復讐。
「いくらなんでも、レイニーマイン様との離婚が成立しないうちに、皇帝陛下との謁見にリリス様を同席させるわけにはいかないでしょう? それくらいはわかってくださいますよね?」
そう言ってクレインを諭してくれるマキナス先輩。
「む。そうか。そうだな。一気にレイニーとの離婚、そしてリリスとの婚姻の承諾を取ろうと思っていたが、それでは陛下の機嫌を損ねるやも知れぬということか」
「ええ。根回しでも先に済んでいれば別ですけど、さすがに無理です」
マキナス先輩がこの旅に同行してくれていて良かった。
クレイン一人じゃ取り返しのつかないことをしでかすところだったかもしれない。
帝都マクギリスに到着し、白亜の宮殿の横に建てられた迎賓館の上階、宿泊予定の部屋に荷物をおろすと、早速皇帝陛下に挨拶に行くというクレインの出鼻を挫いてくれた彼。
わたくしの言うことなんて聞いてくれそうになかったから、本当に良かったと胸を撫で下ろした。
そして、わたくしとクレインは宮殿に皇帝陛下を訪ねることとなった。
広大な宮殿の敷地にはいくつかの離宮や、聖大祭が執り行われる聖女宮、魔法技術の研究施設である魔導士の塔、そしてわたくしたちが宿泊している迎賓館も隣接していたから、そのまま徒歩での移動だ。
謁見の間の手前の待合室まではお供も数人一緒だったけれど、そこから先はクレインとわたくしの二人だけとなる。
クレインは、わたくしをエスコートすることもなくスタスタと歩いて行ってしまった。
(今更ではあるけれど、このようにわたくしを蔑ろにしているところを見られて困るのは貴方なのよ? クレイン)
わたくしは心の中で呟くと、ちょっとだけ「ふう」とため息をついてそのあとをついて行った。
謁見室の大扉がギイッと開く。
真っ赤な絨毯が玉座の手前まで伸びている。
わたくしたちは、なるべく同じ歩調でその玉座の手前まで進んでひざまずいた。
「おもてをあげよ」
クラウディオ皇帝陛下の威厳のある低いお声が、謁見の間に響く。
「久しいな、ロクサンシーム国王夫妻よ」
「ご機嫌麗しゅう存じます、陛下。本日はお時間をいただき光栄に存じます」
クレインは恭しく頭を下げる。
月桂樹の葉をリング状に編んだ冠をモチーフにした、金の帝冠を頭上に頂き、豪奢な白銀の髭をたくわえたお姿が、わたくしが顔を上げた瞬間に綻んだ。にこにこと、機嫌良さそうにこちらを眺める陛下。
「お爺さま、お久しぶりでございます。お会いできて嬉しいです」
「おうおうレイニーや。不便はしてないか? お前のことはほんとうにいつも心配しているよ」
お爺さまは相好を崩し、好々爺然としてこちらを見つめる。
そこには広大な権力を持つ帝国皇帝のお顔はもうなかった。
わたくしのことを愛してくださる、お爺さまのお顔だけがそこにあった。
視界の隅ではクレインが目を見開き、こちらを呆然とした顔で見つめているのがわかる。
本当に、貴方はわたくしに興味が無かったのね。
お亡くなりになった前国王陛下はもちろん、いち貴族である先輩方だってご存知だったのに。
帝国の皇女であり、帝国聖女庁所属の聖女だったわたくしのお母様は、春に行われる例祭に出席するためにロクサンシームを訪れた際、男爵家の四男だったお父様と知り合ったそうだ。二人は大恋愛の末に結婚することになり、皇女のお母様と無位のお父様では家格が釣り合わないからと、皇帝陛下の肝煎りでロクサンシーム王国の公爵位を賜った。
そこまではよかったのだけれど……。
もともとお体があまり丈夫でなかったお母様は、わたくしを産んですぐに亡くなってしまった。
お父様がわたくしの乳母だったリリスのお母様に手を出してしまったのは、その後まもなくのことだったという。
そんな家庭事情のため、子どもの頃のわたくしは、ロクサンシーム王国の貴族院入学の歳まで帝都のお爺さまのおそばで育てられたというわけだ。
「それで話とは?」
お爺さまがクレインに尋ねる。
「あ、いえ、せっかくの聖大祭でありますし、レイニーも陛下にお会いしたいだろうと」
「おお、そうかそうか。さすがレイニーが見込んだ婿殿だ。そなたの国が発展するよう、いつも気にかけておるよ」
「はは! ありがたきお言葉、いたみいります」
平伏するクレインの額には、冷や汗が浮いていた。
「今夜の晩餐会は各国の来賓が集う。そなたもそこで顔を売るといい。こういった会で築いた人脈がきっと将来役に立つことだろう。期待しているよ」
お爺さまは、最後に少しだけ帝国の皇帝のお顔を覗かせて締めくくった。
クレインの顔色が悪いのを緊張のせいだと判断してくださったお爺さまは、会見を予定よりも早めに切り上げてくださった。
待合室に戻った時には、クレインは焦燥しきった様子だった。身体が震えてしまい、しばらく頭を抱えてソファーに埋もれ、数刻そのまま項垂れていただろうか。やっと顔をあげたと思ったら、虚な表情でこちらを見て呟くように言った。
