復讐。
「いくらなんでも、レイニー様との離婚が成立していないうちに皇帝陛下との謁見にリリス様を同席させるわけにはいかないでしょう? それくらいはわかってくださいますよね?」
「む。そうか。そうだな。一気にレイニーとの離婚、そしてリリスとの婚姻の承諾を取ろうと思っていたが、流石にそれでは陛下の機嫌を損ねるやも知れぬということか」
「ええ。根回しでも先に済んでいれば別ですけど、流石に無理です」
そうクレインを諭してくれたマキナス先輩。
うん。頼りになる。
彼がこの旅について来てくれて良かった。
クレイン一人じゃ取り返しのつかないことをしでかす所だったかもしれないし。
帝都マクギリスに到着し、予約してあった宿に荷物をおろして。
早速皇帝陛下に挨拶に行くぞというクレインの出鼻を挫いてくれた彼。
わたくしの言うことなんて聞いてくれそうになかったから、ほんと良かったと胸を撫で下ろし。
そうしてわたくしとクレインは二人で宮殿の陛下を訪ねることとなった。
待合室まではお供も数人一緒だったけれど、その奥はさすがに部外者は入れない。
クレインは、わたくしをエスコートすることなくスタスタと前を歩く。
ふう。と、ちょっとため息をついてその後をついて行った。
こんな光景誰かに見られたら、悪く思われるのはクレイン、貴方なのよ?
内心、そんなふうにも思ったけれど、口にすることはできなかった。
謁見室の大扉がギイッと開く。
真っ赤な絨毯が玉座の手前まで伸びている。
わたくしたちはなるべく同じ歩調でその玉座の手前まで進んでひざまずいた。
「おもてをあげよ」
そう陛下のお声。
「久しいな、ロクサンシーム国王夫妻よ」
「ご機嫌麗しゅう存じます、陛下。本日はお時間をいただき光栄に存じます」
そう頭を下げるクレイン。
にこにこと、機嫌の良さそうな陛下。
まあそうだよね。だって。
「お爺さま、お久しぶりでございます。お会いできて嬉しいです」
「おうおうレイニーや。不便はしてないか? お前のことはほんとにいつも心配しているよ」
相好を崩し、好々爺然としてこちらを見つめるお爺さま。
そこには広大な権力を持つ帝国皇帝の顔はもうなかった。
わたくしのことを愛してくださる、お爺さまのお顔だけがそこにあったから。
目を見開き、こちらを呆然とした顔で見つめるクレイン。
本当に、貴方はわたくしのことなんか興味も無かったのね。
先輩方はもちろん、お亡くなりになった前国王陛下だってみんなご存知だったのに。
そもそも、わたくしのお母様がロクサンシーム王国の一貴族、男爵家四男だったお父様と恋に落ちたのがきっかけ。
皇女であり、帝国聖女庁所属の聖女であったお母様。
各国の聖緑祭をまわっていらっしゃる時に、ロクサンシームでお父様と知り合ったのだとか。
大恋愛ののち結婚してロクサンシームに居を構えることとなった際、無位のお父様では家格が釣り合わないと皇帝陛下の肝入りで公爵位を賜った、まではよかったんだけど。
わたくしを産んで、そのまま亡くなってしまったお母様。
わたくしの乳母であったリリスのお母様に手を出してしまったお父様。
