第39話 清らかで光に満ちた絶対領域①
圧倒的な光の奔流が収まると、そこは荘厳なる神界の神殿であった。
床に広がる血溜まりはなくなり、狭いアパートの生活臭も完全に消え失せている。
ステンドグラスから差し込む神聖な光の中心で、三つの影がゆっくりと立ち上がった。人間界での記憶と、本来の姿である神としての記憶が、彼らの脳内で完全に統合されていく。
「いやあ、素晴らしい。実に美しいバッドエンドだったよ。……強いて言えば、あの滑稽な狂騒をもう少し長い時間、特等席で味わっていたかった、という未練はあるがね」
神谷司であった存在が、優雅に両手を広げて高らかに笑い声を上げた。彼の正体は「観照」と「支配」を司る上位神、ツカンサー神である。
その背後には、彼が司る権能を示す巨大な光の輪が静かに回転していた。
「今回の『翔平』の嫉妬パラメーターは少し上げすぎたな。最後、包丁を持ち出すのは想定外の奇行だったが……まあ、おかげで良い『絶望』が見られた」
ツカンサー神は、チェスボードを片付けるように淡々と語る。彼の理知的な瞳には、人間界での凄惨な殺し合いすらも、ただの興味深い事象として処理する冷徹な光が宿っていた。
「おふざけがすぎますよ、ツカンサー神様!」
熱田翔平であった存在が、神殿の柱をペチペチと叩きながら嘆いた。
彼の正体は「嫉妬」と「渇望」を司る下位神、ショヘラ神である。
人間界での野暮ったさは消え去り、その全身からは燃え盛るような闘気と、底知れない欲望のオーラが立ち昇っていた。
「人間界であの時、俺はあるあなた様を完全に出し抜いて、女神であるアリンス神と心を通わせました! あの瞬間の優越感は、神の権能すら超えておりましたぞ!」
ショヘラ神は「上位神を出し抜いた下位神」としての立場を盾に、ツカンサー神に向かって激しくマウントを取る。
「カフェでのあの時間、アリンス神が俺の言葉に涙を浮かべたあの瞬間。そして、あの薄暗い居酒屋のテーブルの下で、俺の足に震えながらすがりついてきたあの感触。あなた様は何も気づいていなかった! あなた様が絶対的な支配者として君臨しているつもりだったあの場所で、俺は確実に彼女の心を奪い取っていたんですよ!」
ショヘラ神の叫びに、ツカンサー神は涼しい顔で肩をすくめた。
「君は本当に滑稽だね、ショヘラ神。人間界での出来事は、僕たちが仕組んだ『壮大な前戯』に過ぎないというのに」
ツカンサー神の言葉通り、人間界でのドロドロした不倫劇や胸チラの攻防は、神としてのあまりに強大な力を抑え、繊細な「興奮」を味わうために彼ら自身が仕組んだ「記憶消去プレイ」に過ぎなかった。
「人間として生まれる時に、僕たちはそれぞれのメタファーのパラメーターを細かく調整した。天文学的以上の神界学的計算の末、3人があのタワーマンションでホームパーティーを開くところまでは想定出来ていた。だが、その後の未来予知がブレていたため、自ら乗り込んでいっていたんだよ。君が彼女の心を奪ったと思い込んでいるあの瞬間も、すべては僕という上位神が用意した盤面の上での出来事だ」
「なにを仰いますやら! 俺のあの時の情熱を、ただの計算だのデータだのと言わないでいただきたい! 俺は確かに、あのアパートで彼女を救い出したんですぞ!」
「ふふふ。ねえ、あの時私が『助けて』って言ったときの翔平の顔、見た?」
神殿の中央に設けられた豪奢な玉座から、やさしい笑い声が響いた。
神谷愛莉須であった存在が、優雅に脚を組み替える。彼女の正体は、全ての欲望の根源であり、世界そのものである「混沌の女神」、アリンス神である。
「あの絶望と使命感が混ざった魂の味、最高に美味だったわ」
アリンス神は、人間界での悲劇をただの「珍味」として称賛する。彼女の姿は、人間界の時の清楚な妻という仮面を完全に脱ぎ捨て、神聖でありながらも、見る者すべてを狂わせる圧倒的な魔性のオーラを放っていた。
「アリンス神様……あなた様まで、俺のあの純粋な想いを笑うのですか。俺は本気で愛莉須を愛していたんですよ」
ショヘラ神が、悔しそうに顔を歪める。だが、アリンス神は魅惑的な微笑みを浮かべ、玉座からゆっくりと立ち上がってショヘラ神へと近づいていった。
「怒らないで、ショヘラ神。私はあえて言うわ。人間界の、あの無力だった時のあなたの情熱が忘れられない、と」
アリンス神が甘い声で囁く。彼女は神の力を使い、ショヘラ神の目の前で、人間界の時よりも「より際どく、より神聖な隙」を見せ始めた。
彼女が纏う純白の神衣がふわりと揺れ、その奥に潜む底知れない深淵が、ショヘラ神の視界に飛び込んでくる。それは人間界での薄手のカッターシャツや、漆黒のブラジャーなどとは比較にならないほど、根源的な欲望を直接的に刺激する絶対的な「誘惑」であった。