「お前は、帝国皇帝の孫娘だったのか……?」
「ええ。そうですよ」
もうどんな顔をしていいのかもわからず、表情を崩さず応える。
「なんで黙っていた」
「皆さんご存知ですよ? だからわたくしがあなたの妃に選ばれたのでしょう? まさか肝心なあなたがご存じないだなんて、こちらこそ驚いておりますわ」
「父上も知っていたのか?」
「ええ、もちろん。だからこそわたくしは、あの時生徒会に入れていただけたのですわ。あれだけ倍率が高かったのですもの。特別な理由もなしに選ばれるわけがないでしょう?」
「マキナス……達も、か?」
「ええ。わたくしの母が帝国皇女であったからこそ、男爵家の四男であった父が公爵などという位を賜れたことは秘密でもなんでもないですから、貴族の皆さんは知っておいでです。逆に言えば、リリスは貴族位も持てませんよ? 彼女の母はわたくしの乳母ですし、父は一代限りの公爵ですからね」
「リリスが平民だと言うのか!?」
「彼女の実母は元々平民のメイドですから、血筋的にはそうなりますね。ですから貴方が再婚するのであれば、彼女をどこかの養女にされたほうがいいかもしれませんね」
「っく……では、もう一つだけ教えてくれ。お前には帝国の帝位継承権があるのか!?」
「そうですね。残念ですけどお爺さまにはお子が少なかったですから。今の皇太子様にもまだお子がいらっしゃらないので、今のところわたくしは継承権第二位になりますわ」
そこまで話すと、はっとした表情になったクレイン。
「そんな……。ということは……」
「ええ。わたくしが帝位を継ぐ可能性もないわけではありません。このままわたくしとの婚姻が続いていたとしたら、貴方の子が皇帝になる未来もあったかもしれませんね」
クレインは一瞬、クッっとくぐもった声を漏らしたと思うと、表情が一変し、まるで今にも泣き出しそうな情けない顔に変わった。そのまま力なく手を伸ばしわたくしの腕に縋りつく。
「すまなかった、私が悪かった。謝る。何度でも謝るから、離婚しようなどと思わないでくれ、レイニー」
クレインは今までお前呼ばわりばかりで、まともに名前も呼んでくれなかった。
そのクレインが、わたくしに縋りつき、猫撫で声で謝ってくる。
「お願いだ、リリスとは別れる」
「子どもは? どうするのですか?」
「まだ懐妊がわかったばかりの月齢だ。魔法で堕胎もできる。君の望むようにして構わない」
……本気で言っているの? 呆れてもう何も言う気になれない。クレインは自分がどんなに酷いことを言っているのかわかっているのかしら……。
「お願いだ、捨てないでくれ、謝る、謝るから」
クレインは情けない顔でわたくしに懇願した。
「帰りましょう。晩餐会の準備もありますから」
わたくしはそれだけ言って、彼に部屋に帰るよう促した。
帰りはわたくしの手をとってエスコートしつつ帰るクレイン。彼はこのまま心を入れ替えてくれるのだろうか? いえ。信用はできない。わたくしが皇帝の血筋だと知ったからリリスは捨てる? 堕胎させる? そんなことを平気で言うなんて、ふざけるのもいい加減にしてほしい!
わたくしはお爺さまにすべてを打ち明けることに決めた。
このままクレインとなにもなかったかのように元のままの夫婦に戻る気持ちには、どうしてもなれなかった。
◇◇◇
そして、晩餐会の夜がやってきた。
今夜は、宿泊している迎賓館の大ホールで大々的に聖大祭前夜の晩餐会が執り行われる。
会場には贅を尽くした料理が並び、奥では楽団が荘厳な音色を奏でている。
人々は思い思いに食べて話して踊っていた。
そこに迷い込んだ異邦人のような鬼気迫る表情を浮かべ、キョロキョロと人を探すように、うろうろと彷徨う一人の男性がいた。
「レイニー、どこだ。どこにいる」
会場までは一緒に来たはずだった。
しかし、手洗いにと離れた隙に、忽然と姿を消した彼女。
不安でどうしようもなくなってしまっていたところで、「クレイン様」と背後から声をかけられた。
振り向くと、ドレスアップしたリリスがそこにいた。
「お待たせしましたクレイン様。ご一緒にこんな豪華な晩餐会に出席できるだなんて嬉しいわ」
リリスは、はにかむような笑みを浮かべてクレインにしなだれかかる。
「リリス、どうして?」
キョトンと小首をかしげる彼女。
「マキナス様がこちらでクレイン様がお待ちだとおっしゃるから、まいりましたのよ。部屋で待っていてもいつまで経ってもおいでくださらないのですもの。いいかげん待ちくたびれておりましたわ」
悪びれもせず笑みを向けるリリスに、クレインは内心の焦りを隠せずにいた。
「ああ、すまないリリス。でも今日は、だめだ。ダメなんだ」
「何がだめなのかね?」
突然、背後から声をかけられ振り向くクレイン。
そこにいたのは、まさかの皇帝陛下だった。
皇帝クラウディオは、威厳のある声で言った。
