第4話 ホームパーティー 翔平視点②
会話は高校のサッカー部時代の思い出へと移っていった。
「昔からそうだよな」
司はワインを静かに揺らしながら、俺の目を見て言った。
「僕が中盤で全体の状況を見てパスを出す。で、翔平が泥臭くゴールを奪う。僕はセットアップするだけで、美味しいところを持っていくのはいつもお前だった」
司は人懐っこい笑顔のまま、懐かしい思い出話としてそう語った。グラウンド全体を把握しゲームを支配する役割だったボランチの司と、ひたすらゴールに飢え、泥臭く点を取りに行くエースストライカーだった俺。言葉の表面だけをすくえば、寛大な男が俺を持ち上げているようにも聞こえる。
だが、なぜだろうか。あいつの理知的な目の奥は、全く笑っていないように見えた。まるで、今このテーブルの上で起きている状況すらも、あいつの描いた盤面の上であるかのような錯覚。
『お前が手に入れる獲物は、すべて俺が計算して用意してやったものに過ぎない』
そんな暗黙のメッセージが、グラスの中で揺れる赤ワインの波紋と一緒に、俺の心に薄気味悪く広がっていく。想定を超えるような計算がすでに始まっているような、ぞっとするほどの皮肉が込められているように感じてならなかった。
正面に座る愛莉須さんは、俺たちの会話に口を挟むことなく、ただ控えめに微笑みながら静かに座っていた。その天然めいた可愛らしい態度とは裏腹に、彼女が動くたびにふわりと漂う甘い香りが、俺の焦燥感と男としての本能を妙に煽り立てる。
自分がこの煌びやかな空間で、得体の知れない何かに絡め取られていくような違和感。しかし、見下ろされているという司に対するコンプレックスと、正面に座る女性のどうしようもない魅力が、俺の中から理性を少しずつ奪い始めていた。
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司は薄く笑みを浮かべたまま、手元のスマートリモコンをさりげなく操作した。空調の温度を変えたようだ。微かにモーター音が鳴り、部屋の空気がじっとりと熱を帯び始めた。その直後、司は俺と愛莉須さんの空になったグラスへ、今までよりも明らかに度数の高い、とろりとした赤ワインを次々と注ぎ足していく。
「まあまあ、今日は翔平の栄転祝いなんだ。遠慮せずに飲んでくれ」
司のその声には、有無を言わせぬ響きがあった。高校時代から変わらない、グラウンド全体を俯瞰してゲームを支配する司令塔の目だ。俺は無意識のうちにグラスを手に取り、喉の奥へ流し込んだ。強いアルコールが食道を焼きながら胃の腑に落ち、俺の血中濃度を急速に上げていく。
数分後、愛莉須さんがふうっと小さく息を吐き、白魚のような指先でパタパタと首元を仰いだ。
「……なんだか、少し暑くなってきちゃいましたね」
ほんのりと頬を火照らせた彼女は、そう言って羽織っていた淡い黄色のカーディガンをゆっくりと脱ぎ始めた。
あらわになったのは、身体のラインがはっきりと浮き出る薄手の白いニット姿だった。露出自体は決して多くない。首元もそんなに開いていないし、腕もすっぽりと隠れている。だが、だからこそ、その布越しに否応なく主張する豊満な胸の膨らみが、かえって俺の視線を強烈に惹きつけた。
カーディガンという一枚の壁が取り払われただけで、彼女の隠しきれない女の匂い、人を酔わせるような魔性のオーラが、むわっと部屋の中に広がったような錯覚すら覚える。圧倒的な清純さと色気が同居するその姿は、この「家」という密室の中心に鎮座する、なにか抗いがたい根源的な存在のようにすら見えた。
俺は慌ててグラスのワインを呷った。
視線をどこにやっていいかわからず、無意味に窓の外の巨大なガラス張りに広がる夜景へ目をやったりしたが、どうしても薄手のニットのシルエットが視界の端にチラついてしまう。
