ローデンは、何かに遭遇した
戻ってくる気配がない。さすがに、遅すぎる。ローデンは腰を上げ、森の中へ足を踏み入れた。
「セリウス、どこにいるんだ? 転んだのか?」
声を張り上げる。この辺りまで来る途中、獣にも魔獣にも遭遇しなかった。だからこそ――この一帯は、安全なのだと、勝手に思い込んでいた。
「来るな」
鋭く、切り捨てるような声が返ってきた。
――セリウスだ。そんな命令、聞けるわけがない。
ローデンは迷わず、声のした方向へ走った。
すぐに、セリウスの姿が見える。ローデンは彼の近くに駆け寄った。同時に、ローデンの鼻を刺すものがあった。
血の臭い。それに混じる、獣の生臭さ。
そして――肌を粟立たせるほどの、圧倒的な気配。
……魔獣。間違いない。しかも、相当な格だ。ローデンは息を詰め、周囲を見渡す。
相手は、動かない。
……なぜだ?牽制しているのか?それとも、遊ばれているのか?答えは、分からない。
だが、考えている余裕もなかった。
ローデンは剣を抜き、静かに構えた。
どれほどの時間が過ぎたのか。セリウスにも、ローデンにも、分からなかった。
森は静まり返り、風の音さえ遠い。ただ、魔獣の気配だけが、重く場を支配している。
その沈黙を破ったのは、遠くから響く声だった。
「おーい。どこだー!」
エドモンドの声だ。二人があまりにも戻らないことに、痺れを切らしたのだろう。
「来るな!何か、いる!」
ローデンは喉が裂けるほどの声で叫んだ。
だが――
「駄目だ。すぐ行く!」
迷いのない返答。次の瞬間、枝を踏みしめる音が、一直線に近づいてくる。
エドモンドは、声のする方へ向かって走り出していた。少し遅れて、リリアーナとラニアも走っていた。
ローデンは歯を食いしばり、剣を強く握り直した。――最悪だ。このままでは、皆を巻き込むことになる。
エドモンドは、まず二人の姿を見つけた。
そして、次の瞬間――獣と血の混じった、濃い臭いを感じ取る。
反射的に、腰の剣を抜いた。視線を素早く巡らせ、セリウスとローデンの身体を確認する。
――怪我はない。それを確かめて、ようやく息を吐いた。
「相手は?」
短く、鋭い声。
「わからない」
ローデンも、同じく短く答えた。
「向こうが……動かない」
焦りを含んだ声だった。
だが、魔獣の圧は消えていない。むしろ、じわじわと、空気そのものを押し潰すように広がっている。
――圧倒的。
その時、遅れて足音が近づいた。リリアーナと、ラニアだ。
「リリアーナ、僕の後ろに」
ラニアは静かに、しかし有無を言わせぬ声で言った。いつもと違う雰囲気に、リリアーナは何も言わずに頷き、ラニアの背後へ回る。
しばらくの間、全員が森の闇を見据えていた。
そして――
「……怪我を、してる」
ラニアが、ぽつりと呟いた。
エドモンドは、即座にラニアを見る。
「帰ろう」
ラニアは続けた。
「あっちは、動けないみたい」
「……どういうことだ」
ローデンが、苛立ちを抑えきれずに問いかける。
「向こうが動けるなら、君たちはとうに息をしてなかった、てこと」
ラニアは淡々と答えた。その言葉に、背筋が冷える。
「……何がいるのか、分かるのか?」
エドモンドは低く尋ねた。
「分からないの?」
ラニアは、どこか、からかうように言った。 「毎年、会ってるよね?」
エドモンドは目を閉じ、意識を研ぎ澄ます。
森に満ちる気配――その質と重さ。
「……まさか、狼の……?」
呟くような声。
「そうだよ」
ラニアは、当然のことのように頷いた。
「一番、大きいの」
その言葉が、静かに森へ落ちた。
「まさか……」
エドモンドは、もう一度目を閉じた。
……気配は、あの狼型の巨大な魔獣、そのものだった。




