勇者、初めての給料日を知る
七月も半ばに差し掛かっていた。
梅雨はいつの間にか明け、朝から蝉が全力で鳴いている。
グリーンハイツドラゴンの共有スペースでは、エアコンが今日も働いていた。
もし壊れたら住人全員が倒れる。
最近では誰もがそう思っている。
その日の夕方。
仕事を終えた莉愛奈が珍しく少し早く帰ってきた。
スポーツジムの制服姿のまま共有スペースへ入ってくる。
表情はいつも通り。
だが、どことなく落ち着かない。
「おかえり」
葵が声を掛ける。
「ただいま戻りました」
そう答えながら席に着く。
そして。
財布を取り出した。
「?」
葵が首を傾げる。
莉愛奈は財布の中を見つめていた。
何かを確認している。
有斗も気付いたらしい。
「どうした」
「今日」
莉愛奈は少し間を置いた。
「給料日でした」
共有スペースが静かになる。
給料。
現代人には当たり前の言葉だ。
だが異世界組にとっては少し違う。
有斗は興味を持ったように顔を上げた。
瀬玲奈も手を止める。
しおりだけはスマホを見ていたが、耳はしっかりこちらを向いていた。
「もう貰ったの?」
葵が聞く。
莉愛奈は頷く。
そして財布から封筒を取り出した。
白い封筒。
そこには給料明細が入っている。
莉愛奈はまだ開けていないらしい。
「見てないの?」
「怖くて」
意外な言葉だった。
騎士団長にも突っ込んでいきそうな人が、給料明細を開けられない。
葵は思わず笑った。
「なんで?」
「少なかったら悲しいので」
非常に現実的だった。
「開けよう」
「今ですか」
「今」
観念したように莉愛奈は封筒を開く。
紙を取り出す。
数字を見る。
そして。
固まった。
「どうした!?」
瀬玲奈が心配そうに聞く。
莉愛奈は明細を見つめたまま答えない。
有斗まで少し不安そうになる。
数秒後。
莉愛奈が顔を上げた。
「多い」
「良かったじゃん」
「多いです」
本当に驚いているらしい。
スポーツジムで働き始めてから初めての給料。
もちろん大金ではない。
だが莉愛奈にとっては違った。
自分で稼いだお金。
それが嬉しかったのだろう。
「何に使うの?」
葵が聞く。
莉愛奈は少し考える。
しばらく真剣に悩んでいた。
やがて答えが出る。
「皆に何か買います」
即答だった。
葵は苦笑する。
有斗も予想していたらしい。
瀬玲奈は少し嬉しそうだった。
「自分のために使いなよ」
「ですが」
「服とか」
「まだあります」
「趣味とか」
「筋トレ器具」
葵は頭を抱えた。
この人は本当にブレない。
「もっと女の子らしいの」
「ダンベル」
「離れろ筋トレから」
有斗が吹き出す。
珍しく声を出して笑っていた。
共有スペースの空気が少し和む。
莉愛奈もようやく笑った。
本当に小さな笑顔だった。
その時。
窓際で寝ていた部長が目を開ける。
「にゃあ」
給料の気配を察知したらしい。
「ダメ」
葵が即答する。
「にゃあ」
「ダメ」
部長は納得していなかった。
夕食後。
有斗は麦茶を飲みながら窓の外を眺めていた。
夏の夜風が少しだけ涼しい。
住宅街の明かりが静かに灯っている。
「給料か」
ぽつりと呟く。
「気になる?」
葵が聞く。
有斗は頷いた。
「働けば貰えるのだろう」
「そうだね」
「不思議だ」
ノクスフィアでは魔王を倒しても給料などなかった。
感謝はされた。
報酬もあった。
だが毎月決まった日に金を受け取るという感覚はない。
「現代は面白いな」
有斗はそう言って笑った。
その様子を見ながら葵も少し笑う。
きっと遠くない未来。
有斗も初めての給料日を迎える。
その時どんな顔をするのか。
少しだけ楽しみだった。
窓の外では蝉が鳴いている。
グリーンハイツドラゴンの夜は今日も平和だった。
そして莉愛奈は、その夜だけ給料明細を三回読み返した。
誰にも見られないように。
少しだけ誇らしそうな顔で。




