聖女と魔法。
聖大祭が無事に執り行われたあと、その祭祀を取り仕切る帝国聖女庁聖女宮筆頭聖女、大聖女であるカッサンドラ様がわたくしのお部屋にいらっしゃった。
一族の重鎮で、お爺さまでさえ頭が上がらないというカッサンドラ様は、お爺さまの叔母様にあたる方とお伺いしていたけれど、不思議ととてもお若く見える。糸のように細く艶のある金色の髪をおろし、少女のようにも見えるその姿。カッサンドラ様は、わたくしが物心ついた時からもうすでに今のお姿だった。
「貴女に、次代の聖女を務めてほしいのだけれど。どうかしら?」
勧めたソファーに腰掛けるなり、彼女は唐突に切り出した。
「聖女? ですか?」
「ええ。貴女にお願いしたいのよ」
「でも……」
帝国を構成する主要国には、それぞれ聖女庁が置かれ、聖女宮がある。そして、その下部組織としての教会が全国津々浦々にあり、人々の心の安寧の礎となっていた。
春から夏にかけて執り行われる、豊作を祈願する聖緑祭と、秋に行われる聖大祭。それらの祭祀を執り行うこと。また、この世界の平和を祈り、魔がこの国に蔓延るのを防ぎ、そして、作物の恵みを祈る。
それが、本来の聖女の役割だ。
神に祈りを捧げ世界を護る聖女は、帝国における宗教的な象徴として扱われていて、そんな中でもカッサンドラ様は帝国に数名しかいない大聖女を長年務めていた。聖女といっても聖女宮での役職としての聖女、各教会に所属する聖女と色々ある。今回わたくしを次代の聖女にということはこの帝国聖女庁聖女宮の聖女職にということだろうけれど、いくらなんでも唐突すぎる。それに、一般的に今の聖女職は、まだ若く力のある貴族の子女が婚姻までの間を務める、名誉職なのだと思っていた。
わたくしのように結婚に失敗した出戻りの立場で就く役職ではない。
「レイニー様がユリアスとの婚姻を控えているというのは存じておりますわ。クラウディオからそれとなく聞きましたから。それでもあえて、貴女にお願いしたいのよ」
こちらを覗き込むそのお顔は、近くで見てもシワひとつ無いように見える。
「わたくし、出戻りなんですよ? 結婚歴があるわたくしが聖女だなんて烏滸がましいですわ」
「そのあたりはあまり心配しなくても大丈夫ですわ。わたくし、お子がいらっしゃっても力が衰えることなく大聖女の職を全うした方も知っていますし。それに、貴女にお願いしたいのは役職としてのお飾りの聖女職ではなくて、本当の意味での聖女、ですから」
「お子がいらっしゃってもというのは、カッサンドラ様のこと、ではないですよね?」
「ふふ。わたくしは結婚とは無縁でしたから。でもそれもわたくしのほうが例外なのですよ。聖女だからといって結婚してはいけないわけではありませんし」
そんなふうに笑って見せる彼女。
大聖女として長年、聖大祭を取り仕切っていらっしゃる彼女。
そもそも、世界の安寧をたった一人の聖女が背負えるわけはない。
だからこそ、聖女宮には聖女を名乗る者以外にも、多くの力のある聖職者がいらっしゃる。そして各国津々浦々で多くの聖女が日々その役割をはたしているのだ。
「でも、わたくし、自信がないです」
「大丈夫。貴女のお母様は、それは力のある聖女だったもの。その力も、精霊の加護も、貴女に受け継がれているのを感じるわ。だからね?」
有無を言わさない圧力を感じる。
どうしよう。
でも、聖女の職を受けたらお母様のように各国への訪問もしなくてはいけなくなるだろうし、ロクサンシームにだって行くことになるだろう。
でも、まだ今はクレインには会いたくない。
あの人の顔なんか見たくもないもの。
わたくしは、とりあえず明言は避けて笑みだけこぼす。
そんなふうに曖昧に笑みを向けるのを見てとりあえず満足したのか、カッサンドラ様もふわっと微笑んでくれた。
カッサンドラ様が帰ったあと、わたくしはベッドに横たわり先ほどの彼女の言葉を反芻する。
わたくしにお母様のような聖女の素質があるのだろうということは、実は自分でも自覚がある。あまり他の人に話したことはなかったけれど、いつもわたくしの身近には魔法があった。
貴族院で習った魔法理論によると、人はその魂の中に『マナ』を蓄えており、それを『ゲート』と呼ばれる穴から外に放出する。それを自身の周囲にいる『ギア』に与えることで、その権能である『魔法』を行使する。そうしたマギアを行使できうる力のことを、一般的に『魔力』と呼ぶのだという。
世界には『ギア』と呼ばれる精霊が存在する。
