ある男たちと狼
狼の遠吠えが、遠くで響いた。
歩きながら、男が吐き捨てるように言う。
「……まだ生きてやがるのか?」
「最後の遠吠えだろ。あの怪我じゃあな」
もう一人の男が、気だるげに応じた。
「それにしても、偉い人の考えは分からん。突然、狼の毛皮を百匹分集めろ、だなんてさ」
「いい金になるだろ」
「だからって、こんな遠くまで来ることもないだろうが。なかなか無かったからって」
「もう終わった話だ。あとは帰るだけさ」
「無味無臭の薬、様々だったな」
「嫌味なほど、お高いけどな」
そう言いながら、男は遠吠えの聞こえた方角へと顔を向けた。
ここまで離れれば、もう追い着かれることは無いだろう。あの傷なら、ろくに歩くことはできまい。
男は振り返った。狼の毛皮を山のように積んだ台車を引いているのは、巨大な熊の魔獣だった。額には、魔石のようなものが深く嵌め込まれている。
「しかし、魔獣なら隷属させたかったな」
男がぼやく。
「帰り道が、ずいぶん楽になっただろうに」
「無理だ。あれは禁術だぞ。簡単に扱えるものじゃない」
実際、この巨大熊ですら、曾祖父の代になってようやく隷属に成功した存在だ。それ以来、便利な労働力として使われ続けてはいるが。
「……さっさと帰ろう」
男はそう言った。
「道のりは、まだ遠い」
男達は、歩き続けていった。
ーーーーーー
その魔獣である狼の子には、かつて父と母と兄がいた。
だが、ある時期になると、空から魔鳥が現れ、幼い狼を狙った。
最初に消えたのは、兄だった。次に、深い傷を負った父が、ある日を境に姿を消した。子離れが、もう少しだという頃。母は、子をかばい、戻らなかった。
狼の子は、一匹になった。
それからは、ずっと一匹だった。夏も。冬も。冬には群れで行動する狼もいた。だがその狼は、他の狼よりも足が速く、そして賢かった。
群れに頼らずとも、生きる術を身につけていた。
一匹で狩りをし、一匹で傷を癒し、一匹で、冬を越えた。そうして狼の子は、生き残っていった。
冬になると、他の狼たちが、その狼の後をついてくるようになった。狙いは、狩りの残り――餌のおこぼれだった。その頃には、狼の子は、もう子どもではなかった。
最初は、ついてくる狼たちを気にもとめなかった。だが、余った肉は分け与えた。追い払うこともしなかった。ついてくる狼は、日に一匹、また一匹と増えていった。
気づけば、常に数匹が背後にいるようになっていた。
やがて、その狼は、群れの中心となった。
命令することはなく、導こうともしない。
それでも、他の狼たちは、その背中を追った。
ボスの座を狙い、挑みかかる狼も現れた。
牙を剥き、力を誇示し、序列を奪おうとする者たちだ。だが、その狼は、負けなかった。
一度も。
ついてくる狼が増えるにつれ、餌は次第に足りなくなっていった。冬、森の獲物だけでは、群れを養いきれなくなったのだ。
やがて、若い狼たちが、人や家畜を襲うようになった。その狼は、それがどれほど危険な行いかを、よく分かっていた。人間は、獲物とは違う。報復し、追い、滅ぼす存在だ。
それでも、止めることはできなかった。
飢えた若い狼たちは、命令を待たない。
牙と空腹に突き動かされ、境界を越えていった。
……その群れは、もう、いない。
その日。水場の気配が、いつもと違っていた。匂いも、音も、風の流れも。それは、確かな警告だった。
だが、群れは耳を貸さなかった。
その狼は、水を求め、遠い水場まで足を伸ばしていた。戻った時、世界は終わっていた。
血の匂い。踏み荒らされた地面。そして、人間たちの姿。
狼は威嚇し、牙を剥いた。その瞬間、衝撃が走り、身体が宙を舞った。
巨大な魔熊が、そこにいた。
再び牙をむいたが、意味はなかった。力も、速さも、すべてが向こうが上だった。
狼は、ただ一度だけ、隙を見た。
そして、走った。
群れも、縄張りも、血の匂いも。
すべてを、そこに残したまま。