子供の頃のわたくしはそんな家庭事情の為、貴族院入学の歳まで帝都でお爺さまのおそばで育てられた。
「それで、今日はなんの話だったかな?」
にこにことした表情のまま、お爺さまがそうクレインに尋ねて。
「あ、いえ、せっかくの聖大祭でありますし、レイニーも陛下にお会いしたいだろうと」
「おお、そうかそうか。流石レイニーが見込んだ婿殿だ。其方の国が発展するよう、いつも気にかけておるよ」
「はは! ありがたきお言葉、いたみいります」
そう、平伏するクレインの額には、冷や汗が浮いていた。
「今夜の晩餐会は各国の来賓が集う。其方もそこで顔を売るといい。こういった会で築いた人脈がきっと将来役に立つことだろう。期待しているよ」
最後は少しだけ帝国の皇帝のお顔を覗かせて締めくくったお爺さま。
緊張からか顔色が悪くなったか? そう判断されたお爺さま。
会見を予定よりも早めに切り上げてくれて。
わたくしたちは謁見室の隣の控えに案内され。
身体が震えてしまっていたクレイン。
しばらく頭を抱えてソファーに埋もれ。
やっと顔をあげたあと。
「お前は、帝国皇帝の孫娘だったのか?」
そう呟くように言った。
「ええ。そうですよ」
「なんで黙っていた」
「国では皆さんご存知でしたよ。だからあなたの妃に選ばれたんでしょう? まさか肝心なあなたがご存じないだなんて、こちらこそ驚いてますわ」
「父上も?」
「ええ。だからこそわたくしあの時生徒会に入れていただけたのですわ。あれだけ倍率が高かったのですもの。そんな理由もなしに選ばれるわけがないでしょう?」
「マキナス、達も、か?」
「ええ。わたくしの家が、母が帝国皇女であったからこそ公爵などという位を頂いたのだと言うことは、秘密でもなんでもないですから。逆に言えば、妹リリスは貴族位もありませんよ? 彼女の母はわたくしの乳母ですし、父は一代公爵ですからね」
「リリスが平民だと言うのか!?」
「血筋的にはそうなりますね。ですから貴方が再婚するのであれば、彼女をどこかの養女にした方がいいかも知れませんね」
「っく、では、もう一つだけ教えてくれ。お前には帝国の帝位継承権があるのか!?」
「そうですね。残念ですけどお爺さまにはお子が少なかったですから。今の皇太子様にもまだお子がいらっしゃらないから、今のところわたくしは継承権第二位になりますわ」
「そんな。であれば、もしかしたら」
「ええ。わたくしが帝位を継ぐ可能性もないではありません。このまま婚姻が続いた場合は貴方の子が皇帝になる未来もあったかもしれませんね」
そこまで話して。
はっとした表情になったクレイン。
「すまなかった、私が悪かった。謝る。何度でも謝るから、離婚しようなどと思わないでくれ、レイニー」
今まで。
お前呼ばわりばかりでまともに名前も呼んでくれなかったクレイン。
そのクレインが、わたくしに縋り付くようにしてそう猫撫で声で謝ってくる。
「お願いだ、リリスとは別れる」
「子供は? どうするんですか?」
「まだ懐妊がわかったばかりの月齢だ。魔法で堕胎もできる。君の望むようにして構わない」
呆れた。
本気で言ってる?
