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第11話 ホームパーティー 司視点④

 アロマの試香という名の甘美な毒を嗅がされて以来、翔平の理性は明確に崩壊の道を辿っていた。彼自身は、必死に親友という仮面を保っているつもりなのだろうが、アルコールと剥き出しの欲情に背中を押されたその視線は、もはや制御を失っている。

 愛莉須ありすが料理を取り分けるために立ち上がるたび、さらに僕たちのグラスにワインを注ぐために身を乗り出すたび、翔平の眼球は獲物を狙う餓狼のように、彼女のニットの胸元へと吸い寄せられていった。そのたびに彼の喉仏がゴクリと上下するのを、僕は優雅にワインを味わいながら視界の端で捉えている。


 特筆すべきは、愛莉須の完璧な立ち回りだ。彼女は翔平の卑猥な視線に全く気づいていないという、純真無垢な妻でいてくれている。

 僕は言葉を交わすことなく、この哀れな生贄をどう料理するかという勝手な共犯関係を楽しんでいた。盤面を支配する僕と、最上級の餌として踊る愛莉須。翔平はその上で、自らの意思で動いていると錯覚したまま、滑稽に転げ回るだけのただの駒だ。


「おっと、失礼」


 僕はさらに強い刺激を与えるため、手元にあった調味料の小瓶のキャップを、意図的に指先から滑らせて床に落とした。コツンという乾いた音を立てて、キャップは翔平の足元近くへ転がっていく。


「愛莉須、拾ってくれるかい?」

「はい、司さん」


 僕の指示に、愛莉須は素直に立ち上がり、翔平のすぐ傍らで屈み込んだ。

 その瞬間、翔平の呼吸が完全に止まったのがわかった。無理もない。先ほど彼が遠目から盗み見たのとは比較にならないほど至近距離で、しかもさらに広い面積で、彼女の胸の谷間が解放されたのだから。


 薄手のニットの奥、重力によって零れ落ちそうになる豊満な白い双丘と、それを辛うじて繋ぎ止めている毒々しい熟れたザクロのような色のレースのブラジャー。

 その圧倒的な質量と卑猥な色彩が、翔平の視界を暴力的に埋め尽くしているはずだ。


 翔平の顔は極度の緊張と欲情で強張り、その目は限界まで見開かれている。親友の妻の、隠された赤い下着をこんな間近で覗き見ているという異常な状況。彼の脳内麻薬は、今まさに致死量に達しようとしているだろう。


 愛莉須がキャップを拾い上げ、立ち上がろうとしたその時。僕はすかさず彼女の白い手を取り、ぐいと僕の方へと引き寄せた。


「ありがとう、愛莉須。……翔平、こいつは本当に気が利く妻だろう?僕にはもったいないくらいだよ」


 僕は愛莉須の肩を抱き寄せ、その柔らかな頬に自らの顔を近づかせた。愛莉須は僕の腕の中で、恥ずかしそうに、しかしどこか従順な雌の顔つきになって頬を染める。

 その仲睦まじい夫婦の光景を、僕はわざと翔平に見せつけた。


 お前がどれほど目を血走らせ、泥臭く渇望しようとも、この極上の女は僕の所有物だ。僕だけが触れることを許され、僕だけが彼女のすべてを支配している。

 翔平の顔から血の気が引き、代わりにドス黒い嫉妬の炎が燃え上がるのが、手にとるようにわかった。

 僕への絶対的な劣等感と、愛莉須への執着。その二つが混ざり合い、彼の精神を内側から焼き尽くしていく。その苦悶に満ちた表情こそ、僕にとって至上のワインのつまみだった。


 +++


「さて、少し場所を変えようか。ソファーの方でゆっくり飲み直そう」


 食事が一段落したのを見計らい、僕は次のフェーズへの移行を提案した。三人で、リビングの壁際に置かれたゆったりとしたL字型のソファーへと移動する。

 腰を下ろして間もなく、僕はスマートフォンをポケットから取り出し、わざとらしく画面を見て小さく息を吐いた。


「……あ、悪い。ちょっと仕事のメールが一本入ったみたいだ。戦略案の最終チェックをしなきゃいけなくてね」


 僕は二人に片手でゴメンとジェスチャーした。


「すぐ済むから、二人で飲んでてくれ。翔平、愛莉須の相手を頼むよ」

「えっ、ああ……わかった」


 僕は柔和な笑顔を残し、あえて二人をリビングに残して書斎へと向かった。

 もちろん、仕事のメールなど来ていない。彼らを意図的に孤立させるための、完璧に計算されたセットアップだ。


 書斎の重厚なドアを閉めた瞬間、僕の顔から愛想笑いが消え去り、純粋な支配者の顔へと切り替わる。僕はすぐさま手元のスマートフォンを操作し、リビングに設置してあるペット見守りカメラのアプリを起動した。さらに、ワイヤレスイヤホンを耳に装着し、音声のボリュームを上げる。


 画面の中には、僕が仕掛けた盤面で二人きりになった愛莉須と翔平の姿が鮮明に映し出されていた。


 翔平の顔には、「司の目を盗んで、この空間で彼女と二人きりになれた」という、どうしようもなく浅はかで強烈な優越感が浮かんでいた。僕の支配下から抜け出したと勘違いしている彼の思考回路は、あまりにも単細胞で予測が容易い。


 画面の中で、愛莉須が動いた。彼女は少しアルコールが回ったような、とろんとした視線を翔平に向けながら、ソファーの上でスッと彼の方へ身体を滑らせた。物理的な距離が、明確に縮まる。


