ラニア、森に向かう
ラニアの足は、意外なほど速かった。
いや、意外ではないのかもしれない。背も伸び、体つきも変わっていた。成長したのだ。
「待って、ラニア!」
リリアーナは息を切らしながら、森の入り口近くでようやくその腕をつかんだ。
「リリアーナ? どうしたの?」
振り返ったラニアは、不思議そうな顔をしている。
「心配だから、止めにきたのよ」
肩で息をしながら、リリアーナはそう告げた。胸が苦しく、鼓動がまだ速い。
ラニアは何も言わず、森の奥へと視線を向けた。
木々の間に広がる影を、じっと見つめる。
「……ちょっと、遅かったかな?」
ぽつりと、独り言のように言う。
「何が?」
リリアーナは、その言葉の意味がわからず問い返した。ラニアの横顔は、いつもより静かで、冗談めいた気配がなかった。
風を感じた――そう思った瞬間、リリアーナの足裏から地面の感触が消えた。
「……え?」
何が起きたのか、すぐには理解できない。
身体が、ふわりと浮く。視界が横に流れていく。
――浮いてる?景色が、動いてる?
慌てて手足を動かそうとした、その時だった。
「リリアーナ、動かないで。食べられるよ」
上から、ラニアの声が降ってきた。
……はい?
混乱したまま、リリアーナはそっと視線を下に向けた。自分の腹のあたりに、見えたもの。牙。とても大きな。そして、その奥に続く口。さらに、その向こうにある――巨大な狼の顔。
……私、あの魔獣に食べられてる?
一瞬、そう思ってから、気づく。
……違う。運ばれてる?
目の前の景色が流れているのは、魔獣が走っているからだ。自分が、その口に咥えられたまま、移動しているのだと。
理解した瞬間、全身から血の気が引いていくのがわかった。指先まで冷え切り、声も出ない。恐怖で、身体が固まったまま、リリアーナはただ、運ばれていた。
ローデンは、ようやくエドモンドを見つけた。そして、リリアーナが森へ向かうラニアを止めに行ったことを伝えた。
「追いかける」
エドモンドはそれだけ言うと、すぐさま走り出した。迷いは一切ない。
ローデンは、その背中を見て、なぜか胸騒ぎを覚えた。気づけば、彼も後を追って走り出していた。
「……なんで、ついてくるんだ?」
走りながら、エドモンドが低い声で聞く。ローデンは少し言葉を探してから答えた。
「……いや、何かあったら、手助けできるかな……って」
「責任は取れないからな」
エドモンドは振り返らず、走り続けたまま言った。
「大丈夫ですって」
ローデンはそう返し、足を緩めなかった。
……そこまで、弱くない。自分は。
そう、心の中で呟きながら、ローデンは必死にエドモンドの背を追った。
「あそこだ」
エドモンドが低く言った。視線の先に、ラニアとリリアーナの紫色の髪が見えた。
「リリアーナ――」
声を上げようとした、その瞬間だった。二人の姿が、ふっと消えた。思わず、二人は足を止める。
「……見えたか?」
エドモンドが、信じられないというように言った。
「……大きな、影?」
ローデンは呟く。
「いや、あれは……」
エドモンドは、そこで言葉を切った。二人は、リリアーナたちが立っていた場所まで駆け寄った。周囲には、草が踏み荒らされた痕跡だけが残っている。
「どうした?」
突然しゃがみ込んだエドモンドに、ローデンは声をかけた。
「……魔獣だ」
エドモンドは、低く言った。その視線の先――地面には、はっきりと残る、巨大な狼の足跡があった。
「どうする? 追うのか?」
ローデンが、抑えた声でエドモンドに問うた。しかしエドモンドは答えず、地面に残る足跡から視線を外せずにいた。
深く刻まれた、巨大な狼の足跡。明らかに、あの魔獣だ。
……魔獣は、これまで一度も、こんな場所まで踏み込んだことはない。狙われたのは、ラニアか?それとも――リリアーナなのか?
なぜ、今になって。なぜ、あの二人を。
嫌な想像が、エドモンドの脳裏をよぎる。
――この場で襲わず、別の場所で……食べるつもりなのか。
ローデンは、エドモンドの顔色が青くなるのを見た。