「ロクサンシーム国王よ。話はレイニーからすべて聞いた。そなたのレイニーに対するこれまでの言動、その他もすべてだ。で、そこの娘がそなたの次の伴侶とな。ああわかった。よく理解したぞ」
「いえ、それは……」
「言い訳はよい。レイニーはもうそなたのもとには帰りたくないそうだ」
「そんな」
「特別に開いてやっていた通商ルートもこれまでだ。なに、他の国と公平に扱うだけだ。問題なかろうて」
「え? それは……」
どういう意味なのでしょう、と言いかけたクレインの言葉に被せるように、皇帝クラウディオは有無を言わさない勢いで続ける。
「ああ、そなたはまったく国政に携わっておらんのだったな。まあいい。ロクサンシーム王国には帝国より監査員を送り込むとしよう。そなたの力量を正確に測ることとするから、心して政務に励むように。なに、そなたに無理なら替えもある。筆頭公爵に国王の座をすげ替えても良いのでな」
「ま、待ってください、皇帝陛下!」
「何を待てというのだね?」
「レイニーを、レイニーをお返しくださいませ。彼女がいないと私一人では……」
「馬鹿もの! この期に及んでそれか! ええい、レイニーはものではない。わしが返す返さんというものではないわ! よいか、今のわしの言葉はそなたとそなたの国に対しての最後通牒であると思え! できなければ全面的に執政官を送り込む。民を苦しめるわけにはいかんからな!」
執政官を送る。
これは、国家を解体して帝国の属領に落とすという意味だ。帝国内を構成する国家群の中には、帝国が直接統治する直轄領、ロクサンシームのように王が統べる自治国家、そしてもともとは自治国家だったが解体され、帝国から執政官が送り込まれ属州・属領に戻された場所もある。国家が解体されると言うことは、王の地位も貴族の地位も、すべて失ってしまうということだ。
さすがのクレインもその意味がわかるのか、平伏したのちリリスの腕を引き会場をあとにした。
会場はしばらくざわめいていたが、それもすぐに聞こえなくなった。
帝国内のヒエラルキーにおいても、ロクサンシームは最下位に近い位置でしかなかったせいか、クレインに興味を持つ者もそれほどこの場にはいなかったのだろう。
◇◇◇
クレインが退出したあと、わたくしはこっそりと晩餐会の会場に戻ってきていた。
正式な離婚の手続きには少し時間がかかるだろうけれど、もう彼の元に戻るつもりは無かった。書類へのサインをクレインが拒んだとしても、その場合はまたお爺さまにお願いすればなんとかしてくださるだろう、とも思う。
「良かったのかい? これで」
「ええ、お爺さま。ありがとうございます。これで踏ん切りがつきました」
「じゃぁお嬢様、僕と一曲踊っていただけますか?」
「ええ、ユリアス兄様。わたくしでよろしければ」
「ふふ。可愛い従妹様。いや、僕の婚約者様、で、いいのかな?」
クレインと離婚した場合のわたくしの立場を案じてくださったお爺さまは、わたくしにとっては従兄弟に当たる皇太子殿下との婚約を早々に取り決めた。かなり強引に進めてくださっていたから驚くと同時に困惑したけれど、肝心のユリアス兄様ときたらこんな急なお話なのにかなり好意的に捉えてくださった。おまけにわたくしの心が落ち着くまで結婚式を挙げるのを待つとまでおっしゃってくださっている。正直なところ、まだこのまま他の人と結婚するなんてことを考えることができないでいた。それでも、他の政治的な問題に巻き込まれないためにと考えてくださったお爺さまと、それを形だけかもしれないけれど快く引き受けてくださった兄様のことを思うと無下にお断りすることもできずにいる。
急ぎすぎで周囲への根回しなども済んでいないとは思うけれど、それでもそんなお爺さまのお気持ちはとてもありがたく思う。
「ありがとうございます。でも、わたくしはまだ……」
「大丈夫。君がその気になってくれるまで、いつまでも待つよ。正直にいうと僕のほうこそまだ結婚なんて考えられなかったんだよね。女性がみんな地位や権力目当てに見えてどうしようもない。もう最近は女性恐怖症のような状態になってしまっていたんだよ」
「わしは、お前たち孫同士が結婚しこの帝国の礎となってくれるとありがたいがな。わしももういいかげんに引退したいが、お主らの親は早死にしてしまったでの」
「僕もね。幼馴染で従妹の君とだったら、うまくやっていけると思うんだ。というか僕の初恋は君なんだからね?」
頬を赤らめるユリアス兄様。
恋、とは違うのかもしれないけれど、一緒にいて安心できる、そんな兄様。幼い頃を一緒に過ごした、家族のような存在。
彼の手をそっととって、踊りの輪の中に入る。
奥手の兄様はあまりこうした場でも女性と踊る事が無かったのか、ぎこちなかった。
けれどそんなぎこちない兄様に、家族としての愛情を感じている自分もいて、心が温かくなった。




