こぼれ落ちた涙
暫くして、ローデンとラニアとロキは、城へ戻ってくる二人の姿を見ていた。森の道を並んで歩いてくる、エドモンドとリリアーナ。橇を引きながら、何かを話し、時折笑っている。
その様子は、遠目にもはっきりとわかった。
ロキが、ぱっと駆け出した。信じられない速さで、一直線にリリアーナの元へ向かう。
リリアーナはしゃがみ込み、ロキを迎え、優しく微笑んだ。何かを話しかけているようだったが、声までは届かない。
エドモンドもそれを見て、穏やかに笑っている。
そこだけ、空気が違った。まるで、日だまりの中にいるような、やわらかな幸福。ローデンは、無意識にその光景を眺めていた。
……いい光景だな。
そう思った、次の瞬間。ふと、隣の気配が気になり、ラニアを見た。ラニアは、唇をきゅっと噛みしめていた。そして、ぽろり、と。大粒の涙が、頬を伝って落ちた。
ローデンは目を見開いた。
……どうしてだ?泣く理由など、どこにも見当たらない。悲しいことは何も起きていない。むしろ、安心する場面だ。
無事に帰ってきて。笑っていて。幸せそうで。
なのに。ラニアは、音もなく、ただ涙をこぼしていた。
ローデンの頭は、完全に混乱していた。
何かを言うべきか。いや、何を言えばいい。
ローデンは固まったまま、隣のラニアを見た。
ラニアは、こぼれる涙を拭こうともしない。
ただ、遠くの二人を見つめたまま、静かに泣いている。
……ハンカチか?ローデンは慌ててポケットを探った。
指先に引っかかった布を引き抜く。出てきたのは、ぐしゃぐしゃに丸まったハンカチだった。
無言のまま、ラニアに差し出す。ラニアはそれをちらりと見て――何も言わず、視線を戻した。
受け取られなかったハンカチと、宙に浮いたままのローデンの手。
しばらくその姿勢で固まり、ローデンは気まずそうにハンカチをポケットへ押し込んだ。
「……エドモンドが、好きなのか」
口から出た言葉は、自分でも意味がわからなかった。ラニアはすぐに言った。
「違うよ」
視線は、ずっとリリアーナとエドモンドに向けられたままだ。ローデンは言葉を失った。
……わかんねぇ。
ラニアは、ゆっくりと瞳を閉じ、また開いた。その瞬間、涙がはっきりと頬を伝った。
無言で腕で顔を拭う。
そして、ふっと、小さく笑った。さっきまで泣いていたとは思えないほど、穏やかな笑み。
次の瞬間、ラニアは軽い足取りでリリアーナのもとへ駆けていった。
まるで、涙など最初から存在しなかったかのように。
ローデンは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
ラニアの金色の瞳が、やけに綺麗だったこと。こぼれ落ちる涙が、妙に眩しく見えたこと。どちらも、はっきりと記憶に残っている。
エドモンドは好きではないらしい――その事実に、なぜか胸の奥が静かに落ち着いた。
理由は、自分でもわからない。
紫の髪を揺らしながら、ラニアが駆けていく。その後ろ姿を、ローデンはただ見送った。
ぽつりと、呟く。
「人外なのに、泣くなよ」
その声は、誰にも届かず、空気の中に溶けて消えた。
ラニアは、エドモンドとリリアーナの間へと駆けていった。いつもの顔で、いつもの声で、二人に何かを話している。笑ってさえいる。
けれど――ローデンは、見てしまった。
理由はわからない。何に対する涙だったのかも、まったく理解できない。
それでも、ひとつだけ、確かなことがある。
ラニアの中には、深く沈んだ悲しみがある。
それを、ローデンは知ってしまった。
「今夜は猪の肉だ」
橇を引きながら、エドモンドがローデンに声をかけた。
「いいな」
ローデンは短く答える。
「お肉いっぱいのシチューがいいなあ」
リリアーナが、嬉しそうに言った。
「僕も作るの手伝うよ」
ラニアが軽い調子で続ける。その横で、ロキがしっぽを大きく振っていた。夕暮れの空気はやわらかく、城へと戻る足取りも穏やかだ。
誰も急がず、誰も警戒していない。まるで、この世界には何の不安も存在しないかのように。
――平穏な世界。
その言葉が、驚くほど似合う、何気ない会話だった。