「お願いだ、捨てないでくれ、謝る、謝るから」
情けない顔でわたくしに縋り付く彼クレイン。
「帰りましょう。晩餐会の準備もありますから」
わたくしはそれだけ言って、彼に促す。
帰りは。
わたくしの手をとってエスコートしつつ帰るクレイン。
そして、晩餐会の夜が、やってきた。
■■■■■
白亜の宮殿の横に建てられた迎賓館の大ホール。
今夜はそこで大々的に祝宴が執り行われた。
会場には贅を尽くした料理が並び。奥では荘厳な音色を奏でる楽団。
人々は思い思いに食べ話し踊る。
そこに。
迷い込んだ異邦人のような鬼気迫る表情を浮かべ、キョロキョロと人を探すように、うろうろと彷徨う一人の男性。
「レイニー、どこだ。どこにいる」
会場までは一緒に来たはずだった。
しかし。
手洗いにと離れた隙に、忽然と姿を消した彼女。
不安でどうしようもなくなってしまっていたところで、クレイン様と背後から声をかけられた。
「お待たせしましたクレイン様。ご一緒にこんな豪華なパーティーに出席できるだなんて嬉しいわ」
振り向くと、笑顔でそんなセリフを吐く女性。ドレスアップしたリリスがそこにいた。
「リリス、どうして?」
キョトンと小首をかしげる彼女。
「マキナス様がこちらでクレイン様が待っていらっしゃるっておっしゃって。宿で待っててもいつまで経ってもおいでくださらないんですもの。いいかげん待ちくたびれておりましたわ」
そう、笑顔を向けるリリス。
「ああ、すまないリリス。でも今日は、だめなんだ」
「何がだめなのかね?」
突然、そう声をかけられ振り向くクレイン。
そこにいたのは、まさかの皇帝陛下、で。
皇帝クラウディオは、威厳のある声で言った。
「ロクサンシーム国王よ。話は全て聞いた。其方のレイニーに対するこれまでの言動その他も全てだ。で、そこの娘が其方の次の伴侶とな。ああわかった。よく理解したぞ」
「いえ、それは……」
「言い訳はもう良い。レイニーはもう其方のもとには帰りたくないそうだ」
「そんな」
「特別に開いてやった通商ルートもこれまでだ。何、他の国と公平に扱うだけだ。問題なかろうて」
「え? それは……」
「ああ、其方はまったく国政に携わっておらんかったよな。まあ良い。ロクサンシーム王国には帝国より監査員を送り込むとしよう。其方の力量を正確に測ることとするから、心して政務に励むように。なに、其方に無理なら替えもある。筆頭公爵に国王の座をすげ替えても良いのでな」
「ま、待ってください、皇帝陛下!」
「何を待てというのだね?」
「レイニーを、レイニーをお返しくださいませ。彼女がいないと私一人では……」
「馬鹿もの! この期に及んでそれか! ええい、レイニーはものではない。わしが返す返さんというものではないわ! よいか、今のわしの言葉は其方と其方の国に対しての最後通牒であると思え! できなければ全面的に執政官を送り込む。民を苦しめるわけにはいかんからな!」
執政官を送る。
これは、国家を解体して属領に落とすという意味になる。
クレインにも流石にその意味がわかったのか、平伏したのちリリスの手を引き会場をあとにした。
会場はしばらくざわめき。しかしそれも人の波に飲まれ消えていく。
帝国内のヒエラルキーに於いてもロクサンシームは最下位に近い位置でしかなかったせいか、彼クレインに興味を持つ者もそれほどこの場には居なかったのだろう。
♢ ♢ ♢
「良かったのかい? これで」
「ええ、お爺さま。ありがとうございます。これで踏ん切りがつきました」
「じゃぁお嬢様、僕と一曲踊っていただけますか?」
「ええ、ユリアス兄様。わたくしでよろしければ」
「ふふ。可愛い従妹様。いや、僕の婚約者様、で、いいのかな?」
「ありがとうございます。でも、わたくしでよろしいんですか? 兄様だったら言い寄る方がたくさんいらっしゃるんじゃないかしら?」
「それがね。皇太子だなんて立場になるとダメなんだよね。女性がみんな地位や権力目当てに見えてどうしようもない」
「わしは、お前たち孫同士が結婚しこの帝国の礎となってくれるとありがたいがな。わしももういいかげんに引退したいが、お主らの親は早死にしてしまったでの」
「僕もね。幼馴染で従妹の君だったら、うまくやっていけると思うんだ。っていうか僕の初恋は君なんだからね?」
そうほおを赤らめるユリアス兄様。
そうね。わたくしには兄様くらいがちょうどいいのかもしれない。
彼の手をそっととって。
踊りの輪の中に入る。
奥手の兄様はあまりこうした場でも女性と踊る事が無かったみたいにぎこちなかった。
けれど。
「君を幸せにするよ」
踊りの最後、耳元でそう囁いてくれた彼に。
「幸せにしてください、ね?」
そう返して、彼の胸にこてんと頭をつけた。