代表的なのが、火のアーク、水のバアル、風のアウラ、土のオプス、命のキュア、時のエメラ、闇のブラド、光のディン。
これらの精霊たちはとても小さく、空気に溶けるようにして、普段は丸まって隠れている。普通の人には見えていないようなのだけれど、わたくしの目には彼らが細かい光の粒のように見えていた。
亡くなったお母様からの遺伝なのかもしれないけれど、わたくしは子供の頃からずっと精霊……ギアたちと心が通じ合っていた。ギアたちは物心つく前から、ずっとわたくしと一緒にいてくれた。悲しい時も、嬉しい時も、いつも彼らと感情を共有して過ごしてきたのだ。
そのせいか、五歳の時、帝都の聖女宮最奥にある神殿で執り行われた神参りという魔力を測る儀式で測定されたわたくしの魔力総量は、周囲の子ども達とは比較にならないほど多かった。ギアと心を通わせる力を『魔力特性値』と呼ぶのだけれど、その数値も、同年代はおろか大人とも比較にならないほど高かった。
これはクレインには話したことはない。わたくしのマギアスキルの高さはおそらく公爵家の家族やお爺さまの周辺くらいにしか知られていないと思う。
別に最初から秘密にするつもりだったわけじゃない。相手の魔力が強いか弱いかなんて、きっと誰でも一目見ればわかるものだと思っていたから。というのも、わたくしは見ただけで相手の魔力の強さ、マナの多さ、マギアスキルの高さが理解できていた。魂の色、感情の色もうっすらと見えていた。感情の色については幼い頃に他人に向けられた悪意の色に怖くなってしまって、それからは見え方もうっすらとしか見えなくなっていたけれど、人それぞれの魂の色はかなりはっきりと見えていた。例えばクレインの魂の色はその瞳の色と同じ透き通るようなルビーの赤。マキナスは知性の色あざやかなブルー。彼らからときおり溢れ出るマナも、その魂の色に染まったかのように同じ色をしていた。人の魔力にはその人それぞれの紋、波紋のようなものがあって、それを魔力紋というのだけれど、わたくしにはこのマナの色も人それぞれ固有の色合いに見えていた。
幼い頃はマナも、ギアも、他の人には見えていないのだとは気がついていなかった。キラキラ光るマナも、その周りに集まってくるギアたちの姿も、周りの人の誰に話しても信じてもらえなかった。貴族院の同級生たちにしてもそう。魔法理論を学び貴族であれば誰でも魔法が使えるのにも関わらず、マナやギアを知識でだけしか知らない。見えなくてもわかる、感じると答えてくれたのさえマキナスだけだった。
クレインに話せなかったのは、彼より魔力が強いだなんてことを打ち明けて、嫌われてしまうのが怖かったから。わたくしのことを特別視せず『普通の女の子』として見てくれているそんなクレインの態度がもし変わってしまったらと思うと、怖くてどうしようもなかった。
マギアスキルの中でも特定のギアの属性の力を借りやすくなる力を『加護』と呼ぶ。普通はどの属性の加護を持つかによって、火魔法や水魔法など得意な魔法に偏りができるのが普通らしい。だからかそうした魔法の得手不得手を解決するため、ギアに意思を伝える手段として、呪文や魔法陣などが使われることも多くて、魔石にコードを埋め込む技術も魔道士たちによって研究されているという。
大聖女であるカッサンドラ様は、き[郁谷232][yt233]っとわたくし以上のマギアスキルをお持ちだ。彼女の魂の色は黄金に輝いて、溢れるマナも金色に光るキュアよりも濃い黄金の輝きを放っている。
わたくしのマナは白銀で、色が無いようにも感じるけれど、きっとそのおかげで全てのギアと満遍なく意思を通じることができるのかもと考えていたけれど、カッサンドラ様の黄金のマナからは、その全てを従えるだけの力を感じるから。
そんなカッサンドラ様が、わたくしにお飾りでない聖女になってほしい理由は、わたくしのマギアスキルの高さをかってくれたからだろう。
それ自体は、とても嬉しいのだけれど……。
マギアスキルのうち、命をつかさどるギアのキュアと心を通わせることができる者は少ない。そして、聖女とは本来、キュアの加護を持つもののことを言う。
〝聖女の加護〟と呼ばれるキュアの加護は、呪いや穢れを浄化したり、怪我を治し生命を癒す権能を行使することができた。
聖女の仕事はさまざまあるけれど、正直言って魔の脅威の薄れた今の世では一般の聖職者たちでも事足りることばかりなのだ。だからか、今の聖女職はもっぱらお飾りの役職となってしまっていて、特別な力のない貴族の令嬢が持ち回りで務めている名誉職となっている。儀式の真似事をするだけならば、聖女の加護などなくてもなんとかなるのだから。
