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帰れない勇者パーティーがうちに住みつきました  作者: leemero


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39/51

目覚めた男

翌朝。

グリーンハイツドラゴンの共有スペースには、いつもより少し重たい空気が漂っていた。

瀬玲奈が朝食を用意してくれている。

味噌汁の匂いもするし、焼き魚も並んでいる。

部長はいつも通り窓際で丸くなっていた。

景色だけを見れば、普段と変わらない朝だった。

だが全員の意識は、二階の204号室へ向いている。

昨日、郊外の倉庫から連れて帰ってきた男。

黒い紋様を右手に持つ、佐々木健二という会社員。

まだ目を覚ましていない。

「本当に大丈夫なんですかね」

葵が不安そうに天井を見上げる。

204号室は共有スペースの真上ではないが、どうしても意識してしまうらしい。

無理もなかった。

普通のアパートに意識不明の男性を寝かせている。

冷静に考えればかなりまずい状況だった。

「呼吸は安定しています」

瀬玲奈が小さく言う。

昨夜から何度か様子を見てくれていた。

神官としての知識が現代でどこまで通じるのかは分からないが、少なくとも彼女の判断では命に関わる状態ではないらしい。

有斗は箸を置き、二階へ続く階段の方を見た。

「問題は、目を覚ました後だな」

あの男が何を覚えているのか。

黒い紋様のことを知っているのか。

倉庫で起きたことを説明できるのか。

聞きたいことは多い。

だが、それ以上に気になっていることがあった。

もし本人に自覚がないのだとしたら。

それはそれで、かなり厄介だった。

「魔王は?」

しおりがスマホから顔を上げずに聞く。

有斗は一瞬だけ反応が遅れた。

いまだに、ゼルグラードを魔王と呼ぶことに慣れない。

「朝から仕事らしい」

「魔王なのに?」

「社長だからな」

「忙しい魔王」

しおりは納得したように頷いた。

何に納得したのかは分からない。

葵は苦笑しながらコーヒーを飲む。

「魔王が出勤して、勇者がホームセンターに行く世界かぁ」

「おかしいか」

有斗が聞くと、葵は少し考えた。

「おかしいけど、最近は普通に思えてきた」

それはそれで問題かもしれない。

そんな会話をしていた時だった。

二階から小さな物音がした。

何かが倒れたような音だった。

共有スペースの空気が一瞬で変わる。

有斗はすぐに立ち上がった。

莉愛奈も同時に動く。

瀬玲奈は不安そうに階段を見上げ、葵は手にしていたマグカップをテーブルへ置いた。

「起きたかもしれない」

有斗はそう言って、階段へ向かった。

204号室の前に立つと、中から荒い息遣いが聞こえた。

有斗は莉愛奈と視線を交わす。

扉の向こうにいるのは、まだ敵か味方かも分からない男だ。

ただの被害者かもしれない。

だが、倉庫であの黒い影を呼び寄せた中心にいた人物でもある。

油断はできなかった。

「開けるぞ」

有斗はゆっくり扉を開いた。

室内の布団の上で、佐々木健二は上半身を起こしていた。

顔色は悪い。

汗もかいている。

起き上がろうとして布団の横に置いていた水のペットボトルを倒したらしい。

部屋の中には、まだ少し混乱したような空気が残っていた。

男は有斗たちを見るなり、目を見開く。

「ここは……どこですか」

かすれた声だった。

普通の人間の声に聞こえた。

少なくとも、倉庫で見た人形のような様子ではない。

瀬玲奈がすぐに前へ出ようとしたが、有斗は手で制した。

「落ち着いてくれ。ここはグリーンハイツドラゴンというアパートだ」

「アパート……?」

男は状況を理解できていないようだった。

視線が部屋の中を泳ぐ。

古い畳。

安っぽいカーテン。

隅に置かれた最低限の家具。

そして見知らぬ若者たち。

混乱するのも当然だった。

「あなたは倉庫で倒れていました」

瀬玲奈が穏やかに言う。

男はその言葉に反応した。

眉間にしわが寄る。

何かを思い出そうとしているようだった。

「倉庫……」

小さく呟いた後、男の顔色がさらに悪くなった。

「そうだ。私は、あそこに……」

そこで言葉が止まる。

呼吸が乱れ始めた。

有斗は一歩近付く。

「無理に思い出さなくていい」

「いや……」

男は自分の右手を見る。

