高級マンションの男
七月の夕方だった。
グリーンハイツドラゴンの共有スペースには、いつものように住人たちが集まっている。
テレビではバラエティ番組。
テーブルの上には瀬玲奈が淹れた麦茶。
窓際では部長が丸くなっていた。
平和だった。
少なくとも有斗たちはそう思っている。
「勇者様」
瀬玲奈がマグカップを両手で持ちながら顔を上げた。
「なんだ」
「こちらの世界では、みんな毎日働いているのですね」
「そうだな」
有斗も頷く。
ホームセンターで働き始めてから数週間。
少しずつ現代の生活にも慣れてきていた。
朝起きる。
仕事へ行く。
帰宅する。
夕食を食べる。
眠る。
異世界とは違う。
だが、不思議と嫌ではなかった。
「ノクスフィアでは毎日魔物討伐でしたから」
瀬玲奈が苦笑する。
「平和ですね」
その言葉に有斗も小さく笑った。
確かに平和だった。
少なくとも今は。
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その頃。
駅前の高級マンション最上階。
大きな窓の向こうには夜景が広がっている。
地上から見れば宝石箱のような景色だろう。
だが、その男は景色を見ていなかった。
テーブルの上には数枚の写真。
有斗。
莉愛奈。
瀬玲奈。
しおり。
そして葵。
グリーンハイツドラゴンの住人たちだった。
男は一枚の写真を手に取る。
有斗の写真だ。
ホームセンターの作業服姿。
荷物を運んでいる。
その姿を見つめながら、男は静かに息を吐いた。
「本当に本人か」
誰に向けた言葉でもない。
ただの独り言だった。
だが、その声には驚きが混じっている。
信じられないのだ。
勇者が。
あの有斗が。
現代日本でアルバイトをしている。
その事実が。
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机の上には別の写真もあった。
スポーツジムへ向かう莉愛奈。
スーパーで買い物をする瀬玲奈。
スマホを見ながら歩くしおり。
どれもごく普通の日常写真だった。
だが男にとっては違う。
かつて命を懸けて戦った仲間たち。
その姿がそこにあった。
「変わらないな」
男は小さく笑う。
そして。
少しだけ寂しそうな顔をした。
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コンコン。
部屋の扉がノックされた。
「入れ」
男が言う。
スーツ姿の女性が入ってくる。
「報告です」
「聞こう」
女性はタブレットを操作した。
「対象に異常なし」
「そうか」
「監視は継続しますか?」
男は少し考えた。
窓の外を見る。
遠くにグリーンハイツドラゴンが見えるわけではない。
それでも視線はその方向を向いていた。
「継続だ」
静かな声だった。
「ただし接触はするな」
女性が頷く。
「了解しました」
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再び静寂が訪れる。
男はコーヒーを口に運んだ。
苦い。
昔は嫌いだった味だ。
いつから飲めるようになったのか。
もう覚えていない。
「まだ気付いていないか」
男は呟く。
有斗も。
莉愛奈も。
誰もまだ気付いていない。
自分がこの世界にいることを。
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その頃。
グリーンハイツドラゴン。
共有スペースでは猫動画鑑賞会が始まっていた。
「次」
有斗が言う。
「次です」
瀬玲奈も言う。
「次」
莉愛奈まで言う。
しおりが満足そうに動画を再生する。
猫が箱に飛び込んで失敗する。
瀬玲奈が笑う。
有斗も笑う。
部長だけは不満そうだった。
「にゃあ」
猫として何か言いたいことがあるらしい。
だが誰にも分からない。
平和だった。
あまりにも平和だった。
だからこそ。
誰も気付いていない。
この日常のすぐ近くまで、過去が歩いてきていることを。




