと付き合って」
ラニアはそう言った。
「俺、なのか?」
「だって、リリアーナはセリウスの問いに答える必要があるでしょ」
ローデンは視線を向けた。セリウスは薬草の入った瓶を手に、真剣な顔でリリアーナに次々と質問をしている。
「そうだが……」
ローデンが言い淀むと、ラニアはあっさりと続けた。
「することないなら、来て」
それだけ言って、部屋を出る。
ローデンは少し迷ったあと、調合室の二人に向かって短く告げた。
「ラニアと散歩してくる」
そして慌てて、その背を追う。
ラニアは振り返ることもなく、静かに廊下を歩いていた。
「……どこに行くんだ」
ローデンは問いかけたが、ラニアは答えなかった。ただ黙って前を歩く。その背を、ローデンは無言で追う。
やがて城を出ると、見慣れない植物が一面に育てられている場所に出た。中庭にもあった、あの植物だ。
ラニアは迷いなくその中へ分け入り、ある一点でぴたりと足を止めた。振り返り、ローデンを見る。
「誰も来ないか、見張ってて」
……どういう意味だ?
戸惑いながら周囲を見回すが、人の気配はない。
ラニアはその場にしゃがみ込んだ。ローデンは視線を逸らすふりをしながら、横目で様子をうかがう。
小さな甘甘草に、ラニアが手をかざす。
そのとき、ローデンには、かすかに“何か”が見えた。
手から、植物へ。流れるような、目に見えないはずのものが。おそらく、普通の者には見えない。
しばらくして、ラニアは立ち上がり、甘甘草の葉を数枚ちぎり取った。
「帰ろう」
そう言って歩き出そうとした、その瞬間、身体がふらつく。
ローデンは反射的にラニアの腕をつかんだ。
気づく。額に汗がにじみ、顔色が悪い。
「……大丈夫なのか?」
問いかけても、ラニアは答えない。
「何か、飲み物でも」
ラニアは小さく首を振った。
「……いらない」
顔を上げたラニアの視線は、遠くを見ていた。




