倉庫の奥にいたもの
倉庫の中は静まり返っていた。
誰も動かない。
暗闇の奥から聞こえた金属音だけが耳に残っている。
有斗は自然と身構えた。
隣では莉愛奈も同じように警戒している。
瀬玲奈は少し不安そうに周囲を見回し、葵は緊張した表情で息を飲んでいた。
そしてゼルグラードだけが険しい顔のまま暗闇を見つめている。
「いるな」
小さな声だった。
だが全員に聞こえた。
有斗はゆっくり前へ出る。
勇者だった頃の感覚が戻っていた。
現代へ来てから久しく感じていなかった緊張感だ。
「誰だ」
声を投げる。
返事はない。
だが。
再び音がした。
今度は足音だった。
ゆっくり。
こちらへ近付いてくる。
暗闇の奥から一人の男が姿を現した。
四十代くらいだろうか。
スーツ姿だった。
だがどこか様子がおかしい。
顔色が悪い。
目に生気がない。
そして何より。
右手には黒い紋様が浮かび上がっていた。
ニュースで見た男と同じだった。
「佐々木か」
ゼルグラードが呟く。
男は反応しない。
ただ立っている。
まるで人形だった。
有斗は嫌な予感を覚えた。
目の前にいるのは人間だ。
だが普通の人間には見えない。
「聞こえているか」
有斗が声を掛ける。
男の視線がゆっくり動いた。
そして。
不自然なほどぎこちなく首を傾ける。
その動きに瀬玲奈が小さく息を呑んだ。
「変です」
「分かっている」
莉愛奈も剣があれば今すぐ抜いていただろう。
そんな空気だった。
男は数歩前へ出る。
その瞬間。
右手の紋様が淡く光った。
倉庫の空気が変わる。
有斗は全身に鳥肌が立つのを感じた。
忘れるはずがない。
これは魔力だ。
ノクスフィアで何度も感じてきた力。
現代には存在しないはずのもの。
「下がれ!」
ゼルグラードが叫ぶ。
ほぼ同時だった。
男の足元の魔法陣が赤黒く輝き始める。
床に描かれていた線が次々と光を帯び、倉庫全体へ広がっていく。
まるで何かが起動したようだった。
有斗は反射的に葵の前へ出る。
莉愛奈も瀬玲奈を庇うように立った。
次の瞬間。
男が苦しそうに顔を歪めた。
「た……す……」
掠れた声だった。
初めて人間らしい反応を見せる。
だがそれも一瞬だった。
黒い紋様が腕から首へ広がり始める。
男は頭を抱えて叫んだ。
悲鳴だった。
聞いているだけで胸が苦しくなるような声だった。
「まずい!」
ゼルグラードが駆け出す。
有斗も反射的に動いた。
だが間に合わない。
男の身体から黒い霧のようなものが噴き出した。
倉庫の空気が震える。
魔法陣がさらに強く光る。
そして。
男の背後に何かが現れ始めた。
巨大な影だった。
人の形にも見える。
獣にも見える。
輪郭が定まらない。
ただ一つだけ分かることがある。
それはこの世界のものではない。
瀬玲奈の顔から血の気が引いた。
莉愛奈も言葉を失っている。
有斗は影を見上げたまま固まった。
そんな中、ゼルグラードだけが苦々しく呟く。
「最悪だ」
その声には焦りが混じっていた。
「境界の向こう側のものまで流れ込んでいる」
有斗は目を見開く。
魔王がここまで警戒する相手。
それが今、目の前に現れようとしていた。
倉庫の床が大きく震える。
黒い影はゆっくりと姿を形作り始めていた。
まるで異世界そのものが、この世界へ侵食してくるかのように。




