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第12話 ホームパーティー 愛莉須視点④

 翔平しょうへいさんの震える吐息を肌に感じながら、私はゆっくりと手首を引き寄せた。彼の瞳はもはやアロマの香りなど追っていない。私の肌、私のうなじ、そしてニットの隙間から覗く「赤」に完全に心を奪われている。


 私は彼から視線を外し、隣で優雅にワインを傾けているつかさに、とろけるような微笑みを向けた。

 司は満足げに私の腰を抱き寄せ、その理知的な目の奥で、翔平さんの理性が音を立てて崩れていく様を観察していた。司令塔が描いた盤面の上で、駒たちが私の放つ毒に冒されていく。この密室は、世界で最も甘美な実験場に変わりつつあった。


 +++


 宴が深まるにつれ、部屋の空気はじっとりと重い熱を帯びていった。翔平さんの視線は、もはや隠すことすら忘れたかのように、私の身体がふやけてしまうほど舐め回し続けている。私が料理を取り分けようと少し身を乗り出すたび、彼の喉仏が大きく上下し、その拳が膝の上で固く握られる。


 私はそれに気づかないフリをしながら、より際どい角度を計算して、ゆっくりと所作を繰り返した。

 わざと、彼の視界の正面で腕を伸ばす。ニットが胸の曲線に沿ってぴんと張り、その下に隠された赤いレースが微かに形を浮き上がらせる。翔平さんの意識が、私の胸元の「深淵」へと吸い込まれていくのが手に取るようにわかる。

 司が用意した「最高級の供物」として、私は彼の渇望を限界まで引き上げていく。


「おっと、失礼」


 その時、司が手元にあった調味料の小瓶のキャップを、わざとらしく床に落とした。キャップはコロコロと軽い音を立てて転がり、翔平さんの足元近くで止まる。


「愛莉須、拾ってくれるかい?」

「はい、司さん」


 私は心の中でくすくすと笑った。偶然なんかじゃない、司は本当は手先が器用だ。落とした角度も、転がった位置も、すべては次に起こる「劇」のための完璧なセットアップ。私は司の期待に応えるべく、椅子から立ち上がり、翔平さんのすぐ傍らで屈み込んだ。


 ゆっくりと、焦らすように腰を落とす。

 その瞬間、緩んだニットの襟元が重力に従って大きく解放され、先ほどよりもさらに広い面積で、私の胸の谷間が翔平さんの至近距離に晒された。

 至近距離、わずか数十センチ。

 彼の荒い鼻息が、私のデコルテに触れる。毒々しい赤いブラジャーが、重力に逆らって零れ落ちそうになる白い双丘を、辛うじて繋ぎ止めている様。その圧倒的な「雌」の質量を、彼は瞬きすら忘れて凝視していた。

 

 私はキャップを拾い上げると、顔を上げた彼と一瞬だけ、視線を絡ませた。

 恐怖も拒絶も無い、ただ獲物を罠に誘い込むような私の瞳に、翔平さんは完全に毒された。

 

 私が立ち上がろうとした瞬間、司が私の手を力強く取り、ぐいと自分の方へ引き寄せた。


「ありがとう、愛莉須。……翔平、こいつは本当に気が利く妻だろう? 僕にはもったいないくらいだよ」


 司は私を抱き寄せ、その頬を私に寄せながら、独占欲を誇示するように翔平さんを見据えた。

 お前がどれだけ欲しがっても、この女を抱く権利があるのは僕だけだ。

 そう無言で告げる司の傲慢さが、翔平さんの中にある嫉妬の炎を爆発させる油になる。私は夫の腕の中で恥ずかしそうに頬を染めながら、内心ではこの歪んだ格差がもたらす興奮に震えていた。


 +++


「さて、少し場所を変えようか。ソファーの方でゆっくり飲み直そう」


 司の提案で、私たちは巨大なL字型のソファーへと移動した。

 私はあえて翔平さんが座った隣へ腰かけた。

 

 すると、司がスマートフォンを取り出し、芝居がかった仕草で小さく息を吐いた。


「……あ、悪い。ちょっと仕事のメールが一本入ったみたいだ。戦略案の最終チェックをしなきゃいけなくてね」


 司はスマートフォンの画面を見ながら、苦笑いを作った。


「すぐ済むから、二人で飲んでてくれ。翔平、愛莉須の相手を頼むよ」

「えっ、ああ……わかった」


 司が書斎へと消えていく。

 私は、リビングの隅にあるペット見守りカメラが、僅かに角度を変えて私たちを捉えたのを見逃さなかった。私を囮にして友人を弄んでいるつもりの司は、あそこから私たちがどう穢れ、狂っていくのかを覗き見ているのだ。


 自分の所有物である妻が、他の男の劣情に晒されることに欲情する、本当に悪い夫。


 ……でも、自分が完璧に支配していると信じて疑わないその盤面すら、私の掌の上だということに彼は気づいていない。カメラの向こうで息を荒げる夫と、隣で私の匂いに発情する友人。二人の男の歪んだ欲望が私という一点に集束していくこの状況に、私の内側は狂おしいほどの熱を帯びて打ち震えていた。


 私は少し酔ったふりをして、ソファーの上でスッと翔平さんの方へと身体を滑らせた。


「……翔平さん、お仕事大変そうですね」


 私は計算された甘ったるい声で囁き、彼の肩に自分の肩をそっと触れさせた。


「そうだね。今が踏ん張りどころってかんじかな。もっと上へ行って、ここ以上の所に住めるようになりたいんだ」

 必死に自分の「上昇志向」をアピールする翔平さんの必死さが、ひどく滑稽で愛おしい。

「私、上昇志向のある人って、素敵だと思います」


 私は彼をさらに高い場所へと追いやってあげるべく、上目遣いで彼を見つめた。


「あっ、翔平さん、その時計……すごく素敵」

「そう? どこにでもある物だよ」


「愛莉須さんのその時計もスマートウォッチ? 司とお揃い?」

「ええ。夫に体調管理のためにずっと着けておくように言われていて……。でも、翔平さんのは男らしくて素敵です」


 私は指を伸ばし、彼の左手首をそっと持ち上げた。

 私の指先が触れた瞬間、翔平さんの身体がビクッとなったのが伝わってくる。


「お高いんですか?」

「全然全然。それに俺は、ブランドよりも正確性を重視しているから、これで十分なんだ」

「へー。なんだか人柄が出ますね。もちろん良い人だって意味ですよ。うふふ」


 私は彼の顔を覗き込み、わざと吐息を彼の首筋に吹きかけた。

 翔平さんは、司という司令塔を出し抜いて、その「獲物」を奪い去ったかのような歪んだ優越感にどっぷりと浸かっている。

 私の指先が彼の掌へと滑り落ち、そのままゆっくりとなぞっていく。

 彼の脳内では、既に私のニットを引き裂き、この赤い下着を剥ぎ取って、この肌を蹂躙する光景が動き始めているはずだ。


 カメラの向こうで私を支配しているつもりの夫。そして今、私の隣で夫を出し抜いたと錯覚している哀れな友人。


翔平さんの剥き出しの欲望と、壁の向こうにいる司の歪んだ支配欲。

その巨大な二つの感情が私を犯し、激しくかき混ぜていく。私は絶望と興奮の円環の中心で、自分でも恐ろしいほどの濡れた疼きを下腹部に感じながら、最高に狂った「多幸感」に身を浸していた。

 

(さあ、次はどう狂わせてあげようかしら……?)

 

 私は誰にも聞こえない声を内心で発し、さらに深く、翔平さんの腕の中へと自らの身体を預けていった。

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