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仲介屋は煙草を巻く  作者: colove
ep06「輪郭」

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第20話「鍛冶屋の答え」

 萌月二十七日。曇り時々晴れ。


 目が覚めた。天井を見ている。


 体は起きている。頭も動いている。だが、布団から出る気力が湧いてこない。——別に具合が悪いわけではない。ただ、今日やることの重さが、体を押さえつけている。


 友人に嫌な知らせを持っていく日は、朝が長い。


 窓の外に雲が流れている。切れ目から陽が差して、また隠れる。春の空は気まぐれだ。


 蝶番が鳴った。


「先生、おはようっす。——まだ寝てるんすか」


 レーネが入ってきた。手に紙袋を提げている。いつもの朝だ。いつもの声だ。


「寝てない。考えていた」


「布団の中で?」


「……うるさい」


 起き上がった。レーネが茶を淹れている間に、棚から黒パンと干し肉を出した。切り分けて机に並べる。朝飯はこれでいい。


 レーネが向かいに座って、パンを齧り始めた。干し肉を千切って、パンに挟んでいる。


「先生。今日はあたしも行くんすか」


「いや。市場で待ってろ」


「了解——っすけど、なんでっすか」


「用事がある」


 レーネはそれ以上聞かなかった。こいつは、俺が「用事」とだけ言う時は私事だと知っている。市場で待てと言えば市場にいる。そのあたりの勘は、悪くない。


---


 中層区。ドルクの工房。


 通りを曲がると、金属を叩く音が聞こえた。規則正しい、重い音。叩いて、戻して、また叩く。一定のリズムで途切れない。この音が聞こえる限り、あの男は仕事をしている。


 扉は開いていた。中に入った。


 炉の火が赤い。春の朝の光と、炉の光が混ざって、工房の中は奇妙な色合いになっている。壁の工具掛けには、大きな金槌から小さなヤスリまでが並んでいる。整理整頓というほどの秩序はないが、全てが手の届く場所にある。ドルクなりの合理性だ。


 奥の金床で、ドルクが鉄を叩いていた。革のエプロン。腕の火傷の跡。額に汗。金槌が振り下ろされるたびに、火花が散る。


 俺が入ったことには気づいているだろう。だが、手を止めない。これがいつもの二人だ。俺は工房の隅にある椅子に座って、ドルクの作業が一区切りつくのを待つ。何も言わなくていい時間。


 しばらく見ていた。ドルクの槌さばきは無駄がない。力任せに見えるが、打点は正確だ。鉄の色、反りの具合を見ながら、一打ごとに角度を変えている。元軍鍛冶。こういう人間が作った武器を、俺たちは使っていた。


 金属の色が変わった。ドルクが鉄を水桶に突っ込んだ。蒸気が立つ。じゅう、という音。工房の空気が一瞬、湿った。


 ドルクが水を飲んだ。一杯。二杯目を半分飲んで、こちらを見た。


「ああ」


 来たのか、という意味。


「お前の工具の件で、話がある」


 ドルクの手が止まった。杯を金床の脇に置いた。腕を組んだ。


「前に盗まれた精密工具——戻ってきただろう。あれが盗まれた理由を、俺は調べていた」


 ドルクは黙っている。


「この街で、魔導具の部品が系統的に集められている。盗品と、特注品と。両方だ。探知系と浄化系、同じパターンで。お前の精密工具は、盗品の魔導具を調整するために使われた」


