リリアーナの見たもの
リリアーナは、流れていく森を呆然と見ていた。木々が途切れ、視界が一気に開ける。
――平原。
初めて目にする景色だった。
それでも速度は落ちない。風を切る音だけが、耳に残る。やがて地形は緩やかにうねり始め、丘陵地帯に入った――
そう感じた、瞬間。魔獣は、唐突に足を止めた。大きな顎が開き、咥えられていたリリアーナの身体が、地面へと下ろされる。
足が震え、うまく力が入らなかった。
魔獣の背にはラニアが乗っていた。ラニアは軽やかに背中から降り、周囲をぐるりと見渡す。
「……向こう、だね」
そう言って、丘が途切れている方角へ歩き出す。リリアーナは、何も考えられないまま、ただラニアの後を追った。
ラニアが立ち止まった先は、崖だった。
眼下に広がるのは、草原と小さな水場。
そして――その周囲に、無数の狼の死体。すべて、毛皮を剥がされていた。
あまりの光景に、リリアーナは言葉を失った。息を吸うことすら、忘れていた。
ラニアは崖のなだらかな場所を選び、下へと降りていく。リリアーナも、遅れて続いた。
水場まで近づいたラニアは、指先で水面に触れ、そっと舐める。
「……毒」
短く、断定するようにそう呟いた。
リリアーナは、ただ呆然とその光景を見つめていた。
よく見れば、湖の近くには火を焚いた痕跡が残っている。ぬかるんだ地面には、人間のものと思しき足跡と、見慣れない大きな獣の足跡が、かろうじて判別できた。
「ふん……無味無臭の毒を水場に流して、一網打尽、ねえ」
ラニアは、心底つまらなさそうに呟いた。
魔獣は、倒れた仲間の一体一体に鼻先を近づけ、臭いを確かめては、引きずるようにして一か所へ集めていく。
その様子を、リリアーナは言葉もなく見ていた。
「……足りるかな」
ラニアが、ぽつりと呟く。
やがて、魔獣は死んだ仲間すべてを一か所に集め終えた。
ラニアは鞄を開ける。中には、油の入った容器がぎっしりと詰められていた。ラニアは淡々と死体に油を振りかけ、火をつける。
炎が、勢いよく立ち上る。
「リリアーナ」
ラニアは、変わらぬ平坦な声で言った。
「彼らを、悼む歌を、歌って」
魔獣は動かず、ただ炎をじっと見つめていた。
リリアーナは、胸の前でそっと手を組む。
――炎よ。
すべての苦しみと、すべての悲しみを、どうか消し去って。
リリアーナは、歌った。歌詞など、覚えていない。ただ、胸に溢れる想いのまま、声を紡いだ。気づけば、涙が自然と溢れ、視界が滲んでいた。
それでも、歌は止まらなかった。
魔獣は、地を震わすように、遠吠えをし、ラニアは、何も言わず、ただその場に佇んでいた。
しばらくして、ラニアは鞄から玉を取り出した。それを、水場の水にそっと浸けた。
「……何してるの?」
リリアーナは聞いた。
「……毒を、吸いとってる。この水場は、他の生き物も使うから」
ラニアは、淡々と言った。
やがて、ラニアは水から玉を取り出した。玉は、黒く濁っていた。
炎が消えかかる頃、空はすでに薄暗く沈み始めていた。夕暮れとも夜ともつかない色が、丘陵地帯を静かに覆っていく。
リリアーナは歌い続けたせいで、声はすっかり掠れてしまっている。
ラニアは突然しゃがみ込み、何か小さなものを拾い上げると、無言で鞄の中にしまった。
その仕草を見つめながら、リリアーナは意を決して口を開いた。
「……これは、人がしたことなの?」
ラニアは振り返りもせず、当然のことのように答えた。
「そうだよ。貴重な水場に毒を流すなんて、人しかしないでしょ。毛皮を剥ぐのも、ね」
あまりにも冷たい声だった。そこに怒りも悲しみもないことが、かえって胸に刺さる。
「……」
リリアーナは、それ以上、何も言えなかった。
「ほら、乗って」
ラニアはそう言って、ためらいなく魔獣の背に跨る。
「暗くなったから、森で一晩過ごすよ」
まるで、当たり前の日常を告げるかのような口調だった。リリアーナは慌てて魔獣に近づき、その背にしがみつく。
次の瞬間、魔獣は地を蹴った。
音もなく、風を切り、滑るように――
夜へと向かって、走り出した。