司は俺のそんな動揺など気にも留めない様子で、優雅にチーズを口に運んでいる。こいつの目の前で、こいつの妻に欲情し始めている自分への嫌悪感と、それを上回る得体の知れない背徳感が、俺の理性をぐらぐらと揺さぶっていた。
東京の夜景を見下ろすこの部屋全体が、まるで司の手のひらの上であり、俺はそこに迷い込んだ哀れな獣のような気がしてきた。
昔からずっとそうだ。涼しい顔で全てをコントロールするこいつに対し、俺は常に強いコンプレックスと嫉妬を抱き続けてきたのだ。
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「……ちょっと、トイレ借りていいか?」
「ああ。そこの角を曲がったところだ」
俺はたまらず席を立った。このままあの空間にいたら、変な汗をかいていること、そして下半身に血が巡り始めていることを悟られてしまう。司が指さす方向へ、大理石の短い廊下を抜けてトイレへと逃げ込んだ。
用を足し、手洗い場の冷たい水で顔を洗って少し冷静になろうとした。鏡に映る自分の顔は、酒のせいだけではない赤みを帯びており、目には何かを渇望するような、飢えた光が宿っていた。ひたすらゴールに飢え、泥臭く点を取りに行く役割だった俺の、隠しきれない本性だ。
深く息を吐き、トイレのドアを開けて廊下に出た瞬間だった。俺の目は向かい側にあるバスルームの扉に釘付けになった。
扉が、ほんの数センチだけ開いているのだ。中からは、微かな温風の音と、柔軟剤の甘い香りが漏れ出していた。洗濯物乾燥モードになっているらしい。
見てはいけない。他人の家の、しかも親友の家のプライベートな空間だ。そう頭では激しい警告音が鳴っているのに、俺の視線は磁石のようにその薄暗い隙間へと吸い寄せられた。
開いた扉の隙間から見えたのは、綺麗に干されている生々しい女性用下着だった。おそらく愛莉須さんの物だ。清楚な白や、淡いピンク色の布地。彼女の普段の控えめで清純な印象にぴったりと合致する色合いだ。
俺は一度慌てて目を逸らした。心臓が、自分でも引くくらい大きな音を立てて早鐘を打っている。誰かに見られたら、完全に変態の所業だ。他人の持っているものを追い求める、浅ましい男の姿だ。
だが、誰も見ていないという静寂と確信が、俺の首を再びバスルームへと向けさせた。
俺はその隙間に顔を近づけ、まじまじと見つめ直してしまった。あんな小さな布切れで、あの豊満な身体を覆っているのか。あの白いレースが、さっきまで目の前に座っていた彼女の柔らかな肌に密着し、その奥の秘部を包み込んでいるのか。
そう想像した瞬間、俺の脳裏で愛莉須という存在が、単なる「親友の綺麗な奥さん」から、強烈な雌の匂いを放つ明確な「女」へと変貌を遂げた。
今まで付き合ってきた女性たちとは、俺の強すぎる性欲のせいでいつもベッドの相性が合わずに振られ続けてきた俺だが、愛莉須さんとなら……そんな不敬な想像すら脳裏をよぎる。
ドクン、ドクンと、全身の血がさらに下半身に向かって沸騰していくのを感じる。司の所有物であるという事実が、強烈な劣等感を抱える俺の男としての本能、泥臭く獲物を奪いに行くという渇望に火をつけていた。
あいつの計算ずくの余裕な態度をぶち壊してやりたい。あの女の奥底に眠っているであろう本当の熱を、俺のこの手で引きずり出してみたい。
俺は大きく一つ深呼吸をして、ズボンの前を直した。そして、顔にへばりついた下劣な欲望をなんとか愛想笑いで覆い隠し、二人が待つ煌びやかなリビングへと足を踏み出した。ここから先は、俺の獲物を狩る時間だ。そんな傲慢で浅はかな勘違いに、俺はもうどっぷりと浸かりきっていた。