 炉の火がぱちりと爆ぜた。沈黙が工房を満たしている。


 ドルクが腕を解いた。


「知ってた」


 ——俺の方が、手が止まった。


「知ってた、とは」


「工具が戻ってきた時に、調べた」


 ドルクが金床の横の棚から、布に包まれた工具を一つ取り出した。精密ヤスリだ。刃先を窓の光に透かして見せた。


「使われた痕がある。ここ。——俺の手癖じゃない」


 目を凝らした。ヤスリの刃面に、微かな摩耗の偏りがある。素人目にはわからない。だが、工具を作り、使う人間には見える。


「押す角度が違う。力の入れ方も。俺なら刃を引きながら削る。こいつは押して削ってる。——教本通りだ」


「教本」


「軍にいた頃、新兵がこういう使い方をした。基礎訓練で教わった通りに押す。手に馴染む前は、みんなそうなる」


 軍の基礎訓練で教わった通りの使い方。マニュアル通り。道具に慣れていない人間が、教本を見ながら使った痕跡。


「つまり、お前の工具を使った人間は——」


「軍の手順を知っている」


 ドルクがヤスリを布に包み直した。丁寧に。自分の道具を扱うように。


 沈黙。炉の火が低く唸っている。


「なぜ黙っていた」


 責めているのではない。理由を聞いている。——俺はそう取った。ドルクの声には温度がない。いつもの、必要なことだけを言う調子だ。


「巻き込みたくなかった」


 ドルクが鼻を鳴らした。


「俺の工具が使われたなら、もう巻き込まれている」


 返す言葉がなかった。その通りだ。


 ドルクが杯に水を注いで、俺に差し出した。受け取った。冷たい水が喉を通る。


 工房の外で、通りを荷馬車が通り過ぎる音がした。車輪が石畳を転がる音。日常の音だ。


「何か手伝えることがあるなら、言え」


「——ああ」


「ただし、客の道具には触れん。預かった品に手を出すのは、職人の筋に反る」


「わかっている」


 もう一つ。ドルクが棚を見た。


「お前の預け物は無事だ。あれは別の場所にしまってある。手は触れられてない」


 ——それは、聞くつもりがなかった。だが、聞かなくてもドルクは言った。この男は、そういう男だ。


---


 工房にしばらくいた。昼飯はドルクが出してくれた。硬いパンと水。職人の昼飯だ。パンは昨日焼いたものだろう。噛むと顎に力が要る。だが、小麦の味がしっかりしている。ドルクの妻が焼いたものだ。


 食べながら、もう少し詳しく聞いた。


「使用痕から、何の器具を調整していたかわかるか」


「形状はわからん。だが、ヤスリと精密ノミの使われ方から、筐体の内部を削っている。小さな部品を収める溝を整えた痕だ」


「探知系の器具か」


「たぶんな。筐体のサイズは——手のひらに乗るくらいか。精密工具を使っているから、大物ではない」


 ヨーゼフの作った探知器具と合う。


「もう一つ聞く。お前の精密工具は、レーベンでは手に入りにくいか」


「軍鍛冶の標準装備だ。民間の鍛冶屋は持っていない。レーベンで持っているのは——俺と、冒険者ギルドの修理場くらいだろう」


 つまり、ドルクの工房が狙われたのは偶然ではない。レーベンで精密工具を入手できる場所が限られていたから、この工房を選んだ。


「面倒をかけた」


「俺の方だ」


 ドルクがそう言った。その言葉の意味を、しばらく考えた。ドルクは、工具が盗まれた時点で自分なりに調べ、結論を出していた。だが、こちらの事情を聞くまでは黙っていた。「俺の方だ」は——自分も黙っていたことへの、この男なりの言い方だろう。


 立ち上がった。


「ドルク」


 振り向いたら、ドルクが小さな包みを差し出していた。


「——何だ」


「煙草入れ」


 開けた。俺の煙草入れだ。蝶番が滑らかに動く。留め金の歪みも直っている。


「いつの間に」


「前に見えた。蝶番が甘くなってただろう」


 言葉が出なかった。


 この男は、煙草入れを見ただけで蝶番の緩みに気づいていた。そして、俺が頼む前に直していた。——聞かない。頼まれなくてもやる。これがこの男の流儀だ。


「……世話になる」


「ああ」


 工房を出た。春の陽が雲の切れ間から差していた。


---


 市場でレーネと合流した。レーネは屋台の前で串焼きを食べていた。


「先生、お疲れっす。——あ、煙草入れ直ったんすか」


「ドルクに直してもらった」


「いつの間に。昨日壊れてたっすよね」


「前から見えていたらしい」


 レーネが首を傾げた。「ふーん」と言って、串焼きの最後の一口を噛み切った。


---


 灰色猫亭。夕方。


 マルタが鍋の蓋を開けた。鶏肉と春豆の煮込み。薄い乳色のスープに、緑の豆がたくさん浮いている。ローレルの葉の香り。


 レーネが隣に座った。二人分の皿が出てきた。春豆は柔らかくて、噛むと甘い汁が出る。鶏肉はほろほろと崩れる。春の煮込みだ。


「先生」


「なんだ」


「ドルクさんに、話したんすか」


「ああ」


「よかったっすね」


 返事をしなかった。何がよかったのか、まだわからない。


 ドルクは「知っていた」と言った。互いに黙っていた。互いに「相手を守るために黙る」選択をしていた。——結果として、同じ情報を別々に抱えていた。


 それがよかったのかどうか。答えは出ない。


 マルタが看板猫を膝に乗せて、鍋の蓋を閉めた。湯気が細く立ち上っている。


 煙草入れを取り出した。蓋を開けた。蝶番が滑らかに動く。煙草を一本巻いて、火をつけた。煙が灰色猫亭の天井に上がっていく。


 ドルクが直してくれた道具は、手に馴染む。


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