第1話 ホームパーティー 翔平視点①
東京の空は、俺の知っているそれとは違っていた。見上げると首が痛くなるほどの摩天楼。
都内の一等地、その中心にそびえ立つ高級タワーマンションのエントランスで、俺、熱田翔平はすでにその威容に気圧されていた。
大理石が敷き詰められた床、ホテルのようなコンシェルジュデスク、すれ違う住人たちの洗練された佇まい。
地方の支社から中堅専門商社の本社への栄転を勝ち取り、意気揚々と上京してきたはずの自信が、足元からガラガラと崩れていくような感覚だった。
エレベーターが滑るように、そして無音のまま高層階へと昇っていく。耳の奥でツンとする気圧の変化すら、俺とあいつの間に開いた絶対的な格差を見せつけられているようでひどく腹立たしい。
指定された部屋の前に立ち、ごくりと唾を飲み込んで深呼吸をしてから、インターホンのボタンを押した。
「おー、来たな!」
重厚な扉が開き、現れたのは高校時代からの親友、神谷司だった。昔から変わらない、理知的で柔和な笑顔。だが、細身で引き締まった体を包む服は明らかにハイブランドのそれで、嫌味なく自然に着こなしているのが余計に鼻についた。
「おー、久しぶり!栄転おめでとうな」
「お邪魔します…すげえな、このタワマン」
俺が本音と作り笑いを交じえて答えると、司の背後からふわりと、心をかき乱すような甘く心地よい香りが漂ってきた。
「いらっしゃいませ、おひさしぶりです翔平さん。結婚式以来ですね」
露出の少ないゆったりとしたニットの上にエプロンを着けた女性が、三歩下がった位置から控えめに頭を下げる。
司の妻、愛莉須さんだ。
3年前の結婚式で顔を合わせた時は「司にはもったいない綺麗な奥さんだな」程度にしか思っていなかったが、こうして間近で見る彼女は、3年前よりさらに綺麗になり、圧倒的に清楚なオーラに気圧された 。
純粋そうな見た目と、服越しに主張する胸の肉感とのギャップに、強烈な色気を感じてしまう。
「あ、ああ、ご無沙汰してます。今日は突然お邪魔してすみません」
「とんでもない。さあ、どうぞ中へ」
「そうだこれ、上京する前にわざわざ本店まで足を運んで買ってきたんだ。司には世話になるからな」
俺は、地元で一番の名店と言われる老舗の羊羹が入った重い紙袋を、恩着せがましく司に差し出した。大都会の洗練された手土産なんかより、俺がわざわざ時間を割いて手に入れたという「誠意」の方が価値があるはずだ。司がどれほど成功していようと、この尊い友情の重みだけは、効率や数字で測れるもんじゃないだろ。
「わざわざ本店まで? 翔平、ありがとう。君のそういう律儀なところ、本当に尊敬するよ」
「まあ、翔平さん。そんなにお気遣いいただかなくても……ふふ、ありがとうございます」
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案内されたリビングは、壁一面が巨大なガラス張りになっており、東京の煌びやかな夜景が一望できる非日常空間だった。下界の人間たちの泥臭い営みを見下ろすようなその圧倒的なロケーションは、まさに今の司の「社会的成功」を象徴しているかのようだった。
ダイニングには上品な4人掛けのテーブルがセットされていた。愛莉須さんが司の隣にちょこんと座り、俺は彼女の正面の席を勧められた。ふと足元を、ちょこまかと小さな影が走り抜ける。
見れば、ハイブランドのロゴが刻まれた首輪をつけた、ひどく高そうな毛並みの良い小型犬だった。
「こらテセラ、お客様の邪魔しちゃダメだろ」
司が犬をひょいと抱き上げ、慣れた手つきでたしなめる。その様子すら、絵に描いたような成功者の余裕に満ち溢れていて、俺の胸の奥にある嫉妬の火種をチリチリと焦がした。
シャンパンで乾杯を交わした後、話題は自然と互いの仕事のことになった。
「いやあ、地方での営業はマジで地面を這いずり回っていたようだったよ。毎日靴底減らして、頭下げて、とにかく結果だけ求めて走ってきた。それでやっと、本社行きの切符を勝ち取ったんだ」
俺は、自分を奮い立たせるように、そして少しでも司に噛みつくように熱く語った。俺だって負けていない。自分の力で、上流社会を追い求めてこの大都会に這い上がってきたんだ。だが、外資系戦略コンサルティングファームのシニアアナリストである司は、高級そうなグラスを優雅に傾けながら、涼しい顔でこう返した。
「僕のコンサル仕事はデータが全てだからな。結局、人間も数字の束だよ」
その言葉には、一切の熱がなかった。常に全体を俯瞰し、他人の行動やデータを分析し、コントロールする仕事。俺が血と汗を流して相手にしている『人間』を、こいつは安全な高みからただの『数字』として処理している。俺とこいつとでは、住む世界が違いすぎる。心の中に、強烈な劣等感の泥がじわりと広がり、根を下ろしていくのを感じた。
愛莉須さんが手際よく取り分けてくれた、見たこともないような美しい料理を口に運ぶ。
「これ、本当に愛莉須さんが?……信じられないくらい旨いです」
俺が思わず本音を漏らすと、彼女は頬を染めて司の顔を伺った。
「司さんから、今日はとても大切なご友人がいらっしゃると聞いて……。粗相のないよう、私なりに精一杯頑張って作ってみたんです。お口に合って良かったです」
清楚な微笑みと共に放たれたその言葉は、俺への気遣いというより、司への献身そのものだった。完璧な妻にまで「大切な友人」として完璧にもてなされる。その徹底された『格差』に、俺の喉は料理の美味さとは別の熱さで焼かれた。




