第2話 ホームパーティー 司視点①
眼下には、無数の光の粒がひしめき合う東京の夜景が広がっていた。都内の一等地にあるこの高級タワーマンションの高層階は、下界で蠢く人間たちの泥臭い営みを俯瞰するには最適なロケーションだ。
それはまるで、完璧に管理されたアクアリウムを眺めるような心地よさだった。温度も水質も僕の思い通りに制御された水槽の中で、美しい熱帯魚が疑うこともなく優雅に泳ぎ回っている。
二年前、とある政治家のパーティーで見初めた愛莉須という極上の観賞魚を手に入れて以来、僕の人生は一切の淀みなく回っていた。従順な彼女と肌を重ねる夜は申し分なく、僕の支配欲を隅々まで満たしてくれる。
しかし、いささか水が澄みすぎた。予測可能な完璧さには、やがて「退屈」という澱が沈殿し始める。
だからこそ、この静かな水槽に、一匹の泥臭い外来種を放り込んでみることにしたのだ。そろそろインターホンを鳴らすであろうそれは、、僕の満たされた日常に新たな刺激をもたらすための、都合の良い劇薬になってくれるはずだ。
今回のゲームの標的である熱田翔平は、高校時代のサッカー部からの親友だ。彼が地方の支社から中堅専門商社の本社へ栄転し、上京してきたことを祝うためのホームパーティー。それが今夜の表向きの理由である。だが、僕の目的はそんな陳腐なものではない。
僕は事前に、彼が勤める会社の経営情報を四季報などで隅々までチェックしていた。
業績、平均年収、福利厚生。そこから弾き出された彼の生活水準を把握するのは、アナリストである僕にとっては造作もないことだった。その上で、彼には到底住むことのできないこのタワーマンションでのホームパーティーを計画したのだ。
彼がエントランスの大理石やホテルのようなコンシェルジュデスクを見て、どれほどの劣等感を抱き、気圧されるか。その表情を想像するだけで、僕の心は心地よい優越感で満たされていく。
ピンポーン、と控えめなインターホンの音が鳴った。
来たか。僕は口角をわずかに上げ、完璧な「親友の顔」を作って重厚な扉を開けた。
「おー、来たな!」
扉の向こうに立っていた翔平は、予想通り、すでに威容に呑まれたような顔をしていた。がっしりとしたスポーツマン体型は相変わらずだが、洗練された東京の空気に馴染めない、野暮ったい田舎っぽさが抜けきっていない。
「おー、久しぶり!栄転おめでとうな」
僕が努めて明るく声をかけると、彼は作り笑いを浮かべて答えた。
「お邪魔します…すげえな、このタワマン」
その声には、隠しきれないコンプレックスが滲んでいた。完璧だ。僕の想定通りの反応に、ひとまず満足のいくスタートを切れたことを確信する。
その時、僕の背後から愛莉須が静かに現れた。ゆったりとしたニットの上にエプロンを着けた彼女は、圧倒的な清純さと色気を漂わせている。
「いらっしゃいませ、おひさしぶりです翔平さん。結婚式以来ですね」
三歩下がった位置から控えめに頭を下げる愛莉須を見て、翔平の目が一瞬、獲物を前にした獣のように光ったのを僕は見逃さなかった。昔から性欲が強く、女性関係でトラブルばかり起こしていた彼の本質は、何一つ変わっていないようで安心した。
「あ、ああ、ご無沙汰してます。今日は突然お邪魔してすみません」
「とんでもない。さあ、どうぞ中へ」
すると翔平が手提げの紙袋を僕へ差し出した。
「そうだこれ、上京する前にわざわざ本店まで足を運んで買ってきたんだ。司には世話になってるからな」
「わざわざ本店まで? 翔平、ありがとう。君のそういう律儀なところ、本当に尊敬するよ」
「まあ、翔平さん。そんなにお気遣いいただかなくても……ふふ、ありがとうございます」
僕は柔和な笑みを浮かべて受け取ったが、内心ではデータの欠落に苦笑した。彼は僕が羊羹の、あのねっとりとした甘さと食感を何よりも忌避していることを忘れている。だが、彼が「親友のために苦労した自分」に酔い、優位に立ったと誤認するプロセスは興味深い。この羊羹の重みは、彼の中に巣食う傲慢さと劣等感の質量そのものだ。
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僕は彼を、壁一面がガラス張りになったリビングへと案内した。下界を見下ろす圧倒的な夜景を前に、翔平は完全に言葉を失っていた。
ダイニングにある上品な四人掛けのテーブルへ彼を促す。僕の隣に愛莉須が座り、翔平には愛莉須の正面の席を勧めた。これも計算のうちだ。
その足元を、昨日買ったばかりの、誰もが見たことのあるハイブランドのロゴが刻まれた首輪をつけた小型犬のテセラがちょこまかと走り抜けた。僕は事前に柵からテセラを出しておき、自由に行動させていたのだ。
(よくやった、テセラ。翔平に見せつけてやったな)
僕は心中で褒めながら、テセラをひょいと抱き上げた。
「こらテセラ、お客様の邪魔しちゃダメだろ」
慣れた手つきで犬をたしなめる僕の姿を見て、翔平の目に嫉妬の炎が灯るのを感じた。すべてが僕の支配下にあるこの空間で、彼はただの無力な被検体に過ぎない。
シャンパンで乾杯を済ませると、話題は自然と仕事のことになった。
「いやあ、地方での営業はマジで地面を這いずり回っていたようだったよ。毎日靴底減らして、頭下げて、とにかく結果だけ求めて走ってきた。それでやっと、本社行きの切符を勝ち取ったんだ」
熱く語る翔平の言葉は、まるで泥水をすすりながら這い上がってきた敗残兵の遠吠えのように聞こえた。直情的に結果を追い求める彼のプレースタイルは、高校時代から何一つ成長していない。僕は高級なグラスを優雅に傾けながら、涼しい顔で真理を突きつけた。
「僕のコンサル仕事はデータが全てだからな。結局、人間も数字の束だよ」
冷徹な事実。常に全体を俯瞰し、他人の行動をコントロールする僕にとって、人間は盤面上の駒であり、処理すべきデータでしかない。翔平が血と汗を流して向き合っているものを、僕は安全な高みから嘲笑う。彼の中に強烈な劣等感の泥が広がっていくのが、手にとるようにわかった。
愛莉須が手際よく取り分けた料理を口に運び、翔平が感嘆の声を上げる。
「これ、本当に愛莉須さんが?……信じられないくらい旨いです」
「司さんから、今日はとても大切なご友人がいらっしゃると聞いて……。粗相のないよう、私なりに精一杯頑張って作ってみたんです。お口に合って良かったです」
僕は心の中で勝ち誇った。僕も愛莉須がこれほど料理が出来るのだと知らなかったが、彼は完璧な妻による完璧なもてなしを受け、さらに僕との格差を思い知らされているのだ。




