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仲介屋は煙草を巻く  作者: colove
ep12「封書」

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第43話「仲介屋」

 花月十八日。朝。


 窓を開けた。花月の風が入ってきた。ぬるい。空は晴れている。雲が薄く流れている。——きれいな朝だ。


 身体が痛い。右腕。左の太腿。背中。腰。二日前に丘陵で走り回った代償が、まだ全身に残っている。


 湯を沸かした。茶葉を出した。安い茶葉。ひと呼吸待ってから注いだ。蒸らし。——手が、まだ少し震えている。昨夜の覚書のせいか。身体の疲労のせいか。わからない。


 茶を一口飲んだ。安い茶だが、自分で丁寧に淹れると飲める。——五日ぶりに、自分の茶を飲んでいる。


 階下に下りた。事務所の机。帳簿。木札。——五日前に置いていったまま。埃が薄く積もっている。


 外套を椅子の背にかけた。


 ——外套の内側に、道具がある。短い刃。真鍮の筒。銅の円盤。薄い革で包まれた細長い品。


 五日前は、帰ったら二階の床板の下に戻すつもりだった。丘陵の仕事が終わったら、元の場所にしまうつもりだった。


 しまわなかった。


 外套の内側に入れたまま、椅子の背にかけた。取り出さない。——取り出して戻す場所が、もうない気がする。


---


 蝶番が鳴った。


「先生、おはようっす」


 レーネが入ってきた。額に薄く汗をかいている。朝の荷運びの帰りだ。片手に油紙の包み。


「屋台のおっちゃんに、またもらったっす。焼きパン。ちょっと焦げてるっすけど」


 机の上に包みを開いた。焼きパンが二つ。端が黒く焦げている。だが焼けた小麦の匂いが事務所の中に広がった。


 千切った。口に入れた。焦げた部分が苦い。だが中は柔らかい。——干し肉と硬いパンの二日間の後だ。何でもうまい。


「先生、包帯替えましょうか」


「ああ。頼む」


 レーネが棚から布と軟膏を出した。慣れた手つきで包帯を巻き直してくれた。手際がいい。もう手は震えていない。


「……痛いっすか」


「痛くない」


「また嘘っすね」


 嘘だ。痛い。——だが動ける程度には痛い。


 窓から風が入った。茶の湯気が揺れた。レーネが向かいに座って、焼きパンを齧っている。焦げた端を先に食べて、「にがっ」と顔をしかめた。


 ——こういう朝が、戻ってきた。


 五日前の朝、この子は蜂蜜パンを持ってきた。形が崩れた売れ残り。今日は焦げた焼きパン。形も味も違うが——この子が朝に何かを持ってくることは変わらない。


---


 昼前。灰色猫亭。


 カウンターに座った。いつもの席。壁を背にして、入口が見える位置。


 マルタが奥から出てきた。腕まくり。布巾を肩にかけている。


 こちらを見た。一秒。二秒。——マルタの目が、右腕の包帯と、顔色と、歩き方を読み取っている。元冒険者の目だ。


「……戻ってきたね」


「ああ」


「煮込み」


「頼む」


 マルタが奥に入った。しばらくして、皿が出てきた。


 今日の煮込みは鶏と根菜だ。花月の若鶏は肉が柔らかい。汁に根菜の甘みが溶けている。黒パンが添えてある。


 全部食べた。


 一口目で、身体の奥が緩んだ。干し肉と硬いパンの二日間が嘘みたいに遠くなった。マルタの煮込みは腹を満たすだけじゃない。安心する味がする。


 麦酒を頼みかけて、やめた。——今は、頭を鈍らせたくない。


「もう一杯、茶を」


「……あんたが酒じゃなくて茶を頼むなんてね」


「たまにはいい」


 マルタが茶を出してくれた。灰色猫亭の茶は普通の味だ。ヘルマンの上等な茶には及ばないし、レーネが丁寧に蒸らした安茶にも負ける。——だがこの店の茶は、ここでしか飲めない。


「マルタ」


「何」


「レーネのこと。——ありがとう」


 マルタの手が、カウンターを拭く布巾の上で止まった。


「……何かあったのかい」


「少しだけ。——マルタがいてくれたから、済んだ」


 マルタが腕を組んだ。首を傾げた。——怒る時の仕草だ。だが今は怒っていない。


「あんたの面倒な事情は聞かないよ。でもね——あの子には、帰れる場所がないと駄目だ。わかってるね」


「わかっている」


「……あんたもね」


---


 事務所に戻った。午後。


 机の前に座った。引き出しに手を置いた。


 中に仕様書がある。軍の調達規格で書かれた、あの仕様書。半年前にこの引き出しにしまった。


 あの時は——仲介屋の仕事として追っていた。誰かが何かを探している。その全体像を掴もうとしていた。


 今は、違う目で見ている。


 あの仕様書の書式は、俺がいた部隊の調達規格だ。そして昨日の覚書。部隊が壊滅した作戦に使われた情報は、出所が確認されないまま使われた。調査は止められた。


 半年前から追ってきた糸と、十年前の事件が——同じ場所に向かっている。


 あいつらは、何のために死んだ。


 まだ答えは見えない。糸の先が何に繋がっているのか。誰が糸を引いているのか。


 だが——問いの形が変わった。「俺のせいだ」から、「誰が、なぜ」に。


 その答えを見つけるために、動かなければならない。


 窓の外。花月の午後の空。雲が白い。風がぬるい。レーベンの街の音が遠くから聞こえている。荷馬車の軋み。市場の声。誰かの笑い声。——日常の音だ。


 右腕が疼く。外套の下に道具の重さがある。引き出しに仕様書がある。頭の中に、新しい問いがある。


 仲介屋は——煙草を巻いた。


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