表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仲介屋は煙草を巻く  作者: colove
ep11「出立」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

45/53

第37話「段取り」

 花月十四日。快晴。


 窓を開けた。乾いた風が入ってきた。昨日の薄曇りが嘘のように空が青い。花月の中頃にしては涼しい朝だ。


 昨夜の包みは二階にしまってある。床板の下。事務所に戻ってから、左の脇腹の重さが消えるのに時間がかかった。十年間忘れていたはずの重さが、一晩で身体に戻ろうとしている。


 湯を沸かした。茶葉を出した。安い茶葉でも蒸らしを丁寧にやれば飲める。


 蝶番が鳴った。


「先生、おはようっす」


 レーネが入ってきた。額に汗はない。荷運びの帰りではなく、朝一番で来ている。


「早いな」


「段取りって言ったっすよ。昨日」


 ——言った。


「座れ」


 レーネが椅子に座った。背筋を伸ばして手を膝の上に置いた。仕事の顔。


 茶を注いだ。二人分。茶碗を渡した。


「聞け」


「了解っす」


---


「俺は明日の夜明け前に出る。丘陵方面だ」


 レーネの唇が動きかけて、止まった。


「……はい」


「お前は市内に残れ。頼みたいことがある」


 レーネの目が僅かに大きくなった。——「頼みたい」は、俺の口からめったに出ない言葉だ。


「港区と市場。お前の庭だろう」


「……はい」


「組織が市内でも人を動かしている。昨日お前が言った通りだ。荷を運んでいない荷運びが増えている。あの連中がどう動くか。増えるか。どこにいるか。——見てくれ」


 レーネが頷いた。


「もう一つ。アンセルという男がいる。セレナードの巡礼僧だが、事情がある。俺の外の目だ」


「——あの、巡礼団の人っすか」


「ああ。俺が丘陵に出ている間、お前がアンセルとの連絡の中継になる。直接は会うな。紙片を使え。使い走りの少年に持たせる」


「紙片で中継……」


「お前に届けるか、灰色猫亭に預けるか。状況で判断しろ。マルタのところは退避先にもなる。何かあったら、まずあそこに行け」


 レーネが両手で茶碗を包んだ。指先が白くなるほど力が入っている。——緊張しているのか。


「それから——仕事のことを、市場の仲間には一切話すな。俺がどこに行ったかも、お前が何をしているかも」


「……はい」


「お前に悪意がなくても、聞いた側がどう使うかは選べない。誰から何が漏れるかわからない」


 レーネの目が、一瞬だけ曇った。市場の仲間を疑えと言われている。——わかっている。だが、言わなければならない。


「先生」


「何だ」


「——あたしじゃなきゃ駄目っすか。これ」


 正しい問いだ。


「ああ。港区と市場の間で、顔が利いて、足が速くて、怪しまれずに動ける人間は——お前しかいない」


 レーネの目が変わった。唇を引き結んで、顎を引いた。


「了解っす」


「危なくなったら逃げろ。情報を持ったまま死んだら意味がない。——生きて報告しろ」


「了解っす」


 茶を一口飲んだ。安い茶だが、今朝は蒸らしを丁寧にやった。少しだけ甘みがある。


「先生」


「何だ」


「……あたし、ちゃんとやります」


 昨日も聞いた。だが——昨日は「やるっすから」だった。今日は「やります」。語尾が違う。


「ああ。頼む」


---


 昼前。商業区の通りから一本入った路地の茶店。


 壁を背にして座った。窓から通りの一部が見える。荷を運ぶ人の流れ。花月の商いは忙しい。


 アンセルが来た。巡礼僧の装いではなく、旅人の外套に帽子を深く被っている。向かい合って座った。安い茶を二つ頼んだ。


「丘陵方面です」


 前置きなし。この男も急いでいる。


「クロイツ丘陵の手前、旧街道沿いに数日前から人が出入りしています。十人前後。荷馬車が二台。天幕を張って野営していますが、調査隊ではありません」


「装備は」


「武装しています。見張りの配置が、素人のそれではない。——軍の訓練を受けた人間がいます」


 ——やはり。盗品稼ぎの集団ではない。


「旧街道から外れた場所で、探知系の魔導具を使った測量のような作業も確認しました」


 探知系。——場所の特定が最終段階に入っている。


「三日と言ったな」


「ええ。特定が完了するか、あるいは完了した後の次の段階に移るか。いずれにしても、加速しています」


「明日の夜明け前に出る」


「承知しました。北の門を出て、旧街道の最初の橋で合流しましょう。——そこから先は、わたしが案内します」


 この男は、もう道を歩いている。密偵として、何度か足を運んでいる。


「市内側は手配した。レーネが情報の中継をする。連絡は紙片で。灰色猫亭経由もある」


「了解しました」


 茶を飲んだ。この店の茶は悪くない。


「アンセル。——組織が、俺の動きを探っている」


「掃除屋と仲介屋が——繋がりかけていますね」


「ああ」


「丘陵に出れば、確信に変わる可能性があります」


「わかっている」


 アンセルが杯を置いた。帽子の影の下の目が、こちらを見た。


「それでも、行かれるのですね」


「行かなければ、向こうが先に見つける」


「ええ。同感です」


---


 午後。事務所に戻った。


 机の上に紙片が一枚。レーネの字ではない。ブルーノの字だ。汚いが読める。


「あんたのことを聞いて回ってるやつがいる。港区だけじゃなく商業区にも。いつどこにいるかの聞き方だ。——気をつけろ。俺はもう関わらない」


 紙片を灰皿の上で燃やした。灰を指で潰した。


 いつどこにいるか。——行動パターンを洗っている。仲介屋ヴェルナーが掃除屋だという確信はまだなくても、関心の質が変わっている。


 ブルーノが手を引いた。あの男なりの判断だ。——責められない。


 煙草を巻いた。火をつけた。煙を吐いた。


 セリーナに短い手紙を書いた。丘陵方面に出ること。二、三日のこと。何かあれば灰色猫亭のレーネに。署名は一文字。——セリーナならわかる。


 封をして、使い走りの少年に銅貨一枚を渡した。


---


 夕方。買い出しに出た。


 干し肉。硬いパン。水筒に水を詰めた。二日分。——贅沢な旅ではない。


 事務所に戻って荷を確認した。外套。折り畳みの小刀。火打ち具。紐。薄い毛布。


 二階に上がった。床板を外した。布の包みを取り出して、外套の内側に合わせた。——重い。だが歩ける。脇腹から腰にかけて重心が変わる。歩き方を調整する必要がある。昨夜も感じたが、装備の重さに身体が慣れていない。


 窓の外。花月の夕焼けが、西の空を赤く染めている。昨日より晴れた分、色が鮮やかだ。


 明日の夜明け前に出る。


 ——十年前、こういう準備をしていた。荷を確かめ、道具を合わせ、退路を頭に入れて、出る。段取りは変わらない。身体が覚えている。


 あの頃と違うのは、身体が重いことと、待っている人間がいることだ。


 煙草を灰皿に押しつけた。窓を閉めた。


 布団を敷いた。明日は早い。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