第21話 メッセージアプリ 愛莉須視点
深い安らぎを演じながら、私は隣で眠りについた夫、司の規則正しい鼓動を肌で感じていた。
先ほどまでの情事は、確かに激しいものだった。ホームパーティーの夜、あの翔平という「生贄」がもたらした毒が、司の中の支配欲をこれでもかと煽り立てた結果だ。
彼は私の身体に自分の刻印を刻み込むことで、見えない敵――自分の脳内で私を凌辱しているであろう親友に対する勝利を確信しようとしていた。
けれど、私は気づいている。
絶頂の余韻が消え去るのと同時に、司の心に「退屈」という名の澱が再び沈殿し始めていることに。
彼は刺激を求めている。盤面上の駒が予想通りの動きをするだけでは満足できない、もっと予測不能で、もっと破滅的な熱を。私という完璧な妻を「支配」しているという実感だけでは、もう彼の飢えは満たされないのだ。
(ふふ……。司、本当に欲しがりさんね。でも、いいわ。あなたが用意した安全な地獄じゃ、もう私も満足できないの。誰も予測できない極上の「混沌」で……一緒に溺れましょう?)
私はゆっくりと身体を起こし、暗闇の中で司の寝顔を見下ろした。
理知的で、冷徹で、すべてをデータとして処理しようとする傲慢な神様。そんなあなたが、自分の掌の上で踊らせているつもりの「私」に、実は根底から揺さぶられているとも知らずに。
私はサイドテーブルに置いていたスマートフォンをそっと手に取った。
数分前、司が翔平さんに送ったメッセージの内容は、分かっている。彼はまた、翔平さんを自分の聖域に招き入れ、圧倒的な「格差」を見せつけてマウントを取ろうとしているのだ。そして、そのための「最高の餌」として、私を利用しようとしている。
(ええ、司……。翔平さんへの追撃、許可しますわ。せいぜい私のために、二人で予測不能な熱を帯びて狂い咲いてちょうだい)
私は音の出ない唇でそう囁き、翔平さんのトークルームを開いた。
司が用意した「週末のカフェ」という舞台。それを単なるマウンティングの場で終わらせるつもりはない。そこは、翔平さんの心の中に「略奪」という名の猛毒を完全に定着させ、彼を「救済者」という名の狂信者へと変貌させるための祭壇にしなければならない。
私は慎重に、そして丹念に、翔平さんへのメッセージを打ち込み始めた。
『明日、3人でお茶するの楽しみにしてますね☕️』
まずは、司の隣で微笑む「無邪気な親友の妻」として。
数秒後、彼からの『おう、俺も楽しみ』という、短くも昂ぶりが隠しきれない返信が届く。
私は暗闇の中で唇の端を吊り上げ、本命の一手を打ち込んだ。
『……翔平さん。もし明日、司が少しでも席を外すことがあれば、私のお話を聞いてもらえませんか?』
あえて言葉を濁し、彼にしか見せない「揺らぎ」を演出する。
『どうした?司となんかあったのか?』
案の定、翔平さんは即座に食いついてくる。司に対する劣等感と、私に対する渇望が混ざり合った、滑稽なまでのヒーロー願望。
『上手く言えないんですけど……司、私のこと『数字』や『データ』みたいに扱うことがあって……。こんなこと、翔平さんにしか言えなくてごめんなさい』
送信ボタンを押した瞬間、私は下腹部の奥底で、ドロリとした熱い悦びが広がるのを感じた。
司が最も誇りに思っている「冷徹な分析力」や「俯瞰的な視点」。それを、そのまま「冷酷なモラハラ」という武器に変換して翔平さんの胸に突き刺してあげる。
翔平さんにとって、司は「愛する女性を記号としてしか見ない悪魔」になり、自分は「彼女の本当の顔を知り、その心を救える唯一の男」へと昇華されるのだ。
『謝るなよ。わかった、明日ちゃんと話聞くから。大丈夫だ、俺がついてる』
画面越しに伝わってくる、翔平さんの傲慢な勘違い。司を出し抜いたという浅ましい優越感。
ああ、本当に愛おしい。
司は、翔平さんが自分の支配下で悶える様を楽しんでいるけれど、翔平さんは今、司を「無能な支配者」として見下し始めている。
二人の男の欲望が、私という一点で激しく衝突し、歪み、増幅していく。
私はスマートフォンを胸に抱き、再びベッドの中に潜り込んだ。
明日、私は翔平さんの前で「悲劇のヒロイン」を完璧に演じきるでしょう。そして、それを観測する司を、これまでにないほどの歪んだ興奮で満たしてあげる。
(司、翔平さん。あなたたちは、どちらが私を支配しているか競い合っているけれど……。本当は、誰が一番支配されているのかしら?)
私は、隣で眠る自身を神と間違えている夫の頬をそっと撫でた。
明日の午後、カフェの明るい光の下で行われるのは、単なるお茶会ではない。
理性が溶け、物理法則が歪む、凄惨で美しい儀式。
翔平さんの目には、私が聖なる女神のように見えるようになるでしょうね。
絶望と興奮の円環は、今まさに加速を始めた。
私は最高に狂った「多幸感」の中で、眠りに落ちていった。
明日は、もっと激しく私を求めてね。司。
そして、もっと泥臭く私を奪いに来て。翔平さん。
さぁ、もっともっと円環の果てに待つ未知なる高みを求めあいましょう。




