追えないエドモンド
ローデンはエドモンドから視線を外し、森の奥を見た。
気配はおろか、余韻すら残っていない。この足跡を追うのは、熟練の狩人でなければ無理だろう――直感的にそう思った。
エドモンドは唇を強く噛みしめた。そして、深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
「……帰る」
低く、重い声で、それだけを告げた。
「……追わないのか?」
ローデンの問いに、エドモンドは答えず、ただ森を見つめた。そこにあるのは、いつもと変わらぬ森だった。
だがエドモンドの視線は、獲物を抉る刃のように、深く、鋭く注がれている。
しばらくの沈黙の後、
「……ああ」
それだけを、絞り出すように答えた。
ローデンはその背を見つめながら、胸の奥にわだかまる戸惑いを、どうしても拭いきれずにいた。
ローデンの知るエドモンドは、どこか甘く、時折――本当に次期領主として大丈夫なのか?そう思わせるような男だった。
……だが、それはリリアーナがそばにいたからこその姿だったのだろうか。今のエドモンドは違う。全身から刃を突き出しているかのような、研ぎ澄まされた気配。
ローデンは、無意識に喉を鳴らした。
エドモンドとローデンは城へ戻った。
エドモンドは迷わずオルフェウスのもとへ向かい、ローデンも気になってその後ろをついていった。
「リリアーナが、おそらく、あの魔獣に襲われました。森の入り口です」
エドモンドは低い声で告げた。オルフェウスは、はっきりと顔色を変えた。
「この時期に、あの魔獣が来たことはないはずだ」
「大きな狼型の足跡が残っていました。一瞬だけ見ましたが、あの大きさ。ほぼ、間違いありません」
エドモンドの拳は、強く握り締められていた。
「……ラニアも、同時に姿を消しました」
言葉を継いだのは、ローデンだった。
「貴殿も見たのか?」
「はい。大きな影にしか見えませんでした。速すぎて……」
オルフェウスは、短く息を吐いた。
「捜索隊は、出せない」
「……わかっています」
エドモンドは即座に答えた。
「おい、それでいいのか?」
ローデンは声を荒げた。
「森は深い。いたずらに探しても、見つからん」
オルフェウスは静かに続けた。
「あの魔獣は、我々よりはるかに強い。結果を待つしか、できない」
「だからって――」
ローデンがさらに言葉を重ねようとした、その瞬間。エドモンドが一歩前に出て、ローデンの前に腕を差し出した。
制止の動作だった。エドモンドの顔は、悲痛に歪んでいた。だが、それ以上に――何かを必死に耐えているように見えた。
「……出来るなら、俺が真っ先に追っている」
絞り出すような声だった。
ローデンは、唇を噛んだ。
どうしても、納得できなかった。
リリアーナとラニアが姿を消した城は、まるで灯りを失ったかのように静まり返っていた。いや、ただ静かなのではない。沈んでいる――そう表現する方が、正しかった。
人の声は減り、足音もどこか遠慮がちになる。
誰もが、何かを口にすることを避けていた。
部屋の中で、セリウスは深く息を吐いた。
「……とても、空気が重いのだが」
低く漏れた言葉に、ローデンは短く頷いた。
「……ですね」
「ラニアとリリアーナは、無事だと思うか?」
セリウスの問いに、ローデンはわずかに間を置いて答えた。
「……殺すつもりなら、その場で殺せたはず。何か、別の意図があると思う」
「やっぱり、そうか」
そう口にしながらも、ローデンの意識はすでに別のところへ向いていた。
……人外が、魔獣に連れ去られた――一体、何を企んでいるのか。最恐と最凶、その組み合わせ。ラニアを追ったリリアーナは巻き込まれただけなのだろう。それは、偶然なのか。必然なのか。
深く考え込むローデンの横顔は、あまりにも真剣だった。その様子を見て、セリウスは心の底から思う。
……ローデンは、ラニアを本気で心配している?――いや、もしかして、本気の恋に落ちたのか?
そして二人は、沈黙の中で祈った。
リリアーナとラニアが、無事に戻ってくることを。
城全体が、その願いを抱え込むように、静かに息を潜めていた。