正直、わたくしはあまり乗り気にはなれなかった。今のわたくしが聖女になったとして、祭壇に飾られるだけのお飾りの聖女として扱われるのなら、そんなのまっぴらだ。
◇◇◇
『ああ、そなたはまったく国政に携わっておらんのだったな。まあいい。ロクサンシーム王国には帝国より監査員を送り込むとしよう。そなたの力量を正確に測ることとするから、心して政務に励むように。なに、そなたに無理なら替えもある。筆頭公爵に国王の座をすげ替えても良いのでな』
『馬鹿もの! この期に及んでそれか! ええい、レイニーはものではない。わしが返す返さんというものではないわ! よいか、今のわしの言葉はそなたとそなたの国に対しての最後通牒であると思え! できなければ全面的に執政官を送り込む。民を苦しめるわけにはいかんからな!』
クレインは、はっと飛び起きる。
「夢、か……」
気がつくと、汗をグッショリとかいていた。夜着もシーツも湿ってしまっている。
聖大祭は終わった。明日はもう帰路につく予定ではある。
けれど。
「このままでは……」
破滅だ。
腹心達もあてにはできない。
リリスをあの場に送り出したのがマキナスであるのなら、やつはレイニーの味方だということになる。
従兄弟のオールベルだって、わかったものじゃない。
皇帝陛下に取り入って、ロクサンシームの王になろうとするかもしれない。
そもそも彼らは、みなレイニーが皇帝陛下の孫であるという事実を知っていながら、クレインにそのことを告げなかったのだ。
あの謁見のあとマキナスを問い詰めると、レイニーの言っていたことはすべて真実だという返事が返ってきた。
「ですから、レイニーマイン様と陛下が離婚なされた場合、ロクサンシームの政務は滞ると申し上げました。レイニーマイン様が皇帝陛下のお孫様だということは公然の事実ですから、当然ご存じかと思っておりましたが」
メガネを押し上げ、しれっと答えたマキナス。
まるで、それはクレインの無知を嘲笑うかのようにも見えた。
どちらにしても、だ。
まだだ! まだ間に合うはずだ!
皇帝陛下も言っていたではないか。自分が返す返さんという話ではないと。
だったらまだ手はある。
レイニーを取り戻さなければ。
しかし……どうして気が付かなかったのかと自問自答を繰り返す。
出会った時のあの印象が強すぎたのか、上級貴族らしからぬ貴族慣れしていないように見えたあのレイニーがまさか帝国皇帝の血筋だったとは……。
まるで人形のような綺麗な顔立ちの少女。背はクレインの胸の辺りまでしか無いほどの小ささで、肩のラインで綺麗に切り揃えられた白銀の髪は絹糸のようでどこか作り物に見えた。
しかし、その容姿に反して服装はどことなく借り物感が否めなくて。ヒラヒラな飾りは付いてはいるものの、どうにも身体のサイズにあっていないブカブカのドレスを着ていた。そんな、普通の貴族ではあり得ない格好をしているにも関わらず、なぜかそのことについては少しも気にとめていない様子なのが不思議で。
ああ、これはきっと親からもまともに扱われていないに違いない。
きっと王都も初めての、どこかの鄙びた田舎で暮らしていた子供なのだろうか?
それがクレインにとっての、レイニーに対しての第一印象だった。
クレインとてヴァレンシア公爵家が帝国系の貴族だと知らなかったわけではなかった。どういう事情があったのかまで確かめてはいなかったけれど、帝国の肝入りで公爵となった新興公爵家だと、それくらいの認識ではあったが。
しかし、貴族院の入学パーティで初めて会った少女は、貴族らしい社交とは無縁に見えて、その素朴な印象も新鮮で、少し虐めると泣きそうな顔でこちらを見てきた。父王が婚約を勧めてきた時には喜んだ。これでレイニーは自分の物だと。あの泣き顔が、あの涙で潤んだ金の瞳が好きなだけ見られるのだと。皇帝が自ら後見人となってくれたと聞いた時も、公爵家が帝国貴族だからだろう、くらいにしか思っていなかった。父王が何か特別に願い出てくれたのかもしれないなとしか考えられなかった。今にして思えば、それらはとんでもない思い違いだったのだ。
窓の外はまだ薄暗く、陽が昇っていない時刻。
クレインは着ているものをすべて脱ぎ捨て体を拭くと、そのまま持ってきた服の中で一番簡素なものを身につけて、お供の侍従らの目を盗み、早朝の帝都の街に足を踏み入れた。
◇◇◇