 イヤホン越しに、愛莉須の甘ったるい声が聴こえてきた。

 僕の隣にいる時とは明らかに質の違う、男の保護欲を絶妙に刺激する、計算された声色だ。


『……司さん、お仕事大変そうですね』


 愛莉須が少し酔ったふりをして、ソファーの上で翔平との距離を詰めるのが画面越しにわかる。肩が触れ合うかのような至近距離。翔平の身体が硬直する様は、彼がどれほどこの「密室の二人きり」という状況に昂っているかを如実に物語っていた。


『そうだね。今が踏ん張りどころってかんじかな。もっと上へ行って、ここ以上の所に住めるようになりたいんだ』


 翔平の言葉に、僕は思わず口角を上げた。中堅商社の営業マンが、僕の住むこの聖域を前にして、必死に自らの「上昇志向」という名の武器を振り回している。泥臭く、しかしあまりに短絡的なその発言を、愛莉須がどうあしらうかは手に取るようにわかる。


『私、上昇志向のある人って、素敵だと思います』


 愛莉須のとろんとした目が翔平を捉える。翔平は自分が彼女の理解者になり、僕という「冷徹な支配者」を出し抜いたと確信したに違いない。その歪んだ優越感が、彼の目をさらにギラつかせている。


『あっ、翔平さん、その時計……すごく素敵』


 愛莉須が白魚のような指を伸ばし、翔平の左手首をそっと持ち上げた。画面の中の翔平は、電流が走ったかのように背筋を伸ばしている。


『そう? どこにでもある物だよ』


『愛莉須さんのその時計もスマートウォッチ? 司とお揃い?』

『ええ。夫に体調管理のためにずっと着けておくように言われていて……。でも、翔平さんのは男らしくて素敵です』


『お高いんですか?』

『全然全然。それに俺は、ブランドよりも正確性を重視しているから、これで十分なんだ』


 ブランドへの劣等感を「誠実さ」という言葉で塗り替える、翔平らしい卑屈なプライドだ。愛莉須はそれを逃さず、彼をさらに高い場所へと追いやっていく。


『へー。なんだか人柄が出ますね。もちろん良い人だって意味ですよ。うふふ』


 愛莉須の毬を転がすような笑い声がイヤホンを通じて僕の脳髄を揺さぶる。

 滑稽だ。本当に滑稽だよ、翔平。お前は今、自分が僕の所有物である彼女の「本当の心」に触れ、僕の知らない秘密を共有していると悦に浸っているのだろう。だが、お前がその時計のベルトをなぞる彼女の指先に狂おしいほどの欲情を感じているその瞬間すら、僕にとっては処理されるべき快楽のデータに過ぎない。


 お前が彼女を奪おうと妄想を逞しくすればするほど、僕の中の「奪われている」という背徳的な快楽は、その深度を増していく。

 画面の中で、愛莉須の指が翔平の掌へと滑り落ちる。

 お前の理性が音を立てて崩壊していく音が、僕にははっきりと聞こえていた。


 書斎の椅子に深く腰掛け、僕は熱を帯びた身体を静かに持て余していた。ディスプレイ越しに映る、僕の所有物であるはずの妻と、それに欲情し、あまつさえ触れようとする「親友」。愛莉須の細い指が翔平の無骨な腕に絡むたび、僕の脳内ではドーパミンが弾け、下半身には抗いがたい、じっとりとした重みが集まっていく。


 今、この瞬間、僕の「不可侵の領域」は他者の劣情によって蹂躙されている。この「寝取られている」という倒錯した感覚こそが、僕の神経を最高潮に昂らせるのだ。翔平が彼女を犯したいと願えば願うほど、僕の中の「奪われている」という背徳的な快楽は、その深度を増していく。僕の目の届かないところではなく、僕が完璧に管理し、俯瞰しているこの盤面の上で、僕の宝が汚されていく。その支配的な屈辱感は、どんな高価なワインよりも僕を酔わせた。


(そうだ翔平。もっと彼女に溺れ、もっと僕の所有物を汚らわしい想像で汚すんだ……)


 僕は、自分の欲望をなだめるように、熱く脈打つ箇所を上から強く押さえつけた。今は、お預けだ。この溜まりに溜まった支配欲と、独占欲、そして歪んだ性欲を爆発させるのは、今ではない。この哀れな道化師が、手に入らない果実に絶望し、惨めな優越感を抱えて帰路についた後だ。


 あいつがいなくなった後、僕はいつも以上に激しく、執拗に愛莉須を抱くことになるだろう。翔平の脳内で散々汚されたであろうその肌に、僕だけの、圧倒的な「所有権」を刻み込んでやる。彼がどれほど願っても決して触れられないその奥底まで、僕の痕跡で満たし、彼には絶対に見せない愛莉須の、壊れたような「女」の顔を引き出す。彼が僕に見せている偽りの友情も、愛莉須が見せている計算された誘惑も、すべてを飲み込んで、僕は彼女を「滅茶苦茶」にする。


 その破壊的な快楽を想像するだけで、意識が遠のきそうになる。だが、僕はあえてその昂ぶりを、冷徹な理性の檻に閉じ込めた。お預けの時間が長ければ長いほど、最後に訪れるカタルシスは甘美なものになる。


 僕は静かに息を整え、再びディスプレイの中の「二人」を見つめた。今夜、このタワーマンションの一室は、世界で最も淫らな実験場となる。僕は、最高の瞬間が訪れるその時まで、このじりじりとした飢餓感を、愉悦の表情で味わい尽くすことにした。

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