夜が過ぎて
その夜、リリアーナとラニアは城へ戻らなかった。急げば戻れたのではないか――リリアーナは、そう思ったが、何も言わなかった。
そして、魔獣とラニアは、闇に沈み始めた森の中で足を止めた。
大きな木の下で、魔獣は静かに腰を下ろす。
そして体を丸めると、それ以上動こうとはしなかった。まるで、ここが今夜の場所だと決めたかのように。
リリアーナは周囲を見渡した。闇。草と木と、湿った土の匂いだけが、濃く漂っている。
喉が渇いていた。お腹も、空いている。
「リリアーナ、こっち」
ラニアが手を取った。引かれるまま、一歩踏み出す。
……疲れているし、正直、動きたくはないのだけど。そう思いながらも、リリアーナは抵抗せずについていく。
やがて、ラニアが不意に立ち止まった。
「リリアーナ、上、見える?」
言われるまま、リリアーナは顔を上げる。
そこには闇しかなかった。
「よく目を凝らして」
ラニアの声に促され、リリアーナは目を細める。
……何か、ある。木の葉とは違う、丸みを帯びた輪郭。背伸びをして、手を伸ばした。
……木の実だ。
そっともぎ取り、鼻先に近づける。
……食べられる。
リリアーナはそれをラニアに渡し、もう一つ手を伸ばした。ろくに拭きもせず、かじる。
酸っぱい。甘さは、ほんの少し。
それでも、確かに飢えを満たしてくれる味だった。
二人は、手の届く限りの木の実を取って、分け合って食べた。暗い森の中で、言葉少なに。
魔獣は少し離れた場所で、じっと動かず、にいた。
小腹が満たされると、ラニアとリリアーナは魔獣のもとへ戻った。魔獣は先ほどと同じ姿勢のまま、身じろぎ一つしていない。
……まさか、死んでいるのでは。
不安が胸をよぎり、リリアーナはそっと近づいた。顔のそばまで身を寄せ、耳を澄ます。
かすかだが、確かな呼吸音。
……生きてる。
胸の奥が、ふっと緩んだ。思わず息を吐く。
ラニアとリリアーナは、魔獣の体に埋もれるようにして寄り添い、凭れかかった。
温もりがあった。
獣の体温が、夜の冷え込みから守ってくれる。二人はそのまま、目を閉じる。
見上げれば、夜空には星が溢れていた。
静かな森と、穏やかな呼吸音に包まれながら、長い夜が、ゆっくりと流れていった。
翌朝、魔獣は静かに立ち上がり、リリアーナとラニアを背に乗せて、再び森の中を走り出した。朝靄の残る森を、風を切るように進んでいく。
やがて辿り着いたのは、二人が連れ去られた、あの場所だった。
魔獣は足を止め、背を低くして、リリアーナとラニアをそっと地面に下ろした。リリアーナは、張り詰めていた息を、ようやく吐いた。
……帰れる。そう思い、城の方角へと歩き出す。だが、ふと振り返ると、ラニアはその場に立ち尽くしたまま、動こうとしていなかった。
「ラニア、どうしたの?」
不安を含んだ声で呼びかける。ラニアは視線を伏せ、少し間を置いてから、静かに言った。
「……僕は、行けない」
その言葉は短く、しかし重く、朝の森に落ちた。
「……どうして?」
リリアーナは、戸惑いを隠せずに問いかけた。ラニアは答えず、静かに魔獣の方を見た。しばらくしてから、ぽつりと、独り言のように言う。
「……こんなにも、人間に憎しみを抱いたまま、一人でいたら……いつか、狂う」
そう言って、ラニアは魔獣の毛に手を置いた。その動きは、とても優しかった。
「今は落ち着いてる。けれど、もし狂ったら……人を、殺し続けるよ。きっと」
魔獣は、じっとラニアを見返していた。
まるで、その言葉を理解しているかのように。
「そうなったら、リリアーナも……リリアーナの大切な人たちも、危険になる」
ラニアは最後まで、リリアーナの方を見ようとはしなかった。ただ、魔獣をなだめるように、静かに、優しく撫で続けていた。
「憎しみも、寂しさも……簡単には消えない。けれど、ひとりには、できない」
ラニアは静かに言った。
「だからといって……ラニアが、いる必要があるの?」
リリアーナは、必死に問い返した。
「リリアーナには、待ってる人がいるでしょ?」
ラニアは穏やかな声で続ける。
「僕はね……リリアーナの寂しい顔を、もう見たくないんだ」
「ラニアが、いなくなったら……寂しいよ」
リリアーナは、はっきりとそう言った。
その言葉に、ラニアの表情が歪んだ。
抑え込んでいた何かが、今にも溢れ出しそうに、苦しげに。