黒い紋様がそこにあった。

昨日より少し薄くなっているようにも見えるが、まだはっきりと残っている。

男はそれを見た瞬間、喉の奥から短い悲鳴のような声を漏らした。

「なんだ、これは……」

その反応は演技には見えなかった。

本当に何も知らない。

少なくとも有斗にはそう見えた。

莉愛奈も少しだけ警戒を緩める。

「覚えていないのですか」

男は震える手を押さえながら、ゆっくり首を横に振った。

「分からない。気付いたら、あの倉庫に通っていたんです」

「通っていた?」

有斗が聞き返す。

佐々木は唇を噛む。

記憶を辿るのが苦しいのか、額に汗が滲んでいた。

「会社の帰りに、知らない駅で降りていました。最初はただ疲れているのかと思ったんです。でも、何度も同じ場所へ向かっていて……自分でも止められなくて」

葵が息を呑む。

それは自分の意思で動いていたというより、何かに引っ張られていたように聞こえた。

「誰かに会ったか」

有斗が聞く。

佐々木は少し考えた後、小さく頷いた。

「声が、しました」

「声?」

「人の声だったと思います。でも顔は覚えていない。男だったのか、女だったのかも分からない。ただ……」

佐々木は黒い紋様のある手を見つめる。

「その声が言うんです。もう一度、繋げろ、と」

部屋の空気が冷えた気がした。

繋げろ。

その言葉が何を意味するのか、有斗にはすぐには分からなかった。

だが嫌な響きだった。

境界崩落。

魔法陣。

黒い影。

そして、繋げろという声。

全てが同じ方向を向いているように思えた。

「繋げるって、何を?」

葵が聞く。

佐々木は首を横に振る。

「分かりません。でも、その言葉だけは覚えています」

その時、廊下から足音が聞こえた。

階段を上がってくる足音。

すぐに扉の前で止まり、ノックもなしにゼルグラードが姿を見せた。

相変わらずスーツ姿だった。

仕事へ行くと言っていたはずなのに、もう戻ってきたらしい。

「目を覚ましたか」

「早いな」

有斗が言うと、ゼルグラードは佐々木の右手を見ながら答えた。

「嫌な予感がした」

魔王の嫌な予感は、最近だいたい当たる。

有斗はそう思った。

ゼルグラードは部屋へ入り、佐々木の前に立つ。

佐々木は怯えたように身を引いた。

それも当然だろう。

目の前にいる男が魔王だとは知らなくても、ただ者ではない雰囲気は伝わる。

「聞こえた声は、何と言った」

ゼルグラードが低く聞く。

佐々木は少し怯えながらも答えた。

「もう一度、繋げろ、と」

その瞬間、ゼルグラードの表情が変わった。

ほんの僅かだったが、有斗は見逃さなかった。

「知っているのか」

有斗が聞く。

ゼルグラードはすぐには答えない。

少しの間、佐々木の右手に刻まれた紋様を見つめていた。

「確信はない」

そう前置きしてから、静かに続ける。

「だが、その言葉はノクスフィアの古い記録に出てくる」

「古い記録?」

「世界が二つに分かれる前の記録だ」

有斗は眉をひそめる。

そんな話は聞いたことがない。

莉愛奈も同じ顔をしていた。

瀬玲奈は小さく息を呑み、葵は完全についていけていない顔だった。

ゼルグラードは険しい表情のまま言う。

「もし俺の予想が正しければ、あの倉庫の魔法陣は転移のためのものじゃない」

「じゃあ何だ」

有斗の声が低くなる。

ゼルグラードは窓の外へ目を向けた。

夏の空は青い。

何も知らない街が、今日も普通に動いている。

「境界を広げるためのものだ」

その言葉の意味を理解するまで、少し時間がかかった。

だが理解した瞬間、有斗の背筋に冷たいものが走る。

境界崩落は終わっていない。

昨日ゼルグラードが言った言葉が、さらに重くのしかかる。

佐々木は震えたまま自分の右手を見ていた。

自分が何に巻き込まれているのか、まだ分かっていないのだろう。

有斗も同じだった。

分からないことが多すぎる。

だが一つだけはっきりしている。

あの黒い紋様は、ただの痕跡ではない。

何かを始めるための印だった。

そして、それを刻んだ誰かがいる。

グリーンハイツドラゴンの古い一室で、有斗は静かに拳を握った。

勇者としてではない。

今この場所を守る者として。

この平和なアパートにまで、境界崩落の影が入り込んできたことを、ようやく実感していた。

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