黒い紋様
翌朝。
有斗はいつもより早く目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む朝日を見ながら、昨夜のことを思い出す。
魔王。
ゼルグラード。
そして境界崩落。
久しぶりにノクスフィアのことを長く考えた気がした。
結局、あまり眠れなかった。
共有スペースへ向かうと、既に莉愛奈がいた。
珍しく筋トレはしていない。
テーブルに座ったまま考え事をしている。
「寝不足か」
有斗が声を掛ける。
莉愛奈は小さく頷いた。
「勇者様こそ」
図星だった。
二人とも理由は同じだろう。
昨日聞かされた話が頭から離れない。
魔王が生きていたこともそうだが、それ以上に気になることがあった。
「他にも来ている」
有斗が呟く。
莉愛奈の表情が少し険しくなる。
「信じますか」
「分からん」
正直な答えだった。
だがゼルグラードの顔を思い出す。
あれは冗談を言う人間の顔ではなかった。
朝食の後、有斗は仕事へ向かった。
ホームセンターの店内は平和そのものだった。
園芸コーナーには朝から常連客が集まり、工具売り場では職人らしき客が商品を見比べている。
異世界とは無縁の光景。
だからこそ、余計に違和感を覚えた。
ゼルグラードの言う通りなら、この街のどこかにノクスフィアの関係者がいるかもしれない。
そんなことを考えていると。
「有斗くん」
店長に呼ばれた。
「はい」
「この荷物、倉庫お願い」
「了解した」
考え事をしている暇はないらしい。
昼休憩。
有斗は従業員用の休憩室で弁当を食べていた。
向かいには同僚のおじさんが座っている。
テレビでは昼のニュースが流れていた。
何気なく画面を見ていた有斗の手が止まる。
一瞬だった。
本当に一瞬。
ニュース映像の後ろを歩く男性。
スーツ姿。
どこにでもいそうな会社員。
だが、その右手が見えた。
袖口から覗いた黒い紋様。
見間違えるはずがない。
ノクスフィアで何度も見た印だった。
「どうした?」
同僚が不思議そうに聞く。
有斗は慌てて首を振った。
「いや」
気のせいかもしれない。
そう思おうとした。
だが胸騒ぎが消えない。
その日の夜。
グリーンハイツドラゴン。
共有スペースでは夕食が終わり、いつものように全員がくつろいでいた。
しおりはスマホ。
瀬玲奈は食器洗い。
莉愛奈はストレッチ。
部長はソファを占領している。
そんな中、有斗はゼルグラードから渡された名刺を見つめていた。
何度見ても違和感しかない。
魔王の名刺。
誰が想像できるだろう。
「電話しないの?」
葵が聞いた。
「何をだ」
「聞きたいこといっぱいあるでしょ」
確かにそうだった。
だが有斗は迷っていた。
魔王に電話する勇者という状況が意味不明すぎる。
その時だった。
スマホが震える。
全員の視線が集まった。
有斗は画面を見る。
知らない番号だった。
いや。
知らない番号ではない。
名刺に書かれていた番号と同じだった。
「……」
「まさか」
葵が呟く。
有斗は数秒悩み、通話ボタンを押した。
耳にスマホを当てる。
すぐに聞き慣れた声が響いた。
『俺だ』
「知っている」
『そうか』
短い沈黙が流れる。
そしてゼルグラードは続けた。
『確認したいことがある』
その声は昨日よりも真剣だった。
有斗の表情が変わる。
共有スペースの空気も自然と張り詰めていく。
『お前、今日何か見なかったか』
有斗は無意識にニュース映像を思い出した。
黒い紋様。
一瞬だけ映った男。
胸騒ぎが大きくなる。
「なぜ分かる」
有斗が低く聞く。
電話の向こうでゼルグラードは小さく息を吐いた。
そして静かに言った。
『やはり見たか』
その一言で確信する。
気のせいではなかった。
境界崩落が残した爪痕は、勇者や魔王だけでは終わらない。
もっと厄介な何かが、この世界で動き始めていた。




